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.社会  投稿日:2019/7/25

南相馬市の妊婦内部被爆報告


上昌広医療ガバナンス研究所 理事長)

【まとめ】

南相馬市の妊婦からは検出感度以上のセシウムは検出されず。

妊婦は食材選びに細心注意継続。風評解消は地道な発信要する。

不安に怯える生活を送る妊婦たちに寄り添い続けた医師がいた。

 

【注:この記事には複数の写真が含まれています。サイトによっては全て見ることができません。その場合はJapan In-depthのサイトhttps://japan-indepth.jp/?p=47045でお読み下さい。】

 

7月9日、英国医師会が発行する「BMJオープン誌」に「福島第一原発事故後の南相馬市の妊婦の放射性セシウムによる内部被曝と地元食材の消費行動」という論文が掲載された。著者は南相馬市立総合病院山本佳奈医師たちだ。

この研究は福島第一原発事故の歴史の記録として、長く参照されるものになるだろう。本稿では、この研究の概要とその背景をご紹介したい。

▲写真 山本佳奈医師 出典:山本佳奈 facebook

南相馬市は福島第一原発の北14~38キロに位置する。原発事故で放出された放射性物質により広範な地域が汚染された。南相馬市は2011年7月から南相馬市立総合病院にて、ホールボディカウンター(WBC)を用いた内部被曝検査を開始した。この中に妊婦も含まれた。

この研究は2012年4月から16年2月までの間に内部被曝検査を受けた579人の妊婦の合計804回の検査を分析したものだ。受診者の年齢中央値は30歳(範囲16~43歳)である。

原発事故後、南相馬市では市立総合病院に加え、西潤マタニティクリニック、原町中央産婦人科医院が分娩を取り扱っていた。南相馬市では、どの医療機関にかかっていても、どこに居住していても、希望すれば無料で内部被曝検査を受けることが出来た。回数は妊娠初期(9~12週)に1回、および後期(36週頃)に1回だ。

▲写真 ホールボディカウンター 出典:ふくしま復興ステーション 復興情報ポータルサイト

この検査の際、食品の消費活動に関するアンケート調査も行われた。具体的には米、肉、魚、野菜/果物、きのこ、牛乳という6つの食品の入手方法について、以下の4つの選択肢から選んでもらった。

 

タイプ1 原産地(福島県内か県外か)に関する情報に基づきスーパーで購入する

タイプ2 原産地を気にせず、スーパーで購入する

タイプ3 放射線検査を受けた自家栽培の食材を消費している

タイプ4 放射線検査を受けていない自家栽培の食材を消費している

 

3年10ヶ月にわたる調査期間に南相馬市における出生数は1,422人だった。全体のおよそ3割の妊婦が内部被曝検査を受けたことになる。

余談だが、本研究は南相馬市立総合病院での倫理委員会を通過し、臨床研究として実施されたものだ。内部被曝検査およびアンケート調査の結果を研究に利用することについては、個別に同意を取得した。

話を戻そう。この研究の結果は興味深いものだった。579人の合計804回の内部被曝検査で、一度も検出感度以上のセシウム(Cs)-134、およびCs-137は検出されなかった。以上の事実は南相馬市の妊婦におけるCsの内部被曝は無視できるレベルであることを意味する。

原発事故後の内部被曝は放射性ヨウ素(I-131)とCsが問題となるが、前者は半減期が8日と短かい。本研究に参加した妊婦は、最も早くて2011年7月の妊娠だから、原発事故で放出されたI-131は既に消失しており、胎児に影響する可能性はない。また、内部被曝検査の結果から、Cs-134, -137も妊婦には影響しないと言える。ストロンチウム(Sr)-90などの影響は完全には否定出来ないが、放出されたSr-90の量はCs-134, -137と比べて圧倒的に少なく、またCs-134, -137と異なる振る舞いをするとは考えにくい。

以上の事実を総合すると、南相馬市の妊婦に対する内部被曝の影響は無視できると言えそうだ。万が一、このような妊婦が産んだ胎児に何らかの先天障害があったとしても、避難をせず南相馬に留まったために蒙った内部被曝の影響ではないと言っていい。

原発事故で南相馬市は広範に汚染された。山間部と比較し、市街地の汚染は軽度で、除染などにより空間線量は日常生活に問題ないレベルだった。ところが、山菜や一部の魚介類の汚染は深刻だった。妊婦たちは、このような食材の摂取を避けた。

食材に関するアンケート調査は、妊婦が食材選びに細心の注意を払ったことを示している。2012年のアンケート調査の結果を、米から牛乳まで全食品をまとめて解析したところ、78%の妊婦が「タイプ1」とされる行動、つまりスーパーで福島県産以外を選択的に購入するという行動をとっていた

食材別には、米60%、肉69%、魚72%、野菜/果物58%、キノコ72%、牛乳67%だった。汚染が深刻とされた魚とキノコを特に回避していたことがわかる。

この傾向は、時間が経っても変わらなかった。原発事故から4年が経過した2015年においても、全食品を対象とした解析では75%の妊婦が「タイプ1」の行動をとっていた。肉や牛乳においては、「タイプ1」の行動をとる妊婦は45%、38%に低下していたが、米(57%)、野菜/果物(58%)などは2011年とほぼ同じレベルだった。

震災から4年が経過した段階では、福島県内では食材に対する放射線検査体制が整備され、流通している食材に限れば、福島県産食材を食べても内部被曝のリスクはほぼゼロになっていた。2015年の段階で福島県産か否かと産地に拘ることは「過剰な心配」と言っても過言ではなかった。このことは地元紙や地元のテレビを通じて、広く報道されていたが、妊婦は行動を変えなかった。

▲写真 米全袋検査場を視察する野田首相(2012年年10月7日) 出典:首相官邸ホームページ

福島県民が福島県産の農作物や魚介類を避けるのだから、福島県外の人々が福島県産品を避けるのはやむを得ない。こうやって風評被害が拡大していった。

政府や専門家は「風評被害対策には、正確な情報を社会に発信することが大切」というが、問題はそう簡単ではなさそうだ。「正確」な情報は繰り返しメディアで報じられた。一方で、SNSなどを介して「風評」も拡散した。

福島県内で活動する知人の僧侶は「福島県産というのがスティグマとなり、差別を生じている」という。同じような差別はチェルノブイリ事故後のソ連でも存在したようだ。放射線差別の根は深く、世界共通の問題だ。

どうすればいいのか。この差別を解消するための「特効薬」はない。時間がかかる。地道な作業をこつこつとやっていくしかない。我々にできることは、このような調査結果を記録として残し、世界に発信していくことだ。本稿は、そのような活動の一つである。

最後に、南相馬の妊婦を守った医師の事をご紹介して本稿を終えたい。この医師は南相馬市内で前出の原町中央産婦人科医院を経営していた故高橋亨平氏だ。

震災直後、一時的に避難したが3日後には原町に戻り、日常診療を再開した。不安に怯える生活を送っていた妊婦たちを支援した。彼らの最大の不安が被曝、特に内部被曝だった。彼が率先して動いたのが、南相馬市立総合病院への内部被曝検査の導入だ。

本稿では詳述しないが、このことを推し進めるにあたり多くの軋轢が生じた。行政の無策、興味本位の野次馬、多くが彼の前に立ちはだかった。

▲写真 高橋亨平医師(左から二人目)と支援者たち 提供:著者

私は高橋医師から「この地域に生まれてくる子供達は、賢く生きるならば絶対に安全であり、危険だと大騒ぎしている馬鹿者どもから守ってやらなければならない」と繰り返し言われたことを覚えている。高橋氏の活動に興味がある方は高橋医師のブログをお読み頂きたい。

今回、ご紹介した妊婦の内部被曝検査を提案したのも高橋医師だ。南相馬市立総合病院で内部被曝検査を主導した坪倉正治医師は「妊婦さんを測定するようになったきっかけは、高橋先生からの電話です。『不安な妊婦が放置されている』と言われました」という。

当時、内部被曝検査は希望者が殺到し、予約はいっぱいだった。坪倉医師たちはシステムを調整し、妊婦の枠を拡大した。若い世代の多くが避難していた南相馬市で妊婦の存在はあまり注目されなかった。原発事故後も妊婦の診療を続けた高橋医師は彼女たちに寄り添い続けた。

原発事故後、程なくして、高橋氏を病魔が襲う。進行した直腸がんが発覚したのだ。病をおしての活動だった。2013年1月22日、高橋氏は亡くなる。享年74歳だった。高橋氏に、この文章を捧げたい。

トップ写真:妊婦イメージ写真 出典:Pixabay


この記事を書いた人
上昌広医療ガバナンス研究所 理事長

1968年生まれ。兵庫県出身。灘中学校・高等学校を経て、1993年(平成5年)東京大学医学部医学科卒業。東京大学医学部附属病院で内科研修の後、1995年(平成7年)から東京都立駒込病院血液内科医員。1999年(平成11年)、東京大学大学院医学系研究科博士課程修了。専門は血液・腫瘍内科学、真菌感染症学、メディカルネットワーク論、医療ガバナンス論。東京大学医科学研究所特任教授、帝京大学医療情報システム研究センター客員教授。2016年3月東京大学医科学研究所退任、医療ガバナンス研究所設立、理事長就任。

上昌広

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