「圧倒的に勝つ」アイスホッケー女子日本代表発進その3
神津伸子(ジャーナリスト・元産経新聞記者)
■ベテランの味
2014年、遠くロシアで開催されたソチ五輪。
日本代表を退いていた小野粧子にとって、自宅テレビに映し出される画面は、始めは眩しくて直視出来ないほどだった。かつてのチームメイトの久保英恵や近藤陽子が、イキイキとプレーしていた。共に闘った仲間があそこにいて、自分は今、こうして一人の観客になってしまっている。時間の経過とともに、食い入るようにテレビに貼りついた。ソルトレークも、トリノも、バンクーバーも血の滲む思いで挑戦したのに、行けなかった五輪。
「自分も、もう一度挑戦したい。何としてもオリンピックに行きたい」
強く思うようになっていった。
夫で、コーチでもある豊と二人三脚の特訓が始まった。
戻りたくても、結果を出さなければ戻れないポジション。それまでは、豊がコーチを務める北海道清水町のクラブチーム・フルタイムシステム御影グレッズでのチーム練習のみだった。自分も練習するが、若手の指導にも当たる。それだけでは、代表復活を目指すにはとても練習量が足りない。ウエイトトレーニングを増やして筋力を上げる。夫と共にマンツーマンのシュート練習も毎朝、来る日も来る日も重ねた。
とにかく、まずは国内の公式戦で、得点に多く絡むように、シュート力を上げ、アシストにつなげるパスの精度を上げる。実績を積み重ねなければ、代表候補としてさ、招集はされない。一方で、年齢なりに疲労もたまるので、少しでも早く身体を回復させるために酸素カプセルも取り入れた。
努力が実り、2008年バンクーバー五輪予選後の代表引退以来、7季ぶりに2015年に代表復帰を果たした。2016年春の世界選手権トップディビジョンが久々の国際試合だった。が、全敗。入れ替え戦もチェコに敗退し、ディビジョン1への降格が決まっている。その後、スマイルジャパンの監督は山中にバトンタッチされ、立て直しが図られた。来月、再びトップディビジョン復活も目指す。
アイスホッケーの女子代表を取り巻く環境は、大きく変わった。小野は身をもってその長い過程を体験している、数少ないプレーヤーの一人。
遠征費にも困り、定職にも付けないでプレーを続けなければならなかったソチ五輪代表決定以前の、女子代表。さらに遡るほど、状況は劣悪だった。
当時に比べれば、スマイルジャパンの愛称で多くの人間に親しまれたり、毎月、代表候補合宿が実施されるなど、夢のような現状。
地獄と天国を見た小野に、チーム内での自身の役割を、聞いてみた。
「(ベテランである)私の、チーム内での役割は、周りを見て気を配り、一人一人に声をかけること」と、チーム内の互選で決まるリーダーズグループの一員としての自覚も強く、頼もしい。
技術面でも、若手・中堅からは「粧子さんとセットを組むと、学ぶことが多いです」と、絶大な信頼感がある。
■ルームメイト
小野の声掛けは、現スマイルジャパン内に留まらない。
代表の前主将で、今回は代表枠から外れた平野由佳にも、「ちょうど由佳さんの誕生日の頃に、誕生日にかこつけて連絡しました」(小野)
最終予選のメンバー発表は1月中旬。平野の誕生日は同月末。
代表候補合宿では、同室になったこともある二人だった。決して明るい気持ちばかりでは迎えられないであろう後輩の記念日を、慮ってのことだった。
あれこれと言葉を交わせた後、
「今回は、由佳さんの分も頑張る」と、小野は静かに締めくくった。
五輪最終予選、札幌冬季アジア大会を見届けた平野も、決意を新たにしていた。
「また、みんなと一緒にホッケーがしたい!!
みんなからも、沢山連絡をもらい励みになりました。死ぬ気でトレーニングして、平昌にメダルを取りに行きます!代表メンバーに選ばれることは、通過点です」
今回の最終予選メンバーが、そのまま平昌五輪に行くことが出来るわけではない。オリンピック前に、出場メンバーは最終決定される。
あらゆる意味で、闘いは続いていく―。
(文中敬称略)
*トップ写真:ゴールネット前で、試合前も後も円になって声を掛け合うのが常だ。偶然のハート型陣形。(撮影:浅田幸広)
*文中写真:試合後の取材に対応する小野選手。穏やかでチャーミングな女性だが、内に秘めた情熱は熱い。(撮影:神津伸子)
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この記事を書いた人
神津伸子ジャーナリスト・元産経新聞記者
1983年慶應義塾大学文学部卒業。同年4月シャープ株式会社入社東京広報室勤務。1987年2月産経新聞社入社。多摩支局、社会部、文化部取材記者として活動。警視庁方面担当、遊軍、気象庁記者クラブ、演劇記者会などに所属。1994年にカナダ・トロントに移り住む。フリーランスとして独立。朝日新聞出版「AERA」にて「女子アイスホッケー・スマイルJAPAN」「CAP女子増殖中」「アイスホッケー日本女子ソチ五輪代表床亜矢可選手インタビュー」「SAYONARA国立競技場}」など取材・執筆