海自リチウム潜水艦 中国海軍に脅威
文谷数重(軍事専門誌ライター)
【まとめ】
・海自は潜水艦電池のリチウム化を開始した。
・目的は南シナ海でのゲール・デ・クルース(巡洋艦戦略)。
・期待効果は中国海軍力の分散である。
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リチウム潜水艦「おうりゅう」の完成が間近い。水中動力を変更した最新艦である。従来は浮上状態ではディーゼル、水中では鉛電池とAIP(Air-Independent Propulsion:非大気依存推進)と呼ばれる水中エンジンを用いていた。そのうち後2者をリチウム・イオン電池に改めた新基軸艦である。
リチウム電池採用により水中行動力は一挙に拡大する。電池容量はおそらく8倍程度に増加する。リチウム電池の容量は鉛電池の4倍以上ある。また、撤去されたAIPエンジン部分にもおそらくリチウム電池が設置される。つまり容量4倍の電池を2倍積み込むのだ。
海自はこのリチウム潜水艦で何をしようとしているのだろうか?南シナ海でのゲール・デ・クルース(guerre de course)である。旧軍では「巡洋艦戦略」と訳された海軍戦略である。リチウム化による性能向上、具体的には長距離展開能力、戦域内移動力、接敵能力の強化はそれへの指向を示している。またAIP撤去も従来の待ち伏せ主要からゲリラ戦への変化を示唆している。
海自はそれにより中国海軍力の分散を目論んでいる。潜水艦を広範囲に行動させる。南シナ海あるいはマラッカ西方まで展開させる。それにより中国に広範囲での潜水艦対応を強要する。また中国に南シナ海防衛を強要し、対日正面戦力の転用・減少を狙うアイデアである。
■ 長距離展開が可能となる
「おうりゅう」登場はゲール・デ・クルースへの転換を示している。リチウム電池化で得られる諸能力、長距離展開の実現、戦域内移動力の向上、接敵機会増大はそのための性能向上だからだ。
なによりも長距離展開能力はゲール・デ・クルースに必須である。本旨となる遠洋展開力そのものだ。ありとあらゆる海洋に軍艦を展開し、敵に脅威を与え敵海軍力の分散を強制する。そのためには欠かせない。
リチウム化はそれを実現した。海自潜水艦は倍以上も遠くまで進出できるのだ。南シナ海展開は今よりも容易となる。あるいはマラッカ西口展開も実現性を帯びる。電池容量拡大と充電時間短縮の成果だ。
今日、在来潜水艦は基本的には潜水状態で移動する。水中移動して、ディーゼルで充電してを繰り返す。スノーケル航行による移動はあまりやらない様子である。当然、移動力は制限される。鉛電池型では最大でも4kt(7km/h)、100時間、400nm(740km)程度だ(*注)。それで電池切れだ。そして充電を完了するまで10時間位はかかる。実際は放電量1/3~1/4で小充電をするのだろう。ただ能力はその程度である。
それがリチウム化により2-4倍となる。電力容量8倍はそれを可能とする。速力2倍で消費電力を4倍としてもなお2倍の時間移動できる。8ktで最大200時間、1600nmを移動できるのだ。
しかも充電時間は従来のままだ。リチウム化で充電速度も約8倍程度に上がる。充電電流量は5倍となり電力量から貯蔵量への変換効率も1.5倍となる。つまり7.5倍だ。8倍容量の電池でもほぼ同じ時間で充電できる。
これはゲール・デ・クルースに有利である。より遠方まで進出して潜水艦脅威を与えられる。計算上、鉛電池では呉―バシー間は2週間程度を要する。それがリチウムでは6日半となる。さらには呉から10日で南沙諸島まで展開可能となる。
▲図 呉軍港からバシー海峡まで(1200nm)の所要時間 作成:文谷数重
■ 戦域内での移動が容易となる
また戦域内移動力も向上する。同様にリチウム電池による行動力向上の恩恵である。
これもゲール・デ・クルースに都合がよい。1隻の潜水艦で南シナ海全体に脅威を与えられる。たとえば台湾海峡で中国艦船を攻撃し、4日間で南沙諸島に移動して再び中国艦船を攻撃し、また3日間で海南島に移動して3たび中国艦船を攻撃する。そのような行動が可能となる。
その効果は大きい。中国は南シナ海全体での対潜戦を強要される。提示例なら3海面に対潜部隊を展開する。「日本潜水艦はもういない」と判断できるまではそうする。
これは対潜努力の強要に向く。「潜水艦は乗員数で400~600倍の敵海軍を拘束する」ともいわれる。乗員65人の海自潜水艦1隻は1海面で中国海軍を3万人づつを拘束する計算となる。3海面並行しての対潜戦なら拘束規模は合計9万人にも及ぶだろう。
▲図:戦域内移動の概念 作成:文谷数重
■ 攻撃のチャンスが増える
最後が接敵機会拡大である。これもリチウム電池による高速化の成果だ。中国艦船を攻撃可能な位置に収めるチャンスが増えるのである。これもゲール・デ・クルースに資する。短期間で潜水艦脅威を顕在化できるからだ。また移動先海面で短期に成果をあげ、すぐに別海面に転進できる。
従来の鉛電池潜水艦は低速である。電池容量から接敵速力はいいところ8ktだ。戦時には20ktを出す軍艦や平時から15kt付近で航行する商船よりも遅い。
そのため接敵・攻撃のチャンスは少ない。8ktの潜水艦は20ktで走る軍艦の針路前方47°の範囲にいない限り接敵できない。それがリチウム化で大幅改善する。水中速力12ktあるいはそれ以上も差し支えはないのだ。それにより攻撃圏は20ktの軍艦の前方74°以上に広がるのである。
▲図 接敵可能範囲の拡大(目標速力20kt)作成:文谷数重
■ ゲール・デ・クルースへの転換
リチウム化はゲール・デ・クルースを容易とする。そういうことだ。そして海自はAIPエンジンを捨てた。水中潜航状態で1週間2週間を待機できる特殊エンジンを廃止した。
これは何を意味するか?潜水艦運用体制の変化である。冷戦期の待ち伏せから対中対峙におけるゲール・デ・クルースにシフトしたのだ。従来は待ち伏せに主軸がおかれていた。敵軍港前面や重要海峡で待機する。そこを通過する敵潜水艦を攻撃する運用である。そのため最後にはAIPエンジンも採用された。
その軸足はゲール・デ・クルースに移りつつある。海自潜水艦の動向、なによりもリチウム化とAIP撤去はそれを示唆している。
(*注)ロシア製ディーゼル潜水艦、キロ級の数字を参考とした。資料により異同はあるがその程度である。
トップ写真:海自リチウム潜水艦『おうりゅう』進水式(2018年10月4日 三菱重工株式会社 神戸造船所)出典:海上自衛隊呉地方隊ホームページ
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この記事を書いた人
文谷数重軍事専門誌ライター
1973年埼玉県生まれ 1997年3月早大卒、海自一般幹部候補生として入隊。施設幹部として総監部、施設庁、統幕、C4SC等で周辺対策、NBC防護等に従事。2012年3月早大大学院修了(修士)、同4月退職。 現役当時から同人活動として海事系の評論を行う隅田金属を主催。退職後、軍事専門誌でライターとして活動。特に記事は新中国で評価され、TV等でも取り上げられているが、筆者に直接発注がないのが残念。