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.国際  投稿日:2020/2/19

日ロ「歴史戦」と敵国条項


島田洋一(福井県立大学教授)

「島田洋一の国際政治力」

【まとめ】

・日本は露の『歴史戦』に厳しく対処しなければ北方領土交渉は困難。

・国連憲章107条はソ連の領土奪取に関係ない規定だと主張すべき。

・日本は長期的な情報・広報戦を戦う姿勢が必要。

 

2月19日の産経新聞1面に、「プーチン氏『歴史戦』で攻勢」と題する遠藤良介外信部編集委員のコラムが載った。

遠藤氏は、「(第二次)大戦をめぐり、プーチン氏の感情的ともいえる言動が続いている」とし、「大戦にまつわるソ連の行動を全て正当化する魂胆」が透けて見えるという。

さらに遠藤氏は、「日本が警戒すべきは、ロシアがナチス・ドイツと『軍国主義日本』を同列視する傾向を強め、日ソ中立条約を破っての対日参戦や北方領土占拠を正当化することである。…ロシアの『歴史戦』に厳しく対処せねば、北方領土交渉はますます難しいものとなってしまう」と結論付けている。

その通りである。そして日本政府は全く「厳しく対処」できていない。目立った一例をあげよう。

約1年前の2019年1月14日、日露外相会談が行われた後、内外のメディアを集めた公式記者会見の場でロシアのラブロフ外相は、「重要な文書」として国連憲章107条に言及し、「第2次大戦の結果を認めるよう書かれている。本日もう一度、詳細に日本側に伝えた。日本側から反論はなかった」と述べた。

一方河野太郎外相(当時。現防衛相)は日本人記者のみを集めた「臨時会見」の場で、「ラブロフ外相の発言に一々コメントはいたしません」「内容については対外的に公表しないことにしております」と要領を得ない発言に終始した。前日ロシア外務省の報道官が、「共同記者会見を準備していたのに日本側が逃げた」との趣旨を語ったが、当たらずとも遠からずと見ざるを得ない。

▲写真 河野太郎元外相 出典:Flickr; U.S. Department of State

国連憲章中、いわゆる「敵国条項」とされるのは、第53条、77条、107条の三つである。この内第107条は、「この憲章のいかなる規定も、第二次大戦中の敵国に対して、責任を有する政府が戦争の結果として執りまたは許可した行動を無効にするものではない」との趣旨である。ソ連の領土奪取はこの規定の枠内の行動であり、日本も国連に加盟した以上、承認する義務があるというのがロシア側の主張である。

敵国条項については、累次の国会答弁等を通じ、日本政府はその立場を明らかにしている。例えば今は亡き中川昭一衆院議員の「北方領土に関し敵国条項をソ連側はいかに解釈しているのか」という質問に対し外務省欧亜局長が次のように答えている(1990年6月11日、衆院安保特別委)。

「ソ連側は、北方四島の占拠の根拠としてヤルタ協定を挙げ、同協定が、国連憲章107条により、戦後秩序の一部として日本を拘束すると主張しております。これに対し私どもは、ヤルタ協定はこれに参加した首脳たちが共通の目的を述べた文書にすぎず、領土移転のいかなる法的根拠も持ち得るものではない、その当然の帰結として、国連憲章107条はソ連側の北方領土占拠にいかなる根拠を与えるものでもないし、全く関係のない規定である、そう反論しておる次第でございます」

これが、河野外相が改めて内外に宣明すべきだった日本政府従来の立場である。なおロシア側は、8月15日でなく9月2日(日本の降伏文書調印の日)を「大戦終結記念日」と定め、北方領土占領は大戦中の行為と強弁している。日ソ中立条約違反と共に、日本側が明確に反論せねばならぬポイントの一つである。

要するに河野外相の姿勢はきわめて問題だった。ラブロフ氏は、明確に日本世論に影響を与える意図をもって発言している。一方河野氏には、ロシア世論に訴える気構えが全く見られない。

あるいは、交渉が最終局面に至っているので相手を刺激したくなかった、と言うかも知れない。しかしあらゆる徴候は、予見しうる将来、ロシアが北方4島どころか2島いや1島すら返す気がないことを示している。

従って現在なすべきは、「予見し得ない将来」を睨んで、布石を打つ作業である。すなわち、日露両国および国際社会の歴史認識に変化をもたらすべく、長期にわたる情報・広報戦を戦う姿勢がなければならない。

同時期にロシアのガルージン駐日大使と産経新聞の斎藤勉論説顧問の間でなされた論争が参考になる。

講演で、「北方領土については紛争ではなく、独裁者スターリンの指令による国家犯罪だ。日本のポツダム宣言受諾後、火事場泥棒的に強奪した」と話した斎藤氏に対し、ガルージン氏が「第二次大戦時、日本は最も罪深い犯罪者であるヒトラー政権と同盟していた。『死の工場』と言うべき強制収容所が作られ、ロシアを含むヨーロッパの何千という街が破壊された。斎藤さん、あなたはこのことを忘れたのか」と反論した。

▲写真 ヨシフ・スターリン 出典:パブリックドメイン

早速斎藤氏が「ヒトラーは『最も罪深い犯罪者』だが、スターリンは違うと言いたいのか。『同盟国』ゆえに日本もナチスと同じ犯罪者だというのか。大使ご指摘の『死の工場』といえば、シベリア抑留の残虐非道はどう説明されるのか」と再反論している。

斎藤氏には、日露両国民ともにスターリンの被害者という認識がある。従って決して反露的な言説ではない。

付け加えれば、第二次大戦は、ヒトラーとスターリンが東西からポーランドに侵攻することで火蓋が切られた。独ソ秘密合意に基づく行動であった。すなわち攻撃的同盟を組んで大戦を始めたのはドイツとソ連である。その後ドイツ軍がソ連にも攻め込んだため、ソ連は「連合国の一員」として終戦の日を迎えたに過ぎない。第二次大戦における最重要ポイントの一つである。

トップ写真:プーチン大統領と安倍首相 出典:ロシア大統領府


この記事を書いた人
島田洋一福井県立大学教授

福井県立大学教授、国家基本問題研究所(櫻井よしこ理事長)評議員・企画委員、拉致被害者を救う会全国協議会副会長。1957年大阪府生まれ。京都大学大学院法学研究科政治学専攻博士課程修了。著書に『アメリカ・北朝鮮抗争史』など多数。月刊正論に「アメリカの深層」、月刊WILLに「天下の大道」連載中。産経新聞「正論」執筆メンバー。

島田洋一

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