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.社会  投稿日:2020/7/22

「またしても」中止?(上)嗚呼、幻の東京五輪 その1


林信吾(作家・ジャーナリスト)

「林信吾の西方見聞録」

【まとめ】

東京オリンピック、国民も「あきらめムード」。

・中止か開催か、賛否が分かれている。

・1940年も東京大会は開催されず。中止になれば今回は2回目。

 

新型コロナ禍さえなかったら、東京は今頃、外国人観光客であふれていただろう。23日には、東京オリンピック・パラリンピックが開催されていたはずだったのだから。以下、煩雑を避けるため、国際オリンピック委員会という固有名詞を除き、海外の話題も含めて五輪で統一させていただく。

すでに延期が決まっているので、今更「たら、れば」を言っても詮無いことだが、延期すなわち1年後の開催も、 未だ先行きは不透明である。と言うより。多くの国民は「あきらめムード」に傾斜しているように見受けられる。

これは根拠のある話で、延期が決まった3月末の段階では、各種世論調査で、

「開催すべき」「できれば開催してほしい」

と答えた人が、合わせて7割を超えていたのに対し、最近の調査では開催を望む声と「中止やむなし」「中止すべき」の合計が、いずれも4割台で拮抗している。

もちろん主催者側の思惑はまるで違うもので、大会組織委員長の森喜朗・元首相は、

「ここで中止したら、カネが2倍かかる」

などと言い張った。しかし2倍の根拠を問われると、

今まで投資した分が無駄になる、という意味で」

などと急に曖昧な説明になった。早い話が、根拠などなかったのだろう。

東京都知事選では、五輪中止を公約に掲げた候補者もいたが、私自身は、個人的な意見ながらそれもひとつの見識だとは思いつつも、やはり中止ありきの議論に与する気にはなれなかった。

森氏の発言とはかなりニュアンスが異なるが、関係者の今までの努力やアスリートたちの夢を、政策的に無にするのはいかがなものかと思えたし、新型コロナ禍で打撃を受けた観光業界にとってのカンフル剤にもなり得る。当然ながら、

「新薬の開発に成功しない限り、とても安心できない」

ということは、大前提であり、その上で、可能性が少しでもあれば、という話だ。そして今、日を追ってその可能性が狭まってきている感がある。たしかに、感染拡大の第2波と言うべき事態に直面し、中でも感染者の多くが東京で生じていては、

「なにが今さら東京五輪だ」

と言いたくもなるだろう。

▲写真 東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会・森喜朗会長と安倍首相 出典:首相官邸

そうであれば、開催か中止か、どのタイミングで判断すべきかだが、政府与党の発表通り「来年春」では遅すぎるのではないだろうか。

もともと7月に開催したのでは、猛暑の東京での競技となって、アスリートや観客、ボランティアの健康が心配だとの声があった。にも関わらずスケジュールを決めてしまったのは、もっぱらTV放映権料などの都合で、大きなスポーツイベントと時期的にかち合わないため、高額の放映権料が期待できるという理由であったと、衆目が一致している。このことは、以前にも指摘させていただいた。

その後もこの問題は解決されることなく、ついに花形競技であるマラソンが「北海道での開催」と決められてしまったことは、ご承知の通りである。

この例でもお分かりのように、開催にかかわる権限はIOC(国際オリンピック委員会)が握っているのだが、同委員会のバッハ会長は、6月初め、

「来年夏に開催予定の東京五輪が中止となった場合、その半年後に予定されている北京冬季五輪も中止にせざるを得ないだろう」

「無観客での開催などは、望ましいことではない」

との見解を示した。前述の森喜朗・元首相の発言は、このコメントにからんで、マスコミの取材に答えてのものである。

▲写真 IOCトーマス・バッハ会長 出典:ロシア大統領府

一方、このような声もあった。

日本における女子プロランナーの草分けで、マラソン選手として1992年バルセロナ五輪銀メダル、96年アトランタ五輪銅メダルという実績を残した有森裕子さんは、

「年内に決断(開催決定)できないのなら中止にすべき」

と発言した。アスリートたちの肉体的・精神的負担を考えてのことであるという。

こうした正論を堂々と開陳した彼女は、ご自分をほめていただきたいとさえ思う。もっとも、組織委員会がこうした正論に耳を傾ける可能性はほとんどないが。

どだい、新薬の開発に成功したとしても、来年春の段階では、

「安心して東京に来てください」

と発信することなどできまい。つまりは一般論としても、年内には開催の可否を公表しなければならない。経済的な観点からの「時間稼ぎ」など、百害あって一利なしである。

たしか麻生副総理も語ったことだが、

「五輪は40年おきに大変なことになる」

というジンクスができようとしているらしい。

40年前と言えば1980年だが、この年、モスクワ五輪の開催が予定されていた。

当時は未だソ連邦で、前年の1979年にソ連軍がアフガニスタンに侵攻し(社会主義政権への援助というタテマエではあったが)、国際的な非難を浴びていた。結果、日本を含む西側諸国の大半が、大会をボイコットしてしまったのである。

その4年後、今度はロサンゼルス大会であったが、予想通りに、当時共産圏と呼ばれていた東欧諸国がボイコットした。

1980年のさらに40年前と言うと、1940年であるが、実は東京大会が予定されていた。

詳しい経緯は次回あらためて振り返るが、煎じ詰めて言えば戦争のせいで中止となってしまったのである。

1986年、アテネで開催された大会が、近代における五輪の始まりだが、以降ロンドンが最多3回、パリとアテネが2回ずつ開催都市に選ばれている。

東京も今次で2回目となるはずであったが、もしも開催できなければ、

「2度目の大会中止=開催権返上」

という、おそらく空前絶後となるであろう記録を残すことになる。

私が「中止ありきの議論に与する気になれなかった」と述べたのも、実はこのことが念頭にあったからである。

具体的にどういうことかは、次回。

(続く)

写真:新国立競技場 出典:Wikimedia Commons; © Arne Müseler


この記事を書いた人
林信吾作家・ジャーナリスト

1958年東京生まれ。神奈川大学中退。1983年より10年間、英国ロンドン在住。現地発行週刊日本語新聞の編集・発行に携わる。また『地球の歩き方・ロンドン編』の企画・執筆の中心となる。帰国後はフリーで活躍を続け、著書50冊以上。ヨーロッパ事情から政治・軍事・歴史・サッカーまで、引き出しの多さで知られる。少林寺拳法5段。

林信吾

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