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.国際  投稿日:2019/6/11

離脱で浮上、国境問題リスク メイ首相辞任後の英国の運命(下)


林信吾(作家・ジャーナリスト)

林信吾の「西方見聞録」

【まとめ】

・EUからの「合意なき離脱」の真のリスクは経済問題よりも国境問題。

・大ブリテン島で国境が復活し、北アイルランドが離脱する可能性も。

・問われているのは「国家のあり方」。日本とアジアの将来の参考に。

 

【注:この記事には複数の写真が含まれています。サイトによっては全て表示されないことがあります。その場合はJapan In-depthのサイトhttps://japan-indepth.jp/?p=46224でお読みください。】

 

英国が、なんら取り決めを交わさずにEUから離脱した場合、経済的な混乱以上に問題となるであろうことーーそれは国境問題である。

不思議なことを言い出す、と思われた向きもあるだろうか。英国は島国なのに、と。ここで思い出していただきたいのは、英国の正式な国名が、

「グレートブリテンおよび北部アイルランド連合王国」である、ということだ。このことは、すでに紹介させていただいた。

もともと大陸からやってきたアングロサクソンの国であるイングランドと、先住民族であったケルト人のスコットランド、ウェールズ、そしてアイルランドは別々の国であった。

▲図 イングランド、ウェールズ、スコットランド、北アイルランド 出典:Wikimedia Commons; File:British Isles all.svg by Cnbrb File:United Kingdom countries.svg by Rob984 Derived work: Offnfopt – United Kingdom countries.svg

たとえばウェールズは1282年にイングランドによって制服されたのだが、当地の貴族たちには、隙あらば反乱を起こし独立を回復しよう、との機運が見られた。

これを知った時のイングランド王エドワード1世は、1284年に生まれたばかりの王子に、末子であったにもかかわらずエドワード2世の名と「プリンス・オブ・ウェールズ」の称号を与え、「次のイングランド王は、ウェールズで生まれ、ウェールズ語を習得するであろう、この王子である」と宣言した。今考えても、なかなか巧みな懐柔策であり、また読者ご賢察の通り、英国皇太子がプリンス・オブ・ウェールズを名乗る習慣は、この時から始まっている。

スコットランドなどは、幾度もイングランドと戦争になったものの全面屈服はせず、その後1707年に、イングランドと「同君連合」を形成することとなった。イングランドによる吸収合併も同然であったが、世界最古の王国のひとつである、かの地の人々がこれを受け容れたのは、主として経済的な理由であった。植民地獲得競争において、後れを取りたくなかったのだとも言える。

しかしながら独立の機運はその後も繰り返し盛り上がりを見せ、近代に入っても、独立を目指すスコットランド国民党は(議会内勢力としては、労働党と歩調を合わせることが多いが)多数の下院議員を当選させ、地方選挙では連戦連勝を誇っている。

2005年には、ついに独立の是非を問う住民投票が実施されたが、反対票が55パーセントを占め、ひとまず英国の一部にとどまることが決まった。しかし今次のブレグジットをめぐる政治的混乱を受け、国民党は、「もしもEU離脱が現実のものとなるのであれば、独立してスコットランド一国がEUにとどまるという政策の是非を問うべく、再度の住民投票を実施する」と宣言している。スコットランド議会において、国民党は今も最大勢力なので、保守党などが再度の住民投票を阻めるとは考えにくい。

▲写真 メイ英首相とスコットランドのニコラ・スタージョン首相の会談(2016年7月15日)出典:Wikimedia Commons; First Minister of Scotland

また、目下連載中の「悲劇の島アイルランド」で今後詳しく見て行くことになるが、あの島もかつて英国に占領され、独立を回復した後も、北部のアルスター地方だけは英国の一部としてとどまることとなった。これは、かの地で支配的な地位を占めていた、スコットランド系プロテスタントの住民の意思を汲んだものであるが、そのプロテスタント諸派も、ブレグジットには否定的だ。

具体的には、プロテスタント諸派の中でもっとも保守的であるとされ、保守党政権に閣外協力していた民主統一党でさえ、メイ首相が示した離脱案(事実上EUとの妥協案)に対しては、ことごとく反対票を投じたし、最近では、「ブレグジットによってアイルランドの労働者・農民の生活が脅かされるのを座視するくらいなら、カトリック諸派と和解してアイルランド統一を模索するのも選択肢」と言い出す人もいるほどだ。

そもそも、激しい反英テロを繰り返していたIRA(アイルランド共和軍)などカトリック過激派が、1990年代に入って急に和平交渉に応じたのは、英国政府の努力もあったが、基本的には冷戦終結からヨーロッパ統合という流れがあったからこそである。

別の言い方をすれば、EUという国境なき国家連合にともに加わることで、暴力に訴えてでもアイルランドを統一するという大義名分が失われていったわけだが、英国が強引にEUから離脱するとなると、話はまったく違ってくる。

彼らカトリックの過激派からは、現在のような、北アイルランドとアイルランド共和国との間での自由な往来が許されなくなった場合は、「反英武装闘争の再開も辞さない」との声まで聞かれる。

▲写真 北アイルランドのロンドン・デリーで起きた自動車爆弾によるとみられる爆発。アイルランド共和軍(IRA)の犯行との見方も(2019年1月19日)出典:flickr; Tiocfaidh ár lá 1916

メイ首相が合意なき離脱に踏み切れなかった最大の理由は、この国境問題を解決する妙案が見いだせなかったからであるし、英国が直面する本当のリスクとは、経済問題よりも国境問題ではないかと私が心配する理由は、お分かりいただけたことと思う。

もちろん、住民投票の結果はなかなか予測しがたいが、ひとつの可能性としては、大ブリテン島においては300年以上忘れ去られていた国境が復活し、アイルランドにおいては、北部が連合王国から離脱してしまうということも考えられる。しかもその可能性は決して低くはない。

たしかに、合意なき離脱による経済的混乱は、大きな問題だ。日本のホンダや米国のフォードなど自動車メーカーは、早々と生産拠点を英国外に移す構想を発表しているし、英国企業でも、掃除機など家電メーカーとして最近は日本でも有名になっているダイソンが、シンガポールへの本社移転の構想を発表した。ダイソンの経営陣は、英国財界には珍しく離脱を支持していたと聞くが、ようやく事の重大さに気づいたのだろうか。

地球の裏側にあり、なおかつEUと密接な関係にある日本のビジネスマンたちが、もっぱら経済的な側面からのみ、今次の騒動の行く末を案じるのは、当然のことである。しかしながら、この問題の本質とは「国家のあり方」が問われているのだということを、今一度考えてみるべきではないだろうか。

国境なき国家連合を実現させ、さらなる政治統合を志向するEUに対して、国民国家の立場を守り抜こうとする英国という図式は、日本とアジアの将来を考える上でも、大いに参考になると私は考える。

トップ写真:イギリス国旗と欧州旗 出典:英・欧州連合離脱省公式ウェブサイト


この記事を書いた人
林信吾作家・ジャーナリスト

1958年東京生まれ。神奈川大学中退。1983年より10年間、英国ロンドン在住。現地発行週刊日本語新聞の編集・発行に携わる。また『地球の歩き方・ロンドン編』の企画・執筆の中心となる。帰国後はフリーで活躍を続け、著書50冊以上。ヨーロッパ事情から政治・軍事・歴史・サッカーまで、引き出しの多さで知られる。少林寺拳法5段。

林信吾

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