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.経済  投稿日:2020/9/5

アジアで安全保障面の関与を「ポスト安倍 何処へ行く日本」


大塚智彦(フリージャーナリスト)

「大塚智彦の東南アジア万華鏡」

【まとめ】

・日本とインドネシアは信頼に基づいた関係を維持。

・ジョコ・ウィドド大統領、ポスト安倍とは関わりが薄い。

・アジア各国は日本により安全保障上の関与求めている。

 

日本の安倍晋三首相が8月28日に健康問題を理由に突然辞意を表明したことは東南アジア諸国連合(ASEAN)加盟10カ国では驚きをもって迎えられ、同時にこれまでの東南アジアで安倍政権が果たしてきた積極的な役割を評価する声が相次いだ。

これは東南アジア流の「去る者への礼儀」「経済大国日本への感謝」といった外交辞令も多分に含まれていることは、日本としては割り引いて受け止めた方がいいだろう。

世界第4位の人口を擁するASEANの大国インドネシアではジョコ・ウィドド大統領が安倍首相の辞意表明を受けて8月28日にツイッターで「大統領就任後初めて会った世界の指導者の1人だった。安倍首相の指導力で両国関係はより強固になった。ありがとう」と感謝のメッセージを寄せた。

日本とインドネシアは太平洋戦争後の旧植民地支配者であるオランダなどの連合軍との間で繰り広げた独立戦争に、様々な理由からインドネシアに残留した多くの旧日本兵が参加して共に戦った記憶や戦後賠償によるインフラ整備、民間企業の積極的な投資、そして官民での人とモノの交流などを経て成熟して良好な2国間関係が続いている。

1974年1月のマラリ事件(田中暴動=インドネシア進出日本企業が華人系財閥やスハルト大統領側近と癒着してビジネスを展開しているとしてインドネシア訪問中の田中角栄首相へのデモが発生)、2015年のジャカルタ~バンドン高速鉄道受注問題(最後の土壇場で最有力の日本を退けて中国が受注)、2020年3月のインドネシア国内でのインドネシア人のコロナウイルス初感染(感染源はマレーシア在住の日本人と指摘された)などで一時的に関係悪化が危ぶまれる事案もあったが、両国政府取りも直さず両国国民の努力でそれも乗り越え、現在にいたるまで信頼に基づいた関係が維持されているといえるだろう。

▲写真 田中角栄氏 出典:内閣官房内閣広報室

 

■ インドネシア有数の知日派記者のコラム

インドネシアの主要英字紙「ジャカルタ・ポスト」は9月2日、シニアエディター、コルネリウス・プルバ記者のコラム記事を掲載して、これまでの安倍政権とインドネシアを総括し、同時にポスト安倍の日本との新たな関係への展望を示した。

プルバ記者は筆者が毎日新聞ジャカルタ特派員時代、朝日新聞の助手を務めていたインドネシアでは数少ない優れた日本通のシニア記者で特にインドネシア外務省、在インドネシア各国外交団、経済界に太い人脈をもつ影響力の大きな記者として活躍している。

プルバ記者の記事は「安倍晋三、ジャカルタの地下鉄からグローバルな軍事的野心まで」との見出しで安倍政権の東南アジア、特にインドネシア外交を検証するところからはじまっている。

後述するが見出しの「軍事的野心」というのは安倍首相の憲法改正による自衛隊の地位の見直しとか集団的自衛権の解釈変更、敵地先制攻撃の可能性などという「軍事力拡大志向」を批判する言葉ではない。むしろそういう意図とは逆のインドネシア・日本関係を安全保障の分野で展望したものであることを先ず付記しておく。

 

■ 限られた日本人脈の大統領

安倍首相の辞意表明に感謝と労いのメッセージを出したジョコ・ウィドド大統領だが、ポスト安倍で現在名前が挙がっている自民党幹部の誰一人とも個人的関係がほとんどないのが実状だ。ジョコ・ウィドド大統領の日本人脈は安倍首相を除けば日本インドネシア協会の重鎮である福田康夫元首相ら数人に限定されている。

▲写真 ポスト安倍の1人、菅官房長官 出典:内閣官房内閣広報室

日本の経済界でもジョコ・ウィドド大統領が目玉政策としてぶち上げた首都移転計画への投資を表明したソフトバンクの孫正義会長など数は少なく、パイプは太くない。

こうした状況についてプルバ記者は「ジョコ・ウィドド大統領は日本からの投資を流入し続けること、日本への輸出の拡大の継続に関心を寄せている」とコラムで指摘し、今後も両国経済関係のさらなる進展への期待を示している。見出しの「地下鉄」は日本の技術協力で2019年3月に同国初の地下鉄として首都ジャカルタで開業した「都市高速鉄道(MRT)」で、市民の日常の足として大歓迎され、日本の高い技術力への評価がさらに高まった事例である。

特にインドネシアで存在感が増している中国企業に比べて「日本企業は現地インドネシア人の雇用拡大に配慮し、深刻な労使関係も抱えることがなく、インドネシア国民から歓迎されている」として中国に対抗する意味でも日本の投資、企業進出がインドネシアにとって歓迎すべき状況にあり、さらなる緊密化が求められているとプルバ記者はコラムで強調する。

 

■ 対中国で日本に期待する安保での役割

こうした日本の経済面でインドネシアに積み上げてきた実績を高く評価する一方で、プルバ記者は「安全保障の面でもより存在感を高めてASEAN地域で役割を果たす時期がきているのではないか」とポスト安倍の指導者に期待を寄せている。

安倍首相が達成できなかった懸案の憲法改正について「中国や韓国は強く非難し、日本の過去の野心の復活を恐れている」と指摘するが「ASEAN10カ国がこうした懸念を共有するかどうかは不明だ」と中国や韓国とは立場が異なるとの見方に言及

さらに「経済面だけでなく軍事面でもこの地域で台風のような台頭を巻き起こしている中国の現状を見ると、より強い日本が必要になるであろう」と安全保障面での日本の強いプレゼンスが中国とのバランスを保つ上でも必要との主張を展開する。

プルパ記者によるとASEAN加盟国の中には暗黙の理解として東南アジア地域に関心を失いつつある米国に代わる対中国の存在として日本への期待が実はある、というのだ。

インドネシア外交関係者や軍高官との私的会話でもプルバ記者に「日本に自衛力以上の戦力の保持を期待する」との声も出ていると打ち明ける。

 

■ インドネシア人の対日感情の原点

ただここで誤解が生じないように説明しておきたい、こうしたプルバ記者の主張は彼の広い人脈や強いネットワークからインドネシアでは極めて一般的主張であり考え方であると推察することができる。しかしそれは太平洋戦争で日本がインドネシアを軍事侵攻したことを評価したり、肯定したりするものでは決してないということである。

日本の言論界にはいまだに一部で「インドネシアの独立は日本軍のお陰」「侵略戦争ではなく植民地からの解放戦争」との主張が散見する。こうした見方、主張はインドネシア人の歴史と心を踏みにじる独善でしかない。結果としての独立であってインドネシアという「他人の家に断りも前触れもなく土足でずかずかと踏み込んでいった」のが日本軍であることをインドネシア人は歴史の教科書できちんと学んでいる。

プルバ記者もコラムの中で「第二次世界大戦での日本軍の残虐行為にアジア諸国は傷ついた。戦時中の行為を償うために多大な努力をしてきたドイツに比べて日本は依然として罪悪感を認めることや犠牲者への補償の面で中途半端であると国際社会では認識されている」と指摘していることを肝に命じなければならないだろう。

 

■ 日本の次期首相への期待

東南アジア地域に独善的な「一帯一路」政策で浸透を図る中国に対抗するためにも米国ではなく、同じアジアの日本に経済分野以外にも積極的な役割を期待していることがこのコラム全体を貫いている。

「中国の軍事力は着実に世界的なレベルに達しており、ASEAN各国の悩みの種となっている。安倍首相はこの懸念を和らげることができなかった」と安倍政権の東南アジア外交を振り返り、その上でプルバ記者は「日本の憲法改正に反対する中国と韓国の立場は理解でいるし、正当だろう。日本の過去の侵略は許しがたい。しかし東南アジアの国には“斧を埋める”という伝統がある」とインドネシアは中国や韓国とは異なると指摘する。

これはシンガポールの建国の父で長く政府を主導し親日政策を推進した故リー・クアン・ユー氏の「許そう、しかし忘れまい」という日本の過去への思いに通じるものといえるだろう。

コラムは最後にポスト安倍の日本の指導者が誰になろうとも、インドネシアは経済協力と投資の継続を望んでいることを繰り返し、さらに「日本をより意味のある地政学的役割に導くべきである。それが日本のアジアにおける過去の占領による痛ましい歴史をおそらく償還することにつながるのではないだろうか」と結んでいる。

ポスト安倍の次期首相に噛みしめてほしい、中国や韓国とは異質の東南アジアの盟主、インドネシアの声である。

トップ写真:ジョコ・ウィドド大統領と安倍首相 出典:外務省HP


この記事を書いた人
大塚智彦フリージャーナリスト

1957年東京都生まれ、国学院大学文学部史学科卒、米ジョージワシントン大学大学院宗教学科中退。1984年毎日新聞入社、長野支局、防衛庁担当、ジャカルタ支局長を歴任。2000年から産経新聞でシンガポール支局長、防衛省担当などを経て、現在はフリーランス記者として東南アジアをテーマに取材活動中。東洋経済新報社「アジアの中の自衛隊」、小学館学術文庫「民主国家への道−−ジャカルタ報道2000日」など。


 

大塚智彦

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