無料会員募集中
.国際  投稿日:2019/8/12

統一通貨ユーロが持つ意味(下)今さら聞けないブレグジット その8


林信吾(作家・ジャーナリスト)

林信吾の「西方見聞録」

【まとめ】

・為替決済に膨大な労力を消費。ユーロは決済通貨として一気に浸透。

・デザインもよく考慮され、ユーロは一般市民にも使いやすい通貨。

・英にとってユーロ加盟は独の軍門に下ること。現状把握にも必要な視点。

 

【注:この記事には複数の写真が含まれています。サイトによってはすべて見れないことがあります。その場合はJapan In-depthのサイトhttps://japan-indepth.jp/?p=47330でお読みください。】

 

現在。基軸通貨と言えば米ドルである。たとえば日本と韓国との経済規模を比較するような場合でも,ドルを単位として用いるのが一般的だし、貿易の決済また然りだ。

シリーズ第1回で述べたように、地球的規模で見れば比較的狭い地域に幾多の民族が暮らし、複雑な国境線が敷かれているヨーロッパでも、事情は同じであった。

これがなにを意味するのかと言えば、ヨーロッパ大陸における商取引は、日韓の間のそれよりも、かなり煩雑な手続きとなる場合が多い。デンマークの漁師が北海で獲った魚がドイツの港に揚げられ、トラックに積まれ、オランダを経由する高速道路を通ってフランスへと運ばれ、パリのレストランで消費されるといったことが、それこそ日常茶飯事なのである。

この場合ドイツの魚市場ではマルクで、パリのレストランではフランで取引された上に、トラックがオランダで給油したり、運転手がコーヒーを飲んだような場合はギルダーが使われてきた。そして、各国間での最終的な決済は、ドルに換算して行われたのである。

▲写真 統一通貨ユーロ導入前は複数国にまたがる経済活動は為替管理が煩雑だった。写真はデンマーク国内を走るトレーラー(2017年10月)出典:flickr; Lav Ulv

これは、為替の変動を見据えての価格設定から決済の手間(もちろん、実際にドルの札束が動くわけではないが)まで、膨大な富とエネルギーが消費されていたことを意味する。ならば……という発想に立てば、統一通貨ユーロが導入された理由も、容易に理解できるのではあるまいか。

独仏蘭が共通の通貨を持ったならば、このような為替管理は必要なくなり、コストの削減という意味で、経済に大いなるメリットをもたらす。事実この結果、EU圏内で国境を越えた経済活動を行っていた大企業は、実質的に膨大な利益を計上したのである。

イタリアやスペインなど,通貨の信用度が低かった国は、強い通貨を手に入れてインフレを抑制できたりもした。もっともこの結果、国内での経済格差が拡大し、放漫財政の問題がクローズアップされ、ユーロ危機となるのだが。

いずれにせよ、今はブレグジットで揺れている英国でも、ユーロがまだ堅調だった頃、とりわけ2008年に起きた、世に言うリーマン・ショックの直後には、ドルもポンドも先行き不安だとして、加入論がかなり盛り上がったのである。その後、2010年代に入って,ギリシャ危機などが喧伝されたため、「加入しなくて正解だった」 という声が多数派となったわけだが。

▲写真 イギリスのポンド紙幣。どの額面の紙幣にも女王の肖像画が描かれている。ユーロ導入なら肖像画は消えていた。出典:BANK OF ENGLAND

それはそれとして、2002年1月1日から現金の流通が始まったユーロが,たちまち定着した理由を考えてみよう。と言っても話は簡単で、便利な通貨だから浸透したのである。

EU圏内での決済通貨として、この上なく便利であることはすでに述べたが、一般市民にとっても、使いやすい通貨であった。デザインひとつとっても、複数の国で使われることを前提に、なかなかよく考えられている

まず、肖像画が描かれていない。多くの国で紙幣のデザインに肖像画が用いられるのは、偽造を困難たらしめるためであるが、ヨーロッパの歴史を考えると、これは無理なのだ。イタリアやスペインの人々が、ナポレオンの肖像画を描いた紙幣など使う気になるものかどうか、少し考えただけで分かる。

実を言うとデザインを検討する過程では、「シェイクスピアやモーツァルトといった、普遍的な人気のある芸術家ならばどうか」という意見も聞かれたらしいが、結局採用されなかった。

これもよく知られる通り、ヨーロッパの財界にはユダヤ系も多いので、あの『ベニスの商人』の作者では具合が悪いし、モーツァルトがイタリアのオペラをこきおろしたことは結構有名なのだ。『アマデウス』という映画に、よく描かれている。

最終的に、オーストリア国立銀行のデザイナーであったロベルト・カリーナという人物が行き着いたのは、「ヨーロッパの各時代を象徴する、しかしながら実在しない建物のデザイン」というアイデアだった。

▲写真 ユーロ紙幣 出典:Wikimedia Commons; Andrew Netzler

ユーロ紙幣は5,10,20,50,100,200,500の7種類が発行されているが、額面の小さい方から順に、5ユーロ紙幣はギリシャ・ローマ時代、10ユーロ紙幣はロマネスク様式、20ユーロ紙幣はゴシック様式、50ユーロ紙幣はルネサンス様式、100ユーロ紙幣はバロック・ロココ様式、200ユーロ紙幣はアールヌーボー、そして500ユーロ紙幣が現代建築となっている。

私は旧い人間なので、ロココまでしか拝んだことがない……というのは冗談だが、これ以上の高額紙幣は、ほとんど流通していないのが実情だ。日本ではあまり知られていないが、5000ドル紙幣や1万ドル紙幣も、流通は稀だが存在している。

一口に建築物と言っても多種多様だが、カリーナのデザインはこの点でも秀逸で、表には開かれた国境を象徴する門、裏には加盟国の連帯を象徴する橋が描かれた。さらに、額面が大きくなるにつれて紙幣そのものも少しずつ大きくなる上、色も変わって数え間違いなどのリスクを軽減している。その上、濃淡も工夫されて、視覚障害がある人にも配慮されているという芸の細かさだ。

▲画像 ユーロ紙幣の表には開かれた国境を象徴する門が描かれている。出典:Eouropean Central Bank

言うまでもないことだが、デザイン的に優れているというだけでは、通貨が信用を得られることはない。前稿の冒頭で述べたことも、ここに話がつながってくるわけで、通貨の発行元である中央銀行の信用が、すなわち通貨の信用である。

▲写真 欧州中央銀行とユーロのシンボル(ドイツ・フランクフルト)出典:flickr; Kiefer

この点EUは、ブンデスバンク(ドイツ国立銀行)という、この上ない手本を,予め持っていた。とかく頭が高いと言われる英国の銀行員でさえ、ブンデスバンクの関係者と会うときだけは威儀を正す、というくらい、その権威は高かった。したがって、欧州中央銀行はブンデスバンクを手本として創立され、本店まで同じフランクフルトに置いているのだが、これを英国側から見たら、「ユーロに加盟することは、本当にドイツの軍門に下るという意味だ」ということになる。財界と政界とでは温度差もあるのだが、英国がユーロに加盟せず、今日ブレグジットで揺れている原因を考える時、これもまた見逃せない要素なのである。

(シリーズその1その2その3その4その5その6その7

トップ写真:英国旗(上)とEU旗(下)出典:European Union


この記事を書いた人
林信吾作家・ジャーナリスト

1958年東京生まれ。神奈川大学中退。1983年より10年間、英国ロンドン在住。現地発行週刊日本語新聞の編集・発行に携わる。また『地球の歩き方・ロンドン編』の企画・執筆の中心となる。帰国後はフリーで活躍を続け、著書50冊以上。ヨーロッパ事情から政治・軍事・歴史・サッカーまで、引き出しの多さで知られる。少林寺拳法5段。

林信吾

copyright2014-"ABE,Inc. 2014 All rights reserved.No reproduction or republication without written permission."