かくしてアマチュアリズムは淘汰された 嗚呼、幻の東京五輪 その6
林信吾(作家・ジャーナリスト)
「林信吾の西方見聞録」
【まとめ】
・第二次大戦以降、企業の論理によってアマチュアリズムが淘汰。
・1980年代以降、五輪開催は企業や民間からの出資、当たり前に。
・来年の五輪開催、国民の安全と天秤にかけられるものではない。
この春に読んだのだが、池井戸潤氏の『陸王』(集英社文庫)という小説が、まことに面白かった。
ドラマ化もされているので、ご存じの読者も大勢おられようが、埼玉県行田市にある老舗の足袋製造業者「こはぜ屋」の社長が、時代に取り残されて傾いた家業をなんとか建て直そうと、かつて製造販売の実績があった「マラソン足袋」に想を得て、まったく新しいランニングシューズの開発に乗り出す。資金難、技術的困難、メインバンクの無理解、果ては大手メーカーによる妨害工作まで、七難八苦どころではないピンチの連続を乗り越えて……という痛快な物語だ。「陸王」とはシューズの名前である。
その大手メーカーだが、有望な陸上選手には自社のシューズを提供する。それも、市販のモデルをベースにしてはいるものの、わざわざ足型をとり、走る距離やコンディションに合わせた特別製なので、当然ながら、フィッティングと呼ばれるその作業に要するコストは莫大だ。
小説の中に、
「オリンピックのマラソンでの優勝候補ともなれば、1億円近い金額をフィッティングに投入することもある」
などという台詞まで出てくる。私自身、陸上競技にまったく無関心な人間ではないけれども、なにぶん中学時代に陸上部と将棋部の両方に入部して変態と呼ばれた程度の経歴なので、こういう世界とは縁がなかった。
与太話はさておき、億単位のカネがどこから出るのかと言えば、あの選手が履いているシューズはわが社の製品です、という宣伝効果を期待してももの、言い換えれば広告宣伝費と見なされるからこそ、支出が認められるのである。
冬季五輪など一段とあからさまで、スキーの種目で入賞した選手が、申し合わせたかのようにロゴマークを大写しにするポーズでTVカメラの前に立つことには、結構前から問題視する声が聞かれる。しかし、あらたまる様子はない。
早い話が、大企業がプロ野球の球団経営に乗り出す論理とまったく同じなのだ。
今のソフトバンクホークスが、かつてダイエーホークスだったことはご存じだろう。スーパーマーケットチェーンで一時代を築いたグループが、1988年、南海電鉄が保有していた球団を買収し、本拠地も福岡に移転したのである。
その後球団経営は、立派な事業の一環と考えられるようになった。特に1990年代に入り、王貞治監督を招聘して優勝争いに加わるようになると、連日スポーツ新聞を中心に、ダイエー、ダイエーと大きな活字で書いてもらえるので、これを広告宣伝費に換算したら一体いくらになるか、という論理でもって、巨額の支出も正当化されたというわけだ。
ところが本業が傾き始めると、まったく別の論理が働くようになってくる。
時給900円あるかないかで、レジ打ちをしているパートさんのクビを切らねばならないような時に、ホークスの選手の年俸が数千万だ憶だと、誰が承知できると言うのかーーこれであった。結局、球団は身売りして、2005年にソフトバンクホークスとなる。
▲写真 ソフトバンクホークス福岡市内での優勝パレード(2011年12月11日) 出典:Wikipedia
五輪に話を戻すと、企業の論理によってアマチュアリズムが淘汰されていったのは、第二次世界大戦後に顕著になった傾向であると言われている。
理由の一つは、TV中継の普及だ。1964年の東京五輪を機に、全国レベルでTVが普及したことは有名だが、世界中の人々がリアルタイムで目にするイベントとなれば、これを宣伝に利用しない手はない、と考える企業が増えるのは、理の当然というものである。
もうひとつ、プロが出場する問題だが、これは、意外なことを言い出すようだが、東欧社会主義圏の出現と関わりがある。
いち早くプロの参加を認めた種目がテニスとサッカーだが、かつての社会主義国においては、プロのサッカークラブも「国営企業」で、選手も「公務員」であったため、西側の基準ではアマチュアということになる。
世にいうステートアマの問題だが、ワールドカップに出てくるような「アマチュア」と、本物のアマチュアを戦わせるのは、いかにも無茶というものだ。1960年代にあってサッカーのメダルは、東欧諸国が独占するようになった。
対応に苦慮したIOCでは、最終的にプロ選手の出場を認めることにしたが、FIFA(国際サッカー連盟)から、
「出場選手の年齢制限を設けること」
という条件が付いた。具体的には大会開催の時点で23歳以下の選手のみ出場可能、という規定だが、これは読者ご賢察の通り、
「世界最高のサッカーの大会とは、ワールドカップをおいてない」
という信念のなせる業であった。
今では陸上競技や水泳にまでプロが存在するが、いずれも企業の協力あってのことだ。
そして、回を追うごとに大会の規模と経費が膨らむにつれ、企業からの出資なくしては大会の運営自体がおぼつかない、と考えられるようになった。1984年ロサンゼルス五輪あたりから、このことを問題視する声が聞かれるようになってきている。
背景として、1976年のモントリオール五輪が大赤字になってしまい、大増税を招いて市民の反発を買ったことがあると言われる。当時のサラマンチIOC会長にしてみれば、これは「三分の理」どころか、商業主義に舵を切る立派な大義名分だったのかも知れない。
▲写真 モントリオールオリンピックスタジアム 出典:Pixabay; brigachtal
いずれにせよ、1980年代以降、五輪開催に際しては、企業や民間からカネをかき集めることが、当たり前になってきた。
1988年のソウル五輪に際しては、在日コリアン(つまり、北朝鮮国籍の人も含めて)が、80億円を超す寄付金を集めたという。ぽんと3億円出した会社社長がいるかと思えば(当時の日本はバブルだった!)、生活保護を受けているお婆さんが500円持ってきた、という話が、当時は美談として報じられたものだが、これも今なら、生活保護の原資は日本国民の税金だぞ、みたいな声が出るかも知れない(個人的には、500円のことで目くじら立てなくとも、と思うが)。
今次の東京五輪に際しては、民間からボランティアを大々的に募集していたし、東京都庁では、メダルの材料にするということで、中古の携帯電話などを回収していた。これなども、現金に代わる労働力や資源を民間から吸い上げるという発想に他ならない。
前に、そもそもクーベルタン男爵が主張したアマチュアリズムなど、有産階級だけがスポーツを楽しめる社会を肯定するエリート主義に過ぎない、と述べた。
その意見を撤回するつもりはないが、企業や民間からの「協賛」と。TV放映権料などで、利権まみれになったと言って過言ではない現在の五輪のあり方も、やはり見直すべき時期に来ていると思う。
新型コロナ禍により、来年の開催も日を追って望み薄となってゆく中、官邸筋は開催の意向を変えていないようだ(『週刊文春』などによる)。
利権ではなく、コロナ禍でもっとも打撃を受けた旅行業界を中心に、経済効果を期待してのこと、と主張するのかも知れないが、たとえそれが本気であったとしても、国民の安全と天秤にかけられるものではないはずである。
トップ写真:2014年冬季オリンピック 出典:ロシア大統領府
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この記事を書いた人
林信吾作家・ジャーナリスト
1958年東京生まれ。神奈川大学中退。1983年より10年間、英国ロンドン在住。現地発行週刊日本語新聞の編集・発行に携わる。また『地球の歩き方・ロンドン編』の企画・執筆の中心となる。帰国後はフリーで活躍を続け、著書50冊以上。ヨーロッパ事情から政治・軍事・歴史・サッカーまで、引き出しの多さで知られる。少林寺拳法5段。