オリパラ基本コンセプトを改善しよう!東京都長期ビジョンを読み解く!その66
西村健(NPO法人日本公共利益研究所代表)
「西村健の地方自治ウォッチング」
【まとめ】
・桜田五輪相が答弁できず注目された五輪3基本コンセプトは意味不明。
・オリパラは価値提起できるか。このままでは単なるスポーツイベントに。
・「体育からスポーツへ」は権威主義日本を変える希望のフレーズ。
■ オリパラ3つの基本コンセプトと大会ビジョン
桜田五輪大臣が覚えていなかったことで話題騒然のオリパラ3つの基本コンセプト。改めて、確認してみたい。
①全員が自己ベスト
万全の準備と運営によって、安全・安心で、すべてのアスリートが最高のパフォーマンスを発揮し、自己ベストを記録できる大会を実現。世界最高水準のテクノロジーを競技会場の整備や大会運営に活用。ボランティアを含むすべての日本人が、世界中の人々を最高の「おもてなし」で歓迎。
②多様性と調和
人種、肌の色、性別、性的指向、言語、宗教、政治、障がいの有無など、あらゆる面での違いを肯定し、自然に受け入れ、互いに認め合うことで社会は進歩。東京2020大会を、世界中の人々が多様性と調和の重要性を改めて認識し、共生社会をはぐくむ契機となるような大会とする。
③未来への継承
東京1964大会は、日本を大きく変え、世界を強く意識する契機になるとともに、高度成長の弾みとなった大会。東京2020大会は、成熟国家となった日本が、今度は世界にポジティブな変革を促し、それらをレガシーとして未来へ継承していく。
これを読んで皆さんどう思っただろうか?理解できるだろうか?
□オリパラ3つのコンセプトと大会ビジョンの問題点
特に、「世界中の人々が多様性と調和の重要性を改めて認識し、共生社会をはぐくむ契機となるような大会」「成熟国家となった日本が、今度は世界にポジティブな変革を促せるものは何なのか?」という点はなんとなく理解するが、しっくりこない。
◆「共生社会をはぐくむ契機」
◇多様性と調和とは具体的にはどういう行動のこと?
◇五輪やワールドカップで多く行われる政治的な発言をどう抑制する?
◇国別の争い的な要素は極力減らすべきでは?
◇価値相対主義で、人権侵害や人間の尊厳を守らない国や国際ルールを守らないところとの共生はどうするのか?
◆「成熟国家となった日本が、ポジティブな変革」
◇そもそも日本が成熟国家なのか?
◇我が国は最近、いたるところに、「権威主義」が顔を出していますよね?
◇国連では日本の司法は「中世」とさえ批判されてますが・・・何か?
◇「空気」の支配で皆が委縮し「長いものにまかれろ」的な雰囲気がはびこり、自由な言論も落ち着いた対話もないではないか?
といった疑問があふれ出てしまう。
この基本コンセプトの根本的な問題は、SO WHAT?ではないかということだ。つまり、3つのコンセプトの「意味」がよくわからないのだ。五輪の関係者もわかっているのだろうか。蓮舫議員も含めて!(失礼があったら謝ります)
□はたしてオリパラが価値を提起できるか?
また、東京大学教授の吉見俊哉氏は「1960年代とは異なる価値のはずだ。その価値は何か、それはすなわち『速く、高く、強く』ではなく『愉しく、靭(しな)やかに、末長く』への転換」と主張している(「戦後と災後の間―溶融するメディアと社会」講談社新書)。
たしかに東京五輪のために、渋滞緩和のための都電廃止、交通網・首都高速道路や新幹線などの都市のインフラ整備が進んだ中に、そうした価値は見いだせなくもない。
しかし、私は「それは違う」と個人的には思う。なぜかというと、第一に、そもそも1964年の東京五輪は戦後復興、高度成長の牽引となったイベントであり、世界にそのことを示すものであり、あからさまにナショナリズムが発露されたものであると思うからだ。
第二に、五輪という単なる世界的スポーツ・イベントがその時代の価値観を提示するなんておこがましいと思うし、位相が違うと思う。1964年の大会は、競技性と経済成長の要素が重なり合ったため、五輪と時代の価値観(経済成長の)があっただけだと思うのだ。そのような価値観の共有はどこにあったのだと考えてしまう。そもそも「速く、高く、強く」という価値があったと皆が納得するのだろうか。
吉見氏の社会的な射程ではちょっと大きすぎるし、社会学的な視点の色合いが濃すぎる。
□オリパラが価値を提起できる?
ロンドン、リオデジャネイロ五輪でのサスティナビリティの取組みについては筆者が以前書いたところであるが(「何のための東京五輪?その3」)、東京五輪はこのままだと単なるスポーツ・イベントになってしまいかねない。大丈夫なのだろうか。
・復興五輪
・コンパクトな五輪
・おもてなし五輪
という「理念」では、「理念」の旗が揺らめくたびに、空虚さがそこら中に広がってしまうし、もうこんな理念を掲げているのは白けるだけだろう。
だからこそ、3つのコンセプト。これはという文章を見つけた。それはスポーツジャーナリストの玉木正之氏の考えだ。玉木氏は「すべての変化を、私は、『体育からスポーツへ』というひとつのフレーズで語ることができると考えている」「誰もが自由に、自主的に、強制されることなく、楽しむ、というのが大原則」と語る(玉木正之氏の「Camerata di Tamaki」より)。玉木氏の考えを3つのコンセプトに落とし込んでみると・・・
①全員が自己ベスト:
【意味】人々が、自由に自主的に自分なりの設定した自己ベストを自分で設定し、その目標に向け楽しみながら生きていく。競技する選手、支える人、応援する人皆に言えることかもしれない。こうした行動原理を選ぶのも自由であるべきということ。
②多様性と調和:
【意味】選手も応援する人もそれぞれがその違いや多様性を知り、理解し、認め合い、相手への敬意を持ち、コミュニケーションをとること。さらに人間の尊厳を守り、相手の立場を尊重し、共生・調和につなげていく努力をしようと思い立つ。チームスポーツはそのヒントをくれるかもしれない。
③未来への継承:
【意味】成熟社会になったのか、なっていないのかを問うことがまず前提。相手を尊重するおもてなしの文化、清潔・クリーンで安全な街並み、400年以上続く文化と現代との融合、世界的メガシティーの魅力などを改めて自己を理解し、その基盤にあるもの、支えてくれたものが何かを考え、またその後の未来へ何を残していくのかを考えるきかっけになるかもしれない。スポーツ界にはびこる(ように見える)日本の権威主義、運営において問われてきた「説明責任」の在り方を国民が改めて考え直すこともあってもよい。
玉木氏の「体育からスポーツへ」というキーワードに日本の権威主義社会を修正する希望を見る。失われた20年が多くを占める「平成」もリセットされ、新しい時代を迎える直前の今、桜田大臣、挽回するチャンスはたくさんあります!
トップ画像:Tokyo 2020提供
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この記事を書いた人
西村健人材育成コンサルタント/未来学者
経営コンサルタント/政策アナリスト/社会起業家
NPO法人日本公共利益研究所(JIPII:ジピー)代表、株式会社ターンアラウンド研究所代表取締役社長。
慶應義塾大学院修了後、アクセンチュア株式会社入社。その後、株式会社日本能率協会コンサルティング(JMAC)にて地方自治体の行財政改革、行政評価や人事評価の導入・運用、業務改善を支援。独立後、企業の組織改革、人的資本、人事評価、SDGs、新規事業企画の支援を進めている。
専門は、公共政策、人事評価やリーダーシップ、SDGs。