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.社会  投稿日:2016/5/7

福島で被ばく検査を続ける意味


上昌広(医療ガバナンス研究所   理事長)

「上昌広と福島県浜通り便り」

3月末で10年半勤務した東大医科研を退職した。港区高輪に「医療ガバナンス研究所」を設立し、医科研の研究室のスタッフともに移籍した。今後は、こちらをベースに活動する予定だ。福島の医療支援も続けたい。

 福島県浜通りの住民と話すと、「被曝の検査を、これ以上続ける必要はあるのですか」と聞かれることが増えた。震災直後は希望者が殺到した内部被曝検査の受診者も激減した。私たちの研究室の卒業生で、震災後、現地で被曝検査に従事している坪倉正治医師は「成人の場合、受診率は8%程度まで低下しています」という。住民は被曝への関心を失いつつある。

 確かに、福島の被曝レベルは、当初予想されたより遙かに低い。例えば、2月26日、相馬市は15年度に内部被曝検査を受診した小中学生2,592人全員が検出限界値を下回ったと発表した。

 また、同日、相馬市は、市内在住の子どもおよび妊婦を対象に、15年9月~11月まで個人線量計(ガラスバッジ)を装着し、外部被曝を推計した結果を発表した。検査を受けた1,949人のうち、年間の推定追加外部被曝線量が1.0ミリシーベルトを超えた人はいなかった。内部被曝同様、外部被曝も問題にならなかった。

 この状況は、南相馬市やいわき市など、他の浜通りの自治体も変わらない。現在、福島県内で流通する食材は放射性物質の検査を受けており、市販の食材だけを食べている人からは誰も内部被曝は検出されていない。福島の人々は、放射線と上手く付き合うノウハウを確立しつつある。

 事態が、ここまで改善すれば、冒頭にご紹介したように、「被曝検査は不要」と考える人がいてもおかしくない。むしろ、自然なことだろう。ところが、私は、そうとは思わない。

 ではなぜ、被曝検査を継続すべきなのだろう。二つ理由がある。

 第一の理由は油断だ。実は1986年に起こったチェルノブイリ原発事故で住民の内部被曝が最大になったのは、原発事故から12年目だ。1991年の旧ソ連崩壊による経済危機もあったが、住民が汚染された食材を摂取するようになった。油断したのだろう。検査体制を維持し、教育活動を継続する必要がある。

 もう一つの理由は差別対策だ。原発事故直後、福島県から避難した子どもが、放射性物資による汚染を理由に保育園への入院を拒否されたり、学校でいじめにあうなどしたことが報じられた。最近、このような報道はなくなったが、実態は大きく変わらない。単に報道されなくなっただけだ。

 差別は、そんなに簡単になくならない。被曝が差別を生むのは、我が国だけの問題ではない。原発事故から30年以上が経過したベラルーシでは、いまだに「放射線汚染地域出身者とか結婚させたくない」と言う人がいる。

 この問題を研究している相馬中央病院の森田知宏医師は「穢れ思想に通じる部分がある」と指摘する。

前出の森田医師の文章の中で、福島市内で除染活動に従事する曹洞宗常円寺住職の阿部光裕氏は「穢れ思想は、平穏な日常を送りたいと思う人が、非日常を忌み嫌うという中から生まれてきた」と述べている。多くの国民にとって、福島は非日常であり、出来れば関わり合いたくない。

 福島の子どもたちも、このことをひしひしと感じている。2013年に相馬市が中学生1,012人を対象としたアンケートでは、約4割が「結婚の際、不利益な扱いと受ける」と回答した。

 どうすればいいのだろう。森田医師は、「この問題の構造は、被差別部落問題やハンセン病差別問題と似ており、解決するためには医療界・教育・宗教・メディアが連携する必要がある」と言う。私も全く同感だ。

 この中で、私たちが出来ることは、粛々と被曝検査を続けることだ。放射性ヨウ素による甲状腺癌を除けば、不妊や癌などの問題を起こすのは主として放射性セシウムだ。現在の検査体制を維持すれば、放射性セシウムによる被曝量は正確に評価できる。

 幸い、相馬市や南相馬市は学校健診の中に内部被曝検査を盛り込み、問題がないことを確認している。そして、学校健診に組み込まれているため、いまだに内部被曝検査の受診率は9割を超える。このことは後々効いてくる。なぜなら、成長した子ども達が、流産やがんを経験しても「被曝が原因でない」と明言できるからだ。現在、我が国では二人に一人は癌になり、20代で10%、30代で25%程度の女性が流産する。

 ベラルーシで30年以上差別が続いていることを考慮すれば、福島出身者が将来、癌になったり、流産した場合に、配偶者やその家族が「福島で被曝したせいだ」と考えても不思議はない。「なぜ、避難しなかったのか」と批判される人も出るだろう。

 その際、内部被曝していないという自分自身の検査結果を提示することは、何にも増して説得力がある。福島で育った子どもを言われなき差別から守る一助になるはずだ。

 以上は、東日本大震災以降、私どもの研究室が地元の自治体や医療機関をお手伝いしてきた活動の一部だ。地道に続けていきたい。

 


この記事を書いた人
上昌広医療ガバナンス研究所 理事長

1968年生まれ。兵庫県出身。灘中学校・高等学校を経て、1993年(平成5年)東京大学医学部医学科卒業。東京大学医学部附属病院で内科研修の後、1995年(平成7年)から東京都立駒込病院血液内科医員。1999年(平成11年)、東京大学大学院医学系研究科博士課程修了。専門は血液・腫瘍内科学、真菌感染症学、メディカルネットワーク論、医療ガバナンス論。東京大学医科学研究所特任教授、帝京大学医療情報システム研究センター客員教授。2016年3月東京大学医科学研究所退任、医療ガバナンス研究所設立、理事長就任。

上昌広

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