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.国際  投稿日:2019/8/31

離脱派が伸長した理由・有権者編 今さら聞けないブレグジット その9


林信吾(作家・ジャーナリスト)

林信吾の「西方見聞録」

【まとめ】

・英国 中産階級の人はEU残留派が、労働者階級には離脱派が多い。

・EU単一市場は英国経済にもメリットはあったが、大企業と投資家が富を得た。

・大陸にルールを決められることの違和感。

 

【注:この記事には複数の写真が含まれています。サイトによっては全て見ることができません。その場合はJapan In-depthのサイトhttps://japan-indepth.jp/?p=47683でお読み下さい。】

 

「この国は、もう駄目かも知れない」

私がよく知っている日本人女性は、そう言った。彼女は1970年代から、半世紀ほども英国ロンドンで暮らしているのだが、ブレグジットで個人事業主などが受けるダメージを真剣に憂えている。半世紀、彼女自身にとっても人生の大半を過ごした英国を離れて、カナダへ移住することまで考えているそうだ。

一方、同じく私がよく知る日本人男性は、「たしかにビジネスの面では困ったことなのだけど」と前置きしつつも、ブレグジットを支持する人たちの気持ちもよく分かる、と言う。

理由は、こうだ。「近い将来、中国を中心とした大きな経済ブロックがアジアに生まれて、日本もそこに組み込まれた、としようか。純粋に経済のことだけ考えれば、おそらくそこにはメリットもあるでしょう。でも、その見返りに、会社の経営方法とか、コンプライアンスの面まで、大陸の人たちに決められてしまうようになったら、どうだろう。僕でも、そんなもの脱退してしまえ、と言うだろうな、と思うのでね」

英国人の意見はと言うと、高等教育を受けた中産階級の人たちにはEU残留派が多く、労働者階級には離脱派が多いと言われる。この議論を進めるには、多少の注意を要する。まず労働者階級について言うと、恵まれない立場なのにマッチョなナショナリストが多く、人種的優越思想に基づいて移民を敵視するような人が多い、という傾向があることは否定しがたい。ロンドンで10年暮らした経験から、そう思う。

▲写真 ブレグジット反対勢力の旗 出典:Flickr; ChiralJon

けれども、そのことだけをもって、労働者階級に属する英国人が皆ブレグジットを支持しているかのように喧伝するのは、それもそれで偏見との誹りを免れ得ないだろう。

前出の日本人男性の発言にもあったように、EUという単一市場が登場したことは、英国経済にも大いなるメリットをもたらした。本シリーズで繰り返し説明させていただいていることだが、日本の自動車メーカーが英国に設けた工場で製造された車は、英国車であるとして、関税を払うことなくEU諸国に輸出できた、というように。

もちろんヨーロッパ大陸の加盟国も、単一市場によって大きなメリットを得た。前回・前々回と共通通貨ユーロについて説明させていただいたが、市場統合から通家統合まで実現したことにより、EUの経済が一段とダイナミックになったことは事実だ。

▲写真 ユーロ 出典:Pexel

しかしながら、そのメリットを享受できたのは、もっぱら国境を越えた経済活動を続けてきた大企業や、カネがカネを生むという信念を持てるような投資家たちで、働く者が得た利益は微々たるものだったのである。

いや、雇用の増大ということを考えれば、微々たるものという表現は当たらないかも知れない。だが、その場合もやはり、

「外国から流れ込んできた移民労働者に職を奪われたのでは、元も子もないではないか」という問題が残る。

これは決して、もののたとえではない。単一市場とは、経済活動から国境を取り除き(具体的には関税の撤廃など)、人、物、資金が自由に移動できるようにしようというものであり、ヨーロッパ統合のバックボーンと言うべきローマ条約(1957年に調印、翌58年の元旦より発効)において、労働者の移動の自由は保障されている。

個人事業主にせよ、EUの様々な規制やルールを押しつけられ、困惑したり、時と場合で激怒することが珍しくなかった。たとえば八百屋では、ポテトやトマトを1山ならぬ1ポンド(約450グラム)いくらで売ると、行政指導を受ける場合すらある。飲食物の重さや容量は、すべてメートル法で表記しなければならない、とするEUの規定があるからだが、英国では伝統的なポンド・ヤード法にこだわる人が多いのだ。

地方都市のある八百屋が、米国人ジャーナリストに対して、「それじゃあ、マクドナルドの〈クォーター・パウンダー〉はどうなるんだ。あれは〈113グラマー〉にしなくていいのか?」と憤懣をぶちまけた、との記事を読んだこともある。牛乳など、スーパーでは1リットル入りの紙パックが主流になっているが、やはり伝統的な、宅配の牛乳はすべて1パイント(約568ml)入りの瓶である。

またまた前述の日本人男性の発言を引き合いに出すと、伝統的なやり方を変えるよう「大陸の人たちに決められてしまう」ことは、英国ではもはや生活実感とさえ言えるのだ。

移民の問題にせよ、人種差別的な動きは論外であるとしても、生活者の目線で〈英国人の身になってみれば……〉と言いたくなる面は、たしかにある。

ポーランド系移民が集まるようになったロンドン北部郊外のある街では。英語を解さない児童が急増したせいで、小学校の学級崩壊が相次ぎ、その一方で、代々地元の学校を卒業したような家庭の子が、定員の関係で閉め出されてしまう(入学できない)、という事態さえ起きているという。

こうした不満をうまくすくい上げた形で、ブレグジットを主張する勢力が2016年の国民投票で勝利したわけだが、これもすでに指摘した通り、彼らが描いてみせた〈離脱語のバラ色の未来〉など嘘八百であったことがすでに露見しているし、今やどんどん現実味を増している〈合意なき離脱〉は、もはや地獄絵図とも言うべき混乱を引き起こすであろう、との予測記事まで出る始末だ。

私は、五分五分よりもやや高い確率でジョンソン辞任、離脱撤回という結論になるのではないかと見ていたが、ここ数週間、報道や英国からもたらされる情報に接して、いわば第三の選択肢と言うか、「ひとまず〈合意なき離脱〉が強行されるが、その混乱を受けて、内閣不信任案可決・総選挙すなわち〈事実上の国民投票のやり直し〉を経て、短期間のうちに再加盟」というのも、あり得ないシナリオではない、と思うようになってきた。

▲写真 ボリス・ジョンソン首相 出典:Flickr; Chatham House

この問題は、10月にでもあらためて考察させていただきたくとして、次回・本シリーズ最終回では、英国の政治家達がEUという存在をどうとらえ、ここで述べたような問題にどう取り組んできたかを報告させていただこう。

トップ写真:EUと英国国旗 出典:Flickr; Bankenverband – Bundesverband deutscher Banken Follow


この記事を書いた人
林信吾作家・ジャーナリスト

1958年東京生まれ。神奈川大学中退。1983年より10年間、英国ロンドン在住。現地発行週刊日本語新聞の編集・発行に携わる。また『地球の歩き方・ロンドン編』の企画・執筆の中心となる。帰国後はフリーで活躍を続け、著書50冊以上。ヨーロッパ事情から政治・軍事・歴史・サッカーまで、引き出しの多さで知られる。少林寺拳法5段。

林信吾

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