韓国メディア王の落日 文政権に打撃
朴斗鎮(コリア国際研究所所長)
【まとめ】
・JTBCテレビの孫石煕社長が、暴行・背任容疑事件を起こした。
・背景は金記者のひき逃げ事故取材とその後の2者のやり取り。
・孫社長の求心力低下は文政権にとって痛手。
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文在寅政権はいま、大統領府内の不正腐敗に対するさまざまな内部告発と、次々と明らかになる与党議員の不正疑惑、そして文大統領の娘一家の複雑な自宅売却とタイへの移住などで大きく揺れ動いている。
特に大統領最側近の金慶洙(キム・ギョンス、51)慶尚南道知事が、「インターネット不正世論操作事件」(ドルイトキング事件)を指揮したとして宣告された懲役2年有罪判決は、文政権にメガトン級の衝撃を与えた。
写真)金慶洙氏
そうした中で、文政権を登場させる宣伝扇動で大きな役割を果たし、朴槿恵大統領弾劾のキッカケとなった「崔順実タブレットPC」ねつ造疑惑により、韓国の右派から「文政権のゲッペルス」と揶揄されている、JTBCテレビの孫石煕(ソン・ソッキ)社長が、暴行・背任容疑事件を引き起こし文政権にもう一つの打撃を与えている。
JTBC社長兼アンカーの孫石煕氏は、去る1月10日の午後11時50分ごろ、麻浦区三岩洞のJTBC社屋近くの居酒屋で暴行事件を起こしていたことが1月24日に明らかになった。暴行を受けたのは京郷新聞、KBS、ロイターなどの記者を経てフリーランス記者として活動する金ウン氏だ。金ウン氏は警察に被害届を出し、診断書と事件の経緯を記した陳述書も提出した。診断書には全治3週間となっている。
韓国メディアの報道によると、暴行事件の根は、1年9カ月前にあった孫石煕氏の「当て逃げ事件」と孫石煕氏の車に乗っていた「同乗者」に関する金ウン記者の取材プロセスにあったようだ。
写真)文在寅氏
出典:韓国大統領府ホームページ
■ 孫石煕JTBC社長の当て逃げ事件
孫石煕JTBC社長は、2017年4月16日(セウォル号事件3周忌)の夜10時ごろ、京畿道果川市のある教会前の空き地でバックしているときにレッカー車とぶつかる衝突事故を起こした。レッカー車運転手のK氏によるとバンパーがへこみライトにひびが入ったという。
ところが孫石煕氏は、そのまま発進し一方通行の道を100Kmのフルスピードで逃走した。K氏は仲間たちと警察に連絡し、約1.5Km追跡したところで赤信号で停車していた孫石煕氏の車に追いついた。K氏は近づいてトランクを強く叩き外に出てくるように促したが、またもや孫石煕はそのまま発進したという。しかしそれからさらに1・6Kmの所で駆け付けた仲間のレッカー車に前方を阻まれて停車せざるをえなくなった。車から出てきた人物がJTBC社長の孫石煕だったので一同は驚いたという。そこで孫社長は警察沙汰にするより被害補償を現金で済ませてはどうかと持ちかけ、次の日に牽引車の運転手K氏に150万ウォンを送金した。
孫社長が主張する「傷の痕跡もない接触事故」にしては大きな金額であった。警察も現場に到着したが当事者同士の示談が成立したとしてその場を立ち去った。通常の事件であれば不道徳な「当て逃げ」事件であったが、これで一件落着となる所だった。しかし、孫石煕社長が猛スピードで逃走した裏には孫社長が知られたくない「同乗者」問題があったようだ。
■ 金ウン記者の孫石煕氏への取材開始
被害者K氏の関係者から情報提供を受けた金記者は孫代表に取材を申し入れた。情報提供者の証言で、孫石煕社長が運転していた車(会社の公用車で現代の高級車ジェネシス)の助手席に若い女性が乗っていたとの情報を得たからだ。孫石煕氏は金ウン氏にその点を聞かれると、90歳の母親だったと主張し、そうしておこうではないかと同意も求めた(あまりにも信ぴょう性に欠け誰からも信用されないので、告訴段階では助手席には誰も乗っていなかったと証言を変えた)。
ここから金記者と孫社長の2年近い交流が始まることになる。朝鮮日報が入手した金記者の録音記録によると、孫社長は昨年9月8日、金氏との通話で「(記事を)書いた瞬間、押し寄せる人が大韓民国の半分に達するだろう」と圧迫したという。
孫石煕社長は、暴行事件を明らかにされた1月24日、立場表明文で2年近くの交流を一転して金記者から脅迫されていたと主張し、金記者が交通事故取材を口実に「不法な就労を請託した」として脅迫罪で告訴した。
金記者のメッセージ記録の中には、昨年9月に孫社長を取材しながら「先輩と同じ船に乗りたい」と「請託」を匂わすような発言もあるが、金記者はそれに対して「それは孫社長が私に家庭内の悩みまで語り、さかんに一緒に仕事をしようと促したからだ」と主張し、そうしたやり取りのメーセージを公開した。確かに「脅迫」したのであれば即刻警察に訴えればよいものを2年近くも酒を酌み交わし交流したというのは不自然だ。
二人が交わしたメッセージによると、孫社長がJTBCに金記者を就職させるために自ら進んでいろいろと動いていた状況が鮮明だ。むしろ孫社長が金記者の「抱き込み」をはかったのではないかと思わせる内容が多い。孫社長は、金記者に昨年12月に送信した孫社長のメッセージでも「(公式採用の場合)私が押し込もうとしたとの反発が多い」とし「しかしあなたに対し申し訳ないことだと思っている」としている。
孫社長は今年1月に入っても自身の「アンカーブリーフィング」を書く作家職を金記者に提案した。金記者に文字メッセージを送信し「アンカーブリーフィングにメンバーをもう一人投入しようと思うと提案したら、みんなが喜び、誰にするのかと期待も大きい」とし「予算を絞り出して、気持ちよく給料をとれるようにした」と伝えた。しかしこの提案はむしろ金記者の自尊心を傷付けることになり受け入れられなかった。
■ 新たな提案を金記者に拒否された孫石煕氏、一転「告訴」へ
孫社長は暴行事件当日の1月10日、暴行行為と関連し「(私が就職の要求を)拒絶したら(金記者が)突然怒り出したので、「冷静になれと手でとんとんと触れただけだ」とした。
しかし、金記者が暴行のいきさつを録音し、居酒屋を出て「訴える」と近くの交番を探そうとしたら、孫社長は後を追ってきて、「怒りを収めて仕事に就こうよ」とし「私あなたに仕事をさせなければならない」と言った内容が録音されていた。金記者が「すべて終わった」と言うと「いいや終わっていない」と言いながら「すぐにでも仕事が必要だ、私が必要だから。働いて。うん?」と言ってせまったという。これが脅迫された人の対応なのか疑問だとの声がほとんどだ。
金記者が「暴行事件を暴露する」との意思を明らかにしたら、今度は「投資と請負契約を提案してきた」という。孫社長は、暴行事件のあった後の1月18日午後2時、金記者に「君が同意できるような新たな提案を今日会社側から受けた、今まで、私たちが話したこととは次元を異にした方法で解決を試みることにした」との文字メッセージを送った。
この日の夜、孫社長は、ソウル江南区駅三洞(カンナムク・ヨクサムドン)のあるアパートに金記者を訪ねた。金記者の友人である弁護士の家である。録音記録によると、孫社長はそこで「その程度(投資)では到底(合意を)することができないというのが金記者の考えだろ」とし「それが難しいなら系列会社の中で、できる仕事のあるところと年間2億4000ウオンで請負契約を結ぼう」と提案した。
金記者は孫社長に「口頭での約束は意味がない」と約定書を要求したが孫社長はそれを拒否したという。結局、協議は成立しなかった。しかしこの点が会社の資金を個人の問題解決に流用しようとしているとして、市民団体(自由青年連合)から背任罪で告発される根拠となってしまった。二人が直接会ったのはこの時が最後だ。
提案が拒否されると孫社長は1月24日、「(金記者が)就職請託が思い通りにならなかったため、私を脅迫してきた」と表明し告訴した、25日には「金記者が孫社長に巨額を要求する内容が盛り込まれた具体的な恐喝材料を捜査機関に提出する」とした。ただし、いつ脅迫を受けたのかの時点は明らかにしなかった。孫社長は暴行の疑いが報道された24日、検察に金記者を告訴した。朝鮮日報が孫社長とJTBC側にこれと関連した意見を尋ねたが答えを聞くことができなかった。
孫石煕社長に対する警察の調査は間もなく始まる。金記者に対する事情徴収も始まるが、その中で孫石煕社長の不思議な2年間の行動と、いわゆる「同乗者」の問題を明らかにせざるを得なくなるだろうというのが大方の見方だ。孫社長の支持者からは、暴行事件と言っても金記者がテレビ出演までして「謝罪してくれればいい」と言っているものをなぜここまで大事件にしているのか理解に苦しむ声が多い。
■ 孫石煕社長の落日は近い
いま韓国の報道関係者の間では、文政権と結びつきメディア業界で帝王のように振舞ってきた孫石煕社長も終わりを迎えることになるだろうと観測されている。視聴者からの批判もあるが、JTBCと親会社の中央日報を実質的に牛耳るサムソン副社長李在鎔(イ・ジェヨン)氏の叔父で、次期大統領を狙う洪錫炫(ホン・ソクヒョン)氏が、著しくイメージをダウンさせた孫石煕氏を「用済み」として切り捨てる可能性が高いからである。
文政権はいま様々な政治的困難に直面しているだけでなく、支持率維持マシーンといえるJTBCテレビと孫石煕社長の宣伝扇動力まで失う危機に直面している。
トップ写真:JTBC社長の孫石煕氏)出典:Trainholic
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この記事を書いた人
朴斗鎮コリア国際研究所 所長
1941年大阪市生まれ。1966年朝鮮大学校政治経済学部卒業。朝鮮問題研究所所員を経て1968年より1975年まで朝鮮大学校政治経済学部教員。その後(株)ソフトバンクを経て、経営コンサルタントとなり、2006年から現職。デイリーNK顧問。朝鮮半島問題、在日朝鮮人問題を研究。テレビ、新聞、雑誌で言論活動。著書に『揺れる北朝鮮 金正恩のゆくえ』(花伝社)、「金正恩ー恐怖と不条理の統