悠仁親王の帝王学は京都と世界で
岩田太郎(在米ジャーナリスト)
「岩田太郎のアメリカどんつき通信」
【まとめ】
・世界情勢激動期に即位される悠仁親王に時代の精神示す役割も。
・人格形成期に京都や奈良で皇祖の歴史と伝統を学ぶことを願う。
・皇室の継続と継承の役割を将来の天皇が体感されることは重要。
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平成から令和へと御代が移り変わる。天皇の崩御ではなく、譲位による時代の変化であるために米国のとらえ方は冷静で、悪く言えば無関心だ。
中国が米国の超大国としての地位を脅かすようになった今では想像ができないかも知れないが、1989年1月に昭和天皇が崩御されて御代が移り変わった際には、中国ではなくわが国が米国の産業やイノベーションの地位を脅かすと広く信じられており、米論壇やメディアの熱い注目を浴びたものだ。今回は、変化が外から見えにくい。
そうした目立たない時代の変遷の裏で、さらに見えにくいのが「令和の次に来るべきもの」である。皇位継承者の順番からすれば、新陛下の後を継いで即位されるのは皇嗣殿下であられる秋篠宮文仁親王(53)だ。だが、同世代の新陛下の御代が長くなるほど高齢即位となり、不都合も多い。
ご自身の第1男子であられる悠仁親王(12)に即時の譲位をされるのか、注目される。
こうしたなか、米国の衰退や中国の台頭、朝鮮半島情勢の急激な変化など、世界の激動の中で迎える令和の始まりにおいて、将来の天皇となられる悠仁親王の青年期について考えておくことは、日本国民にとって極めて重要なことだ。
▲写真 悠仁親王(2013年11月)出典:外務省ホームページ
■ 聡明にお育ちの親王
悠仁親王は4月8日、東京都文京区のお茶の水女子大学附属中学校に御入学あそばされ、114人の新入生を代表して「それぞれが持っている力を大事に伸ばし、可能性や視野を広げていきたい」と4分間にわたり宣誓された。
大変、ご聡明にお育ちの様子で喜ばしい限りである。また、悠仁親王が9歳になられた時には、友達と仲良く虫捕りをされ、学校では「信号機システム」を作成されていたという。
言うまでもなく、信号機とは「道路における交通の安全の確保、若しくは交通の流れを円滑にするために、進行許可・停止指示などの信号を示す装置」であり、行くべき道の選択の指示を示唆している。悠仁親王の将来の役割を暗示しているようだ。
もちろん、天皇が憲法で定められた象徴という存在であるわが国において、悠仁親王が即位された際に、直接政治を行う親政を行われるということではない。御即位になる時に、時代の方向性や精神を象徴的に体現される存在になられる可能性が大きいということだ。
今上陛下にあらせられては、祖父の昭和天皇が敗戦直後に日本の方向性を「米軍による沖縄占領の継続」「講和条約交渉への介入」を通して「米国への安全保障依存と従属」とご示唆になり、その路線が上皇陛下にも受け継がれたことから、既定路線を継承なさることであろう。
▲写真 新年をお迎えになった皇室ご一家 出典:宮内庁ホームページ
■ 悠仁親王が歩まれる激動の時代
だが、悠仁親王が御成人になられ、さらに即位に至られるまでの世界情勢は、昭和天皇がお敷きになった路線の前提が崩れ、日本が否応なく変革を迫られる時期に当たる。米国は自ら世界的な軍事リーダーの地位を降り、代わって世界覇権を「中国夢」で目論む中国が台頭する。
朝鮮半島では、中国の意を体する北朝鮮が米トランプ政権から核兵器保有の承認と在韓米軍の撤退を取り付けることに成功し、韓国を吸収統一して、「38度線」を対馬海峡にまで前進させることだろう。
そうした激動の時代が、悠仁親王の人格形成期と重なる。軍事を含む日本のあり方そのものが変わる時期に、悠仁親王が御即位になる可能性が極めて高い。
その中で、象徴的な存在でありながらも、身を以って新しい日本のあり方と方向性を国民にお示しになり、国体の変化をお告げになる役割が悠仁親王には負わされているのである。悠仁親王が小学生の時に、安全の確保や進行の指示を出す「信号機システム」をお作りになったことは、その雛形なのかも知れない。
繰り返すが、悠仁親王は親政を敷かれるのではなく、象徴的な形で日本の方向性や時代精神をお示しになる役割が好むと好まざるとにかかわらず、時代によって負わされているのである。
■ 広く深く京都や世界で帝王学を
その悠仁親王に関してマスコミがもっぱら話題にするのは、高校進学先や東京大学への入学計画だ。だが、悠仁親王の重責を思えば、進学のことなど些末なことに過ぎない。
大事なのは、多感な時期に何を体感されるか、何を経験されるか、何をお考えになるかである。悠仁親王におかれては、表面上の学歴よりも、できるだけ広く、そして深くお学びになっていただくことが、将来の日本のためになる。
大学時代に欧米にご留学になることは当然だろうが、それよりも大切なのは、皇祖の生き方や身の処し方を学ばれることではないだろうか。それが、国のあり方を象徴的に体現される際に必須となると思えるからである。
悠仁親王におかれては、人格形成の時期に京都や奈良でお勉強をされ、皇祖の歴史と伝統を学ばれることが好ましいと思惟する。京都や奈良には、そこら中に天皇陵があり、朝廷の存在感が今も漂う。歴代天皇の足跡と記憶が暮らしに息づいている。
▲写真 御廟野古墳(天智天皇陵)京都市 出典:Shigeru-a24(Wikimedia Commons)
日本人とは誰なのか、日本とは何か、何を目指すのかを、京都や奈良で皇祖と触れ合うご勉学の中で自らお考えになっていただきたいと、心から願う。夏休みや冬休みの間だけでもいい、歴史に触れていただきたい。
天皇とは何か、継承とは何か、どうあるべきかを肌で学べる町、それが京都や奈良である。民に愛された方も、そうでないお方も、庶民の生活の中に天皇が生きておられた町だ。
継続と継承がその役割である皇室の永い歴史を、将来の天皇が体感されることほど重要なことはない。これからも連綿と続く皇室の歴史においては、激動期の天皇が皇祖の地で帝王学を学ばれることは、大いに益となる。
令和時代の始まりにぜひ、政府に検討してもらいたいところだ。
トップ写真:秋篠宮ご一家(平成30年文仁親王殿下お誕生日に際して)出典:宮内庁ホームページ
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この記事を書いた人
岩田太郎在米ジャーナリスト
京都市出身の在米ジャーナリスト。米NBCニュースの東京総局、読売新聞の英字新聞部、日経国際ニュースセンターなどで金融・経済報道の訓練を受ける。現在、米国の経済・司法・政治・社会を広く深く分析した記事を『週刊エコノミスト』誌などの紙媒体に発表する一方、ウェブメディアにも進出中。研究者としての別の顔も持ち、ハワイの米イースト・ウェスト・センターで連邦奨学生として太平洋諸島研究学を学んだ後、オレゴン大学歴史学部博士課程修了。先住ハワイ人と日本人移民・二世の関係など、「何がネイティブなのか」を法律やメディアの切り口を使い、一次史料で読み解くプロジェクトに取り組んでいる。金融などあらゆる分野の翻訳も手掛ける。昭和38年生まれ。