結婚問題と女性宮家問題 どこが違う?日本の皇室と英の王室 その4

林信吾(作家・ジャーナリスト)
林信吾の「西方見聞録」
【まとめ】
・女性宮家や女系天皇の何がいけないのか。「国民の総意」は明確。
・「男系が続いた」理由は側室制度。「皇室も男女平等へ」が正しい。
・皇室の真の伝統というものは、時代に応じて変ってきた。
Japan in depthの記事はYahooニュースでも配信されるので、コメント欄(以下ヤフコメ)にいろいろな書き込みがある。ネットの常といえばそれまでだが、面白く読めたり、新たな論点に気づかされることは、残念ながら滅多にない。腹立たしさしか残らない例の方が、圧倒的に多い。
日本文化の源流は古代イスラエル……という都市伝説を批判的に検証したことがあるが、その際「日本語とヘブライ語がよく似ている説」にからんで、紀元前のイスラエルの言語は、現在のイスラエル人やユダヤ人に普通に理解できるのか、と疑問を呈した。その議論を補強する意味で、今の若い女性が紫式部と「恋バナ」ができるかと言われたら無理だろうと言われている。日本語が別物になっているから、との説を紹介したところが、「女子高生には無理でしょうけど、古典文学をちゃんと学んだ人なら紫式部と会話できますよ。あなたの議論は根底から崩れましたね」などと書き込まれる始末だ。そんなことを言うなら、古代イスラエルの言語にせよ『旧約聖書』という文献もあるし、歴史や宗教に詳しい人なら読解可能だろう。そういうことを「普通に理解できる」とは言わないだけで笑。
林信吾の議論が正鵠を得ていたということを、逆説的に証言していただいたのはかたじけないが、こんな論理性や教養がまるで読み取れないイチャモンを偉そうに書き込む神経は、理解を絶する(この次は、相手にする方もたいがいだ、とか言われそうだが)。
こうした次第なので、ヤフコメのマジョリティの意見が、現実社会のそれと二重写しになっているとは全然思えないのだが、それを割り引いても、秋篠宮家の評判の悪さにはあらためて驚かされた。
ただ、この点については、私の記事にも、いささか説明不足の謗りを免れ得ないかな、と思える点があった。同家のプリンセスの結婚問題に絡み、皇籍離脱が取り沙汰されている、と述べたのだが、現行の皇室典範に従えば、女性皇族は結婚すれば本人の意思に関わりなく皇籍を離れることになっている。しかし、今次は「国民等しく祝福できる結婚」ではないかも知れない、との要素があり、あくまでもひとつの可能性としてだが、先に皇籍からの離脱を発表し、いわば「私人として結婚する」ことも考えられる、という話なのだ。
▲写真 秋篠宮ご一家
出典: 宮内庁ホームページ
私が「若い二人が幸せならそれでいいじゃないか、で済まされないのはお気の毒」と述べたのも、この文脈においてなのだが、結果的に読者に誤解を与えるようなことがあったとしたら、ここでお詫び申し上げます。
もうひとつ、この結婚が「国民等しく祝福できる」形で円満にまとまりそうにない、という点で私が残念に思えてならないのは、女性宮家の創設・女系天皇の認知へのハードルがさらに一段高くなってしまった感があることだ。世間もマスコミも好意的に見ていると言い難い「婚約者」が、皇族もしくはそれに準ずる立場になってもよいのか、などと公言する人は、ネットだけでなくリアルの論壇にも結構見受けられる。
前述の、どうしても結婚したければ私人として、といった話が出てくるのも、もしかしたら、このような議論を意識してのことなのかも知れない。
ここで私の立場をはっきりさせていただくと、女性宮家や女系天皇の一体何がいけないのか、まったく理解できない。
これについては、反対論のどこがおかしいかを検証するのが早道だろう。
まずは幾度か述べたことだが、2700年続いた男系の伝統、という話。皇統を神話時代にまでさかのぼったならば、天照大神にまで行き着くわけで、皇室=天孫ならば女系でしょうが、でおしまいである。
▲写真 足羽山の継体天皇像(福井県福井市)
出典: 立花左近
もう少し「まともな」議論として、資料で実在が確認できる継体天皇(26代)以降、男系が続いたことは間違いないではないか、と言う人もいる。
これは、事実関係においては、その通り。
問題は、その「男系が続いた」理由がどこに求められるか、ということで、これは疑いもなく側室制度なのだ。
現在の天皇は(ここは便宜上、神武天皇から数えるが)126代目。過去には2度即位した天皇もいたので、総数は124人だが、うち60人以上は皇后ではない女性を母として生まれていることをご存じか。
昔は幼児死亡率も高かったし、家系を守るための側室制度は広く存在した。それを今さら批判してどうなるのか、という反論もあり得よう。しかしそれならば、近現代=17世紀以降に話を限った場合、皇后を母として生まれた天皇は、江戸時代の明正天皇(109代。女性!)、明治天皇、昭和天皇、そして前天皇と現天皇の計5人しか存在しないという事実は、どう見るのか。
なによりも私が主張したいのは、議論の本質は「皇室の今後の在り方」であって、それこそ今さら「側室制度に支えられた男系の伝統」を持ち出すこと自体がナンセンスではないのか、ということだ。
もちろん今では医学の進歩という要素があって、側室制度などなくとも、体外受精や遺伝子工学を活用しての「産み分け」も可能である。しかし、これもこれで「皇室に嫁いだ女性は男児を産むのが責務」だという論理であることには、まったく変わりがない。
そこで、敗戦後に皇籍を離脱した旧皇族を復帰させて宮家を増やす、という案が取り沙汰されているわけだが、これとて復帰を望む旧皇族がほとんどいない、とも聞くし、将来もしも男児が増えなかったら、それこそ税金の無駄遣いではないだろうか。
▲写真 昭和天皇と旧宮家の人々(1937年頃の推定)
出典: パブリック・ドメイン
で、ここからがいよいよ私の「議論の根底」だが、日本国憲法では天皇の地位について「国民の総意に基づく」と明記されている。
ならば世論はどうなのかがだが、媒体によって多少のばらつきはあるものの、女系天皇を是認する人はおおむね7割以上。これに対して旧皇族の復帰は2割を下回る程度の支持しか得られていない。「国民の総意」はもはや明確なのだが、それでも納得できないと言うなら、それこそ国民投票でもやればよいのだ。
文化的伝統というものは、たしかに大事だと、私も強く思う。しかしながら、皇室の真の伝統というものは、時代に応じて変わってきた、という事ではないだろうか。昔から祭祀と言えば神道だが、実は仏教徒だった時代もあった、というように(イチャモンを書き込む前に、奈良の大仏は誰が建立したのか考えられよ)。
今の日本国は、憲法上も社会の在り方としても、男女平等が原則ではないか。ならば「皇統も男女平等」へと舵を切るのが正しいと、私は考える。プリンセスの結婚問題にせよ、「女系天皇の是認につながる女性宮家の創設論議」とは、ひとまず切り離して論ずるのがよいと、私は考える。
変えてもよい伝統、むしろ変えるべき伝統というものも、世の中にはあるのだ。
▲トップ写真 天皇陛下ご即位を祝う一般参賀(2019年5月4日)
出典: flickr ; Dick Thomas Johnson
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この記事を書いた人
林信吾作家・ジャーナリスト
1958年東京生まれ。神奈川大学中退。1983年より10年間、英国ロンドン在住。現地発行週刊日本語新聞の編集・発行に携わる。また『地球の歩き方・ロンドン編』の企画・執筆の中心となる。帰国後はフリーで活躍を続け、著書50冊以上。ヨーロッパ事情から政治・軍事・歴史・サッカーまで、引き出しの多さで知られる。少林寺拳法5段。
