英国の紅茶から見る食と歴史

林信吾(作家・ジャーナリスト)
林信吾の「西方見聞録」
【まとめ】
・英中世、コーヒーを異端審問にかけようとした歴史。
・英のお茶の広がりは植民地支配が背景。
・外国の食文化はその歴史を知ることで正しい理解が進む。
【注:この記事には複数の写真が含まれています。サイトによっては全て見ることができません。その場合はJapan In-depthのサイトhttps://japan-indepth.jp/?p=45328でお読み下さい。】
前回、フィッシュ・アンド・チップスに代表される英国料理は、産業革命期の労働者に高カロリー・高タンパクの食事を安価に供給したいという、権力側の思惑によって定着したものであると述べた。
もうひとつ、英国を象徴する飲み物とも言える紅茶だが、こちらは産業革命以前の、植民地獲得競争と不可分の歴史がある、と聞かされたら、驚かれるであろうか。もともとヨーロッパに広まった飲み物としては、コーヒーが先んじていた。
中世イスラム社会で、当初は宗教家や学者の眠気覚ましとして、やがて嗜好品として庶民にまで広まっていったコーヒーの存在が、商人や学者を通じて知られるようになったものだが、当初はイスラムに対する反感から、忌避する動きさえあった。
「キリスト教徒にとっての聖なる飲み物であるワインを、彼ら異教徒は飲むことができず、代わりにコーヒーを飲む罰を神によって課せられた」などという話が広まり、ついにはコーヒーを異端審問にかけようという騒ぎにまで発展した。
しかし、当時の法王クレメンス8世は「審問の準備のため」コーヒーを試し、その味と香りに魅せられた結果、洗礼を行って(!)キリスト教徒が飲用することを公認したと伝えられる。ちなみに、1600年頃の話だ。
▲写真 クレメンス8世 出典:Wikimedia Commons
実はイスラム圏でも、コーヒーは「人間を堕落させる」として禁止令が出されたことが複数回あったようだが、これはまあ、余談。
イングランドでは1650年、大学の街オックスフォードに最初のコーヒーハウスが開業し、17世紀を通じてロンドンはじめ各都市に広まった。ヨーロッパ大陸諸国と同様、顧客は主として生活に余裕のある階級で、コーヒーを飲みながらチェスや議論を楽しむのが、ある種のステータスであったようだ。コーヒーハウスの経営で大いに儲け、海運保険にまで進出したのが、日本でも有名なロイズである。
▲写真 1870年コーヒーハウス(パリ)出典:Wikimedia Commons; Fred Barnard
ところが18世紀の半ば過ぎから、インド亜大陸の植民地支配が確立して行くとともに、大量の茶がもたらされるようになってきた。
この植民地支配の構図は、インドからは茶などを本国に持ち帰り、代わって綿製品などを売りつけるというもので、つまりは茶の「内需拡大」を通じて植民地の人々に一定の購買力を与える必要があった。
そこで官民挙げての「お茶を飲みましょうキャンペーン」が展開され、コーヒーハウスは次第に駆逐されていったというのが事実である。
英国式ミルクティーなどと聞くと、なにやら高級な飲み物のようだが、もともとは高価な輸入品であった茶を、安価な牛乳で割って飲む、という知恵であった。ロンドン生活の経験がある日本人の多くが、「本場の紅茶はやはりおいしい」という感想を書きとどめているが、ここにも実は秘密がある。ロンドンの水道水は、石灰分が非常に多い硬水なのだ。電気ポットなど掃除を怠ると、1ヶ月もしないうちに内部に石灰の膜ができてしまう。専門的なことまでは私にも分からないが、この水が、紅茶によく合うのだということは、経験上、事実である。
一方、英国では茶と言えば紅茶のことだが、これは、インド洋を船で運んでいる間に茶葉が蒸れてしまったのだが、たまたま香りが増したので定着した、という話がある。これは一種の都市伝説で、茶葉を発酵させて飲料にする方法は、インド亜大陸でも中国大陸でも、かなり古くからあった。
一方で、茶葉の輸送については、ウィスキーの銘柄になったことで日本でも知られるカティ・サーク号など、高速の帆船を多数建造し、鮮度の確保に心を砕いていたのである。
ミルクティーとは逆に、日本人から不当な誤解をうけがちなのが、英国の「午後の紅茶」につきもののキューカンバー・サンドウィッチだ。
▲写真 キューカンバー・サンドウィッチ(イメージ)出典:pixabay; Einladung zum Essen
読んで字のごとくキュウリを挟んだだけのサンドウィッチで、私自身、初めて食べた時は、やはり油ギトギトの魚のフライばかり食べていると、たまにはこういうものが食べたくなるのかねえ、などと考えた。
たしかに「飽食」とまで言われる現代の日本人の感覚では、こんなものは、キリギリスの餌じゃあるまいし、と思える。しかし、いにしえのイングランドではキュウリは高価で貴重な野菜であったので、つまりは「セレブ御用達」の食べ物だったのだ。このように、時代と共に食べ物についての価値観も変わることは、洋の東西を問わず、珍しいことではない。
日本の刺身にせよ、かつては脂身の少ない白身ほど高級だと考えられていたので(今もそう考える人は結構多いが)、マグロのトロなどは下層階級向けだとされていた。
ベーコンエッグにソーセージや焼きトマト、豆料理などを盛り合わせたイングリッシュ・ブレックファストにせよ、前回述べた通り労働者階級向けで、中流以上の家庭では、朝食はあっさりしたものが好まれる。エリザベス2世女王の朝食は長きにわたって、パンとフルーツと紅茶だけであると聞く。
ヴェトナム戦争当時、米国の情報機関(CIAか軍の情報部かは不明)からホワイトハウスに、「ヴェトコン(南ヴェトナム解放民族戦線)は深刻な食糧不足の模様」という報告がもたらされたことがある。その根拠は、
「彼らはネズミの肉を食べている」というものであった。
インドシナ半島のかなり広い地域において、古来ネズミが日常的なタンパク源であることも知らずに、こんな情報に頼っていたのも、敗因のひとつではあるまいか。
スペインという国は、正しくはイスパニアと呼ばれるが、これは「ウサギの土地」という意味だ。代表的なスペイン料理であるパエリアなど、日本ではエビやイカを入れるものと思われているが、あれは「パエージャ・マリスコス=漁師のパエリア」というバリエーションで、本場アンダルシア地方では、ウサギの肉を使うのが正調とされている。
▲写真 ウサギの肉を使ったパエリア 出典:pixabay; RalfGervink
他にも、ウンチクを並べ始めるときりがないが、総じて言えることは、外国の食文化というものは、その歴史も含めて知識を蓄えて行かないと、正しい理解に至ることはできない、ということだ。
だからこそ楽しいので、食文化について調べるのはやめられないが、もっと楽しく、絶対にやめられないのは、各地を旅して美味しい物を食べ歩くことである。
トップ写真:コーヒーと懐中時計(イメージ)出典:pixabay; Pexels
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この記事を書いた人
林信吾作家・ジャーナリスト
1958年東京生まれ。神奈川大学中退。1983年より10年間、英国ロンドン在住。現地発行週刊日本語新聞の編集・発行に携わる。また『地球の歩き方・ロンドン編』の企画・執筆の中心となる。帰国後はフリーで活躍を続け、著書50冊以上。ヨーロッパ事情から政治・軍事・歴史・サッカーまで、引き出しの多さで知られる。少林寺拳法5段。
