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.国際  投稿日:2018/10/3

ナチスの戦争犯罪と死刑廃止論 昭和の戦争・平成の戦争 その7


林信吾(作家・ジャーナリスト)

林信吾の「西方見聞録」

【まとめ】

日本の死刑制度は国際的批判を受けかねない。

・欧米は第2次大戦後、死刑を廃止。

日本人が、昭和の戦争から学ぶべきことはまだ多い。

 

【注:この記事には複数の写真が含まれています。サイトによっては全て表示されないことがあります。その場合はJapan In-depthのサイトhttps://japan-indepth.jp/?p=42299でお読みください。】

 

今年7月、教祖・浅原彰晃こと松本智津夫はじめ、死刑が確定していた13人のオウム真理教教団幹部が、刑場の露と消えた。

私はかねてから、死刑廃止論者であることを公言してきている。

理由は、警察や裁判所に絶対の信頼を置くことができないので、無実の人が死刑を宣告されてしまう可能性を完全に排除できない以上は、システムとしての死刑自体を廃止すべきだということだ。ただし、現行の日本の法制度では死刑を認めており、世論調査でも死刑存続を支持する声が強い。だからと言って自分の意見を変えるつもりはないが、法律や世論は尊重しなければならないので、個別具体的な事件について、死刑反対を唱えたことはない。

ただ、今次のオウム真理教幹部に対する死刑執行については、知り合いの司法関係者とだけ述べておくが、聞き捨てならない話を耳にした。今春から法務省の上層部では、「やるなら(執行するなら)今しかない」という声が上がっていた、というのである。

どういうことかと言うと、来年、ご案内の通り平成が終わる。新天皇の即位に伴って大赦も検討されているのだが、そうなると一方では刑期を短縮してもらえる囚人がいて、他方では死刑が執行されると、法の下における平等、という概念に照らしてどうなのか、という議論が起きてきそうだ。

さらに1年延ばしたなら、今度は東京五輪の開催年になってしまい、祝賀ムードに水を差すばかりか、世界には日本が死刑制度を維持していることに批判的な国も多いので、国際的批判を受けかねない

▲写真 東京拘置所 出典:PekePON

……これ以上、多くを語るまでもないであろう。たとえ凶悪殺人犯、無差別テロで多くの人命を奪った集団であろうとも、そんな理由で人の命を奪う権限を、国家に与えておいてよいものだろうか。

(戦争の話じゃなかったの?)

と思われた読者もおられようが、ここでひとつ知って戴きたいのは、ヨーロッパ諸国が相次いで死刑を廃止したのは第2次世界大戦後のことで、そうなった理由はナチスによる数々の残虐行為に求められる、ということだ。

▲写真 アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所へ送る人を選択するドイツ軍 出典:Unknown

アウシュヴィッツが特に有名だが、ナチス・ドイツは占領地域に多くの強制収容所を設けた。ここに収容され、殺害されたのは、ユダヤ人だけではなく、ロマ(ジプシー)などの被差別民族、さらには政治犯から同性愛者まで多岐にわたった。

これが法理論上、どう理解されるかと言うと、実は死刑制度が濫用されたのだ。

ナチスの論理によれば、ユダヤ人はドイツ国家の敵であり、当時の感覚では、「国家の敵を国家が死刑にしてなにが悪い」と言い得たのである。

実際に、戦後ナチスの戦争犯罪を裁いたニュルンベルク裁判においても、いかなる罪状に該当するのか、ということが、まず問題になった。

▲写真 ニュルンベルク裁判の被告席 出典:Work of the United States Government

捕虜を虐待したり、占領地域の市民に対する暴行や略奪は、数々の条約で禁じられていた(まとめて、戦時国際法と俗に呼ばれた)が、ナチスとユダヤ人は戦争をしていたわけではないので、逆にこうした法規には縛られなかったのである。

そこで連合国側=戦勝国側は、「人道に対する罪」というものを考え出した。これが後に、旧日本軍や指導的立場にあった政治家たちを裁いた極東軍事裁判、世に言う東京裁判でも適用された。

これもこれで、法理論的には大いに問題がある。戦勝国は、「何人も弁護人付きで裁判を受け、有罪の判決を下されることなしに刑罰は科せられない」という、近代法の大原則を守ったことをアピールしたかったのだろうが、そのために、「いかなる犯罪も、犯罪が行われた後になってから作られた法律で裁くことはできない」という、もうひとつの大原則を無視したのである。

東京裁判において、インドのパル判事はこの点を問題視し、事後法を適用するのでは、戦争犯罪を裁くのではなく単なる復讐になってしまうとして、被告人全員を無罪とすべきである、との意見書を提出した。

▲写真 インドのパル判事 出典:Lubinlunib

一部の日本人は、これをわざわざ「パル判決書」と呼び、念の入ったことには「日本無罪論」などというタイトルを勝手にくっつける人もいるが、あくまでも「意見書」が正しく、「日本軍は悪いことはしていない」などとは、一言も述べられていない。ちゃんと読んでから、ものを言って欲しい。

少し話を戻すが、第2次世界大戦中までは、どこかの国が、ある種の人間は片っ端から死刑、といった政策をとったとしても、国際社会が掣肘を加えることはできなかった。まさかそんなことが起きようはずはない、と考えられていたのだが、ナチスが実際にそうした事態を引き起こしたのである。

さらに、1945年10月24日、国際連合憲章が発効したことにより、国連加盟国間においては「合法的な戦争」というものがあり得ないことになった。したがって最近では、戦時国際法よりも「国際人道法」という呼び方が広まりつつあるのだが、いずれにしても俗称なので、ここでは置く。

ともあれ大戦後には、「国家には、人の命を奪う権限など与えておくべきではない」と考える人が増え、死刑廃止の動きが一気に加速したのである。もちろん国情はそれぞれなので、たとえば英国など、1998年まで反逆罪については死刑を維持してきていた。それ以外の犯罪については、1965年に死刑廃止となっている。

サッチャー政権時代に、警察官殺しや爆弾テロなど、特に凶悪な事案に対しては死刑を復活しようとしたのだが、議会で多数派の賛意を得るには至らず、断念した経緯もあった。

我々21世紀に生きる日本人が、昭和の戦争から学ぶべきことはまだまだ多いと思うが、残虐行為もそのひとつであろう。ただ、そもそも残虐行為が当時の法理論でどのように理解されていたのか、戦後そうした行為はどのように断罪されたのか、正確な知識を得る努力をしなければならない。そうでないと、移民やマイノリティーに対するイジメのような言動が、本当はいかに危険か、論理的に説明できないからである。

トップ画像:アウシュヴィッツ ビルケナウ強制収容所 出典 Public Domain Pictures.net


この記事を書いた人
林信吾作家・ジャーナリスト

1958年東京生まれ。神奈川大学中退。1983年より10年間、英国ロンドン在住。現地発行週刊日本語新聞の編集・発行に携わる。また『地球の歩き方・ロンドン編』の企画・執筆の中心となる。帰国後はフリーで活躍を続け、著書50冊以上。ヨーロッパ事情から政治・軍事・歴史・サッカーまで、引き出しの多さで知られる。少林寺拳法5段。

林信吾

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