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.社会  投稿日:2019/2/2

早野叩きで終わらせていいのか~被ばく論文の意義と実相~


上昌広(医療ガバナンス研究所 理事長)

【まとめ】

・福島・伊達市の住民被曝調査論文が個人情報の扱いでも批判浴びる。

・全住民の同意取得は理想だが、震災後の混乱を知らない人の戯言。

・後世に情報が伝わらない論文撤回は妥当か。市民に問いかけを。

 

【注:この記事には複数の写真が含まれています。サイトによっては全て表示されないことがあります。その場合はJapan In-depthのサイトhttps://japan-indepth.jp/?p=43900でお読みください。】

 

福島県伊達市の住民被曝を調査した論文が批判を浴びている。問題視されているのは、同意を得ていない2万7,233人と不同意の97人のデータが解析に利用されていたこと、および累積線量を3分の1に過小評価していたことだ。論文の著者は早野龍五・東京大学理学系研究科教授(当時)、および宮崎真・福島県立医科大学(福島医大)助教(当時)だ。

▲写真 早野龍五・東京大学名誉教授 出典:早野龍五事務所ホームページ

 

▲写真 宮崎真 福島医大 健康増進センター副センター長 出典:福島県楢葉町公式ブログ

論文は2016年12月および2018年3月に“Journal of Radiological Protection”に掲載された。前者は実際の被曝量と空間線量を比較したもの、後者は生涯の被曝線量を推計したものだ。後者で計算を間違えた。早野教授は早々にミスを認めている。議論が紛糾しているのは前者だ。

メディアやネットは早野叩き一色だ。「早野教授は研究者として真摯な対応を(ハーバー・ビジネス・オンライン)」、「市民の被曝線量を過小評価した論文専門家が新たな疑問(朝日新聞)」という感じだ。このような記事を読めば、誰もが早野教授が自らの業績を上げるため、所定の手続きを踏まずに研究を進めたと感じるだろう。実態は違う。

この時期、私も福島県浜通りに入っていた。そして、現在も活動を継続している。早野教授には様々な面でご支援いただいている。私たちは伊達市とは御縁がなかったが、相馬市や南相馬市の被曝に関する論文を発表している。当時の状況がわかる立場だ。ご説明したい。

強調したいのは、当時、福島は大混乱だったことだ。政府はもちろん、福島県庁、市町村、さらに福島県立医科大学(福島県立医大)や医療機関は、被曝対策のノウハウはなく試行錯誤を繰り返していた。

政府は放射線医学総合研究所や日本原子力研究開発機構に指示して、被災地の支援に従事させていたが、中心は福島第一原発周辺の高度汚染地域だった。原発20キロ圏外の相馬市、伊達市、南相馬市の一部をサポートする余裕はなかった。早野教授を含む、有志の医師や研究者が支援したのは、このような地域だった。

▲写真 東京電力福島第一原発(2014年2月14日)出典:raneko flickr

当時、被曝を危惧する人はすでに避難していた。残った人は、故郷で生活すると決めていた。彼らの関心は「どれだけ被曝しているか。どうすれば被曝を避けることができるか」だった。内部被曝と外部被曝の評価が喫緊の課題だった。

内部被曝については、南相馬市立総合病院ホール・ボディ・カウンターを導入した。当時、東大医科学研究所(東大医科研)の大学院生で、震災後すぐに現地に入っていた坪倉正治医師が、メーカーはもちろん、自衛隊にコンタクトしてノウハウを学んだ。ところが、どうしても測定値が有り得ない値を示すことがあった。後日、遮蔽が不十分なため、周辺にまき散らされた放射性物質がノイズとなって正確に測定できていないことがわかった。このとき、坪倉医師が頼ったのが早野教授だった。ツイッターでコンタクトしたところ、協力を快諾してくれた。早野教授の協力で、過去のデータの補正も可能になり、南相馬市立総合病院の内部被曝検査は軌道にのった。多くの市民が検査を受け、自らの被曝が低いことを知って安心した。

▲写真 坪倉正治 医師 出典:相馬中央病院

坪倉医師は、この結果をまとめてアメリカ医師会誌(JAMAに寄稿し、2012年8月に掲載された。福島の内部被曝がチェルノブイリとは比べものにならないほど低いことを、世界の多くのメディアが報じた。時期を同じくして、相馬市でも内部被曝、外部被曝検査が始まった。私と早野教授は、放射線対策委員会の委員を仰せつかった。

相馬市も被曝検査を実施し、その結果を公表した。一連の検査の主体は市役所で、その目的は市民に正確な情報を伝えること、および海外に現状を伝え、風評被害を抑えることだった。我々はサポートを依頼された。

後者のためには英語での発表が必須だ。一流の学術誌で論文を発表すれば、海外メディアも報じる。ただ、そのためには、倫理的な審査が欠かせない。このノウハウを持つのは大学や研究機関だ。

相馬市・南相馬市も伊達市も市役所と専門家が協力して住民を支援しただけの話だ。どうして、伊達市で問題となったのだろう。

まずは、伊達市の政治状況だ。震災当時、伊達市長を務めていたのは仁志田昇司氏。『率先して行動するリーダー』として有名だった。震災、避難民を受けいれ、独自に除染やモニタリングをはじめ、さらに汚染度の保管場所に困ったら、市役所内に仮置き場を定めた。

▲写真 仁志田昇司 前伊達市長 出典:環境省ホームページ

仁志田市長(当時)の毅然とした態度が効いたのだろうか、震災当時人口6万1678人だった伊達市で、避難したのは約1200人に過ぎなかった。そのうち約800人が戻ってきた。

勿論、このような対応は被曝の影響を重視する人からは批判を浴びた。「住民の不安に寄り添わない伊達市 0.5 μSv/hでも安全?」や「仁志田市長はやりたい放題」と指摘された。

昨年1月に4選を目指した仁志田氏は、元福島県庁職員の須田博行氏に敗れた。この選挙の争点は行政サービスの効率化と重点化だった。須田市政となり、仁志田時代の見直しが始まった。昨年12月6日の伊達市議会の一般質問で不同意問題が取り上げられた。

ついで、放射線対策に関して、伊達市の業務と早野教授たちの研究に切り分けることが出来ないことが挙げられる。被曝データを集計するのは伊達市だ。伊達市は業務として行い、その目的は住民を被曝から守ることだ。学術論文としての発表は二の次だ。困ったことに両者では個人情報の扱いが異なる。

問題となった伊達市の被曝データは、2015年9月12~13日に伊達市役所ホールで開催された「第12回ICRPダイアログ」で早野教授たちが発表している。ICRPとは国際放射線防護委員会のことで、このセミナーの発起人だ。

▲写真 国際放射線防護委員会(ICRP)ダイアログ(写真は2017年7月8-9日に伊達市で開かれたダイアログの様子)出典:NPO法人 Ethos in Fukushimaホームページより

この研究が福島県立医大に研究倫理審査に申請されたのは、同年の11月2日だ。「第12回ICRPダイアログ」での発表から遅れること51日だ。申請書には、「本研究に提供されるデータベースには、2011年8月から2015年6月にかけての3年11ヶ月間に伊達市が全市民を対象に行ったガラスバッジによる外部被ばく線量調査、ホールボディカウンターによる内部被ばく線量調査の結果が含まれており、閲覧解析の対象者はデータを本機関に提供する同意があったものに限られる」とある。

この報告書を申請する時点で、早野教授たちが住民の同意の有無を、どの程度把握していたか筆者にはわからない。ただ、福島県立医大に研究倫理審査を申請する以前に、すでにICRPが呼び掛けたセミナーで調査結果を発表していることは注目に値する。

「第12回ICRPダイアログ」での発表は伊達市の業務、論文発表は早野教授の研究と詭弁を弄しても仕方ない。2017年9月、共同発表者の宮﨑医師は、この論文で医学博士を取得している。学術誌への発表も併せて、福島医大内での倫理審査を通過する必要があったのだろう。福島市内の元市役所職員は「倫理審査はアリバイ作りでした」という。

もし、早野教授が伊達市の非常勤職員を兼業し、その上で伊達市役所の名前でデータを発表すれば、それは問題とならないのだろうか。もし、福島医大の倫理委員会が住民の同意の取得が不十分と判断したら、この研究を認めないのだろうか。「第12ICRPダイアログ」での発表はなかったことにするのだろうか。それは行政と大学の辻褄合わせにすぎず、住民にとって何のメリットもない。

今回の事件の問題は、住民からの同意取得という点において、伊達市が首尾一貫していなかったことだ。理想的には、全ての住民に同意をとるのがいい。ただ、それは現状を知らない人の戯言だ。

当時の状況を知る坪倉医師は「当時は大混乱状態で、将来がどうなるかなどわかりませんでした。2011年に検査を始めて、2016年頃までデータをとり続けて、そして発表するという同意を2011年の段階でとることは不可能」という。伊達市役所の職員が置かれた当時の状況を考えれば、やむを得ないのではなかろうか。

実は、この点については、政府も対応策を用意している。文科省・経産省・厚労省が2017年5月に発表した「個人情報保護法等の改正に伴う研究倫理指針の改正について」(※)という資料が参考になる。その30ページ以降をご覧頂きたい。

この資料によれば、伊達市が早野教授にデータを提供することは「既存資料・情報の他機関への提供」にあたる。三省が提示する基準に従えば、伊達市が実施した調査は、東日本大震災後の混乱状況なので、「原則IC(注 Informed consent、同意取得のこと)」の「IC困難」に相当するとみなしていいだろう。この場合、伊達市から早野教授たちに提供されたデータが「連結可能匿名化(条件を満たす特定の人以外は個人が特定できないように匿名化すること)」されていれば、「IC等の手続不要」である。

「連結不可能」化とは、データ表に振られたIDなどを介して、住民の他の情報と結合できないことをいう。「匿名化」と併せて伊達市がファイルを処理すればいい。

研究者に提供することを明確に拒否した97名のデータは利用できないが、全員の同意がとれていなくても、研究者に提供する方法は残されている。

実は相馬市・南相馬市では、このような問題は生じなかった。それは相馬市、南相馬市が東大医科研に協力を依頼したからだ。東大医科研で中心となってサポートしてくれたのは武藤香織教授だった。医療倫理の専門家で、「最優先するのは住民の皆さんの健康、研究の辻褄合わせに住民や市役所の方に余計な手間をおわせてはいけない」と強調された。

相馬市や南相馬市の場合、武藤香織教授を通じて様々な情報が関係者で共有された。その中の一つがオプトアウトだった。オプトアウトとは、個人情報の第三者への提供に関し、本人の求めに応じていつでも停止する権利を確保することである。その際、あらかじめ第三者へ提供すること、提供する個人データの中身、提供する方法、本人が求めれば提供を断ることができることを、本人に通知あるいは容易に知り得る状態にしておくことが求められる。

実際は、健診などの受診者に説明文を渡したり、病院などに張り出す。個別に同意がとれない場合には、この方法で対応することが求められる。

相馬市や南相馬市は、このような状況を知った上で、原則として住民からの同意をとる方針を取った。実務上の理由でとれない場合にはオプトアウトの形式を採用した。伊達市のケースが不幸だったのは、伊達市の職員に、このノウハウが伝わっていなかったことだ。

▲写真 福島県・伊達市役所 出典:Townphoto(Wikiedia)

このことで早野教授を責めるのはお門違いだ。同意をとるべき主体は伊達市だし、物理学の専門家である早野教授が医学研究のお作法を熟知していなくても仕方ない。そもそも、彼は二つの論文の責任者である“corresponding author”でもない。

宮崎医師も同じだ。私と同じ臨床医だ。当時、最前線で住民と接していた。彼が優先すべきは、住民のケアである。

もし、責任を問うとすれば、それは伊達市役所だろう。ただ、当時、彼らは膨大な作業を背負い込んでおり、個別に同意をとれなかったとしても、決して責められるべきではないだろう。

現在、必要なのは犯人探しではない。住民の視点に立った議論だ。マスコミの批判を恐れた伊達市は再解析のためのデータの提供を控えている。このままでは、二つの論文は撤回され、後世に情報は伝わらない。これでいいのだろうか。このデータをどう扱うか、今こそ市民に問いかけてはどうだろう。

震災直後の福島は大混乱だった。手続きが不備だったものは少なくないだろう。今回のケースは氷山の一角である可能性が高い。不備があった場合、そのようなデータを残すか否かは、市民で決めてもらってはどうだろうか。今こそ、正確な情報を社会に開示し、オープンに議論すべきである。

 ※「個人情報保護法等の改正に伴う研究倫理指針の改正について」のURL:https://www.mhlw.go.jp/file/06-Seisakujouhou-10600000-Daijinkanboukouseikagakuka/0000170955.pdf?fbclid=IwAR3HrCLcBOqKRrXDhwongr6DdejlpLDMvIt_j1r65erZjhbmuTRBXOqWCCs

トップ写真:乳幼児用高精度内部被ばく検査装置 出典:公益財団法人 震災復興支援放射能対策研究所

【2019年2月4日10:00 以下修正致しました。】

誤 「連結不可能匿名化」 

正 「連結可能匿名化(条件を満たす特定の人以外は個人が特定できないように匿名化すること)」

 


この記事を書いた人
上昌広医療ガバナンス研究所 理事長

1968年生まれ。兵庫県出身。灘中学校・高等学校を経て、1993年(平成5年)東京大学医学部医学科卒業。東京大学医学部附属病院で内科研修の後、1995年(平成7年)から東京都立駒込病院血液内科医員。1999年(平成11年)、東京大学大学院医学系研究科博士課程修了。専門は血液・腫瘍内科学、真菌感染症学、メディカルネットワーク論、医療ガバナンス論。東京大学医科学研究所特任教授、帝京大学医療情報システム研究センター客員教授。2016年3月東京大学医科学研究所退任、医療ガバナンス研究所設立、理事長就任。

上昌広

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