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スポーツ  投稿日:2020/6/4

アイスホッケーの未来に危機感 慶大OB設立チーム、アジアリーグ参入


神津伸子(ジャーナリスト・元産経新聞記者)

【まとめ】

・アイスホッケー界最高峰アジアリーグに8番目のチーム「横浜GRITS」誕生。

・慶大体育会スケート部アイスホッケー部門OBが軸となった。

・デュアルキャリアを実践、これからのスタンダードに。

 

このほど、日本のアイスホッケー界の最高峰アジアリーグに、正式加盟が認められ、8番目のチームが、誕生した。

横浜GRITS」がチーム名。

首都圏では、西武鉄道が消滅してから、実に12季ぶりにプロチームの誕生となる。

このチームは、今までの実業団チームや、そこから派生したクラブチームが発足したものとは、全く異なる創設のいきさつがある。

GRITSは、日本のアイスホッケー界を危惧する、慶應義塾大学体育会スケート部アイスホッケー部門のOBたちが軸となった、今までにない新しい形のプロ集団として、アジアNO.1を目指す。

▲写真 横浜市港北区の栗田るみ区長を表敬訪問。連携を強めていきたい。写真向かって左端から、浅沼監督、臼井代表、栗田区長、小野、濱島尚人、角舘信恒らチームの主力選手。 提供:横浜GRITS

■ 学生選手のセカンドキャリアへの不安

GRITSの代表で、慶大OBの臼井亮人や、取締役でGMの御子柴高視らが、昨年5月に最初からアジアリーグ参入を目指して、法人化した。しかし、その準備段階は更にその3年以上前から、コツコツと始まっていた。御子柴は、この仕事に専念するために大手企業を退職して、転職して、不退転の決意でのぞんでいる。

▲写真 日光バックス(オレンジのユニフォーム)との練習試合。熱い闘いとなった。 提供:横浜GRITS

慶大のアイスホッケー部は関東大学リーグの中でも、強豪とは言い難く、中央、東洋、明治、早稲田、法政に後塵を拝しながら、日体大、日大らと、2番手グループを形成している。臼井らが所属していたころは1部を形成するのが6チームだったので、1部2部を行ったり来たりするシチュエーションだった。(現行はトップリーグが8チーム)

臼井は北海道・苫小牧で生まれ育ち、アイスホッケーの伝統校の苫小牧東高校で主将もつとめ、慶大に進学し、またもや主将に。青春時代は、まさにアイスホッケー三昧だった。しかし、キャリアを終える日が近づくにつれて。「アイスホッケーだけでは。生活をしていくことが厳しいという現実が、突きつけられるようになった」

そして、それは大学でプレイを終えてしまう多くの優秀な選手に、共通する悩みでもあった。

アイスホッケーを続けても、引退後の仕事、セカンドキャリアに不安がある。

特に、慶大の選手たちの多くは、力があってもビジネス界でも力を発揮したいと、卒業と同時にスポーツと縁を切る人間が少ないことも、GRITS創設メンバーは、感じていた。

「その多くの才能が埋もれてしまう状況を打開したい。“その後”心配することなくプレイに安心して全力を注げる環境を作りたい」(臼井)
と、OB仲間と声を掛け合ってチーム作りがゼロから始動した。チーム名のGRITSは、「やり抜く力」という意味を持つ。

 

■ デュアルキャリアという、全く新しい形

GRITSは選手たちのセカンドキャリアへの不安を払しょくするために、今までのプロスポーツにない“デュアルキャリア”という、選手の在り方でチームを形成している。選手として活躍しながら、各々の企業に所属して、仕事と両立させている。

選手が所属する企業も、今までのように一社で全員という形ではなく、各選手がそれぞれの仕事の能力にマッチした企業に属する。各選手のユニフォームの広告ロゴは、各所属企業のものを背負うという形を目指している。

選手としても一流、企業人としても一流を育てる」(臼井)

この形なら同じ所属企業で、引退後も働き続ける事が出来る。

選手も新卒、ベテランなど入団してくるタイミングやキャリアで以下のようにカテゴライズされる。GRITSによると、

 

 ・G1 勤務経験がない選手の代わりに横浜GRITSが候補を探し、企業に働きかけ、パートナー企業としてマッチングを実施。

 ・G2 既存勤務企業からの公認派遣。企業勤めをしながら、プロとして継続できるだけの実力を持つ選手が、所属企業と相談、業務内容を調整しながら現役選手を続けられるようにするもの。

 ・G3 横浜GRITSの事業に従事し、運営していく。チームのマーケティング、広報、ファンクラブ運営など。

 

しかし、このスポンサー探しは現時点でも困難を極める。大手から小口の個人スポンサー探しは、まだまだ続く。それ以外にもクラウドファウンディング、ファンクラブ会費、グッズ売り上げ、あらゆる手を尽くしている。参入初年度からは、スクール運営、ゲームチケットの収益などでもチーム運営費を確保し、黒字化の目標を掲げる。が、支出も多い。氷上練習のためのリンク代、防具代(スケート靴、ヘルメット、スティックなど非常に高額)補助、これに、新年度から遠征費が加わる。まだまだ茨の道は続く。

 デュアルキャリア1号は早大出身の、前日光バックス名ゴーリー

そんな中、慶大OBが軸になるチームで誕生したデュアルキャリアの1人目は、なんと、良きライバルである、早稲田大学OBだった。

大学時代も慶大のシュートを止めまくり、大活躍して、そのまま、クラブチームのH.C.栃木日光アイスバックスに入団したゴーリーの小野航平。アジアリーグでも、日本代表ゴーリーの福藤豊らがいる中、約100試合出場した。

▲写真 氷上の小野航平選手。横浜GRITSの守護神。 提供:横浜GRITS

昨年、6月に移籍後は、住居のコーディング施工などを手がけるエコテック社の営業部に所属しながら、現役選手を続けている。
小野は子供の頃から、アイスホッケー選手になる事が夢だった。ジュニアチームのアイリンズに所属し、小中学校と、神奈川県代表の正ゴーリーとして活躍。県内のアイスホッケーの名門・武相高校から早大へと、王道を歩んだ。

「でも、日に日に、選手が終わった後の俺ってどう生きていきたいのだろう。本当はそこからの人生のほうが長いの」に、と自問することが増え始めた。

午前中のバックスのチーム練習が終わると、毎日、図書館に通い、仕事、就職などに関する書籍を片っ端から、読む生活を始め、多くを学んだ。

そして、彼のその後の選択肢は、GRITSだった。

「迷いはなかったです。これまでとは違うスポーツのあり方を表現できることに、とてもワクワクしています!」

きっぱりと言い切って、小野は前を向く。現在はしっかりと、仕事とチーム練習を両立させている。

▲写真 エコテックの社員として働く小野 提供:横浜GRITS

■ デュアルキャリアのGRITSモデルがスタンダードになる時代が来る

アイスホッケーの競技人口は、全世界で約180万人と言われている。特に北米では人気の4大プロスポーツで、米国内でもチームが増え続け、間もなくシアトルにも新チームが出来、勢いがある。

一方、日本の野球、サッカー、バスケなどの競技人口は、500万人を越すが、日本のアイスホッケーのそれは約2万人。1998年長野五輪主催国出場以降、男子チームはオリンピック出場から遠のいている。

女子は「スマイルジャパン」の名で知られ、世界ランキング6位。2年後の北京冬季オリンピックにも早々と出場を決めている。だが、男子の復活を願う声は、絶えることはない。

そんな中、GRITSは3つの、10カ年計画を掲げる。

 

 1. 10年後、日本のスポーツ界にデュアルモデルが浸透している。GRITSモデルが、スポーツ界で“当たり前”になっている。

 2. アイスホッケーを通じて、地元・横浜に貢献し、ジュニア・青少年の育成、地域活性化を実現させていく。アイスホッケーと言えば横浜というくらい、地域に全国レベルでも浸透させる。

 3. 男子代表のオリンピック出場目標は、10年後の2030年。GRITSからも多くの日本代表を輩出する。現在、札幌市は2030年冬季オリンピックの招致に向け準備を進めていると言われており、もし実現すれば、開催国枠として出場できる可能性は高い。

 

2月から、カナダの元NHL選手、マイク・ケネディをヘッドコーチに招聘し、氷上練習にも力が入る(新型コロナウィルス感染予防のための緊急宣言期間は自粛)。

監督は、元慶大アイスホッケー部監督の浅沼芳征は「チームに関わるよう声掛かったのが2年程前を考えると、時間的には長かったと思う。が、このデュアルキャリアプロチームの理念で、良くここまで作り上げて来たと思う。次世代の目標になれるチーム作りをしたい」と、目を輝かす。

デュアルキャリア1号の小野が日光バックスを去る時、こんなエピソードがあった。

バックスの仲間たちが送別会を開催してくれた。チーム代表であるセルジオ越後も参加して、こう声をかけてくれたという。小野は、生涯忘れることはない

「『今までは、コーヘイが、僕らのゴールを守ってくれた。今度は、僕たちがコーヘイを守る』と、セルジオさんが言ってくださったのです。何としても、恩返しをしなければならない」

そのためにも、小野はGRITSの守護神となり、何としてもゴールを守り抜くと。
まずは、バックスらアジアリーグのチームと、熱い闘いを繰り広げて、アイスホッケーファンをリンクに引き戻さなけらばならない。

 

<参考>

日本の男子アイスホッケーの歴史は、1972年札幌冬季五輪開催に端を発する。開催国出場が決まった時点で、強化が始まる。(日本アイスホッケー連盟の公式ホームページから、経緯を抜粋)

▼1966年/昭和41年

札幌オリンピック開催決定。古河・福徳・岩倉・王子・西武の5チームで日本アイスホッケーリーグ開幕。

▼1972年/昭和47年

札幌オリンピック開催。日本スケート連盟アイスホッケー部門が日本スケート連盟から独立し、日本アイスホッケー連盟を創立。

国土計画(のちのコクド)が西武鉄道チームから分離発足し、リーグ加盟。福徳相互銀行がリーグ脱退。

▼1974年/昭和49年

十條製紙(現日本製紙クレインズ)が日本リーグに加盟。

▼1979年/昭和54年

岩倉組がリーグ脱退、雪印が発足しリーグ加盟。

▼1999年/平成11年

古河電工が廃部、HC日光アイスバックスが発足し、リーグ加盟。

▼2001年/平成13年

雪印が廃部、札幌ポラリスが発足するが1シーズンで日本リーグから姿を消した。

▼2003年/平成15年

アジアリーグ開幕。日本4チーム(王子製紙・コクド・日本製紙・日光アイスバックス)、韓国1チーム(ハルラウィニア)、日本製紙クレインズが初代王者。

▼2009年/平成21年

SEIBUプリンスラビッツが廃部。東北フリーブレイズがアジアリーグ加盟。

▼2020年/令和2年

横浜GRITSがアジアリーグ加盟。

トップ写真:勢ぞろいする横浜GRITS 提供:横浜GRITS


この記事を書いた人
神津伸子ジャーナリスト・元産経新聞記者

1983年慶應義塾大学文学部卒業。同年4月シャープ株式会社入社東京広報室勤務。1987年2月産経新聞社入社。多摩支局、社会部、文化部取材記者として活動。警視庁方面担当、遊軍、気象庁記者クラブ、演劇記者会などに所属。1994年にカナダ・トロントに移り住む。フリーランスとして独立。朝日新聞出版「AERA」にて「女子アイスホッケー・スマイルJAPAN」「CAP女子増殖中」「アイスホッケー日本女子ソチ五輪代表床亜矢可選手インタビュー」「SAYONARA国立競技場}」など取材・執筆

神津伸子

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