無料会員募集中
.国際  投稿日:2020/10/5

タイ深南部で8月以来の爆弾テロ


大塚智彦(フリージャーナリスト)

「大塚智彦の東南アジア万華鏡」

【まとめ】

・タイ深南部でテロ発生、進まない政府との和平交渉が原因か?

・イスラム教テロ組織は、マレーシアとの国境を「自由」に移動。

・プラユット政権は高まる反政府運動に深刻な局面を迎えている。

 

タイ南部のマレーシアとの国境に近いいわゆる深南部で10月1日に道路上に仕掛けられた「即席爆破装置(IED)」によるとみられる爆弾テロが発生し、兵士1人が死亡、6人が負傷した。同地域ではタイからの分離独立を求めるマレー語を話すイスラム教徒のテロ組織が長年活動し、タイ治安当局との戦闘を続けていた。しかし、新型コロナウイルスの拡大に伴い、4月以降は「政府や地方自治体がコロナ対策に専念するため」として一時停戦が実現していた。

とはいえ、停戦中も小競り合いやテロは頻発し、犠牲者も出る事態が続いていたが、8月に発生した爆弾テロを最後に情勢は比較的安定していた。その安定を崩すことになった今回の爆弾テロ事件は、専門家の間からは遅々として進まないタイ政府との和平交渉への不満やコロナ感染拡大防止を名目にした治安当局のテロ組織やメンバーへの締め付けが背景にあるのではないかとの見方も強まっている。

■ 軍の車列狙った爆弾テロ

10月1日正午前、深南部ソンクラ県テパ地区を移動中の陸軍兵士を乗せたバス、トラック6台の車列の脇で突然爆弾が爆発した。この爆発により兵士1人が死亡し、6人の兵士が爆弾の破片などで負傷し、近くの病院に収容された。6人は命には別条ないという。

地元警察や軍によると、今回の爆発は道路中央部の中央分離帯にあった木に仕掛けられていた「即席爆破装置(IED)」が爆発したもので、無線による遠隔操作で起爆させたとみている。

同様の手口は同県などを主要活動拠点とするパッタニー・マレー民族革命戦線BRN)」がこれまでにも常用していることから、今回の爆弾テロもBRNによる犯行の可能性が高いとみられている。

テロに遭遇した軍の車列はクラビ県にある陸軍第15歩兵連隊の兵士約100人が搭乗。深南部での勤務に交代で配置される途中とされ、事前に移動の情報がBRN側に漏洩して待ち伏せされた可能性もあるとみられている。

深南部では8月13日にパッタニー県ドゥヨン地区で陸軍部隊がパトロール中に道路脇に仕掛けられたIEDが爆発して兵士1人が死亡、30分後に隣接するナラティワート県ラ・ナエ地区でパトロール中の兵士1人がIED爆発で死亡、3人が負傷するテロ事件が連続して起きている。タイ治安当局はこの8月の2件の爆弾テロ事件もBRNによる犯行とみているが、捜査はその後進展しておらず、事件は未解決のままとなっている。(参考=8月16日「タイ深南部で相次ぐ爆弾テロ」)

▲写真 パッタニー県 出典:Flickr; udeyismail

■ マレーシアとの国境を自由に移動

BRNなどタイのイスラム教テロ組織は、タイ深南部を活動拠点として、マレーシアとの国境を「自由」に移動して、タイ治安当局の追尾を逃れたり、潜伏したりすることが多いと指摘されている。タイ政府はマレーシア政府に対応策を要求しているが、長い国境地帯は陸路や小川で簡単に越境できることから実効的対処は困難とされていることもこの地域のテロ活動が収まらない一因といわれている。

1960年に設立されたBRNは同地域最大のテロ組織で、主にヤラー県、ソンクラ県さらにナラティワート県、パッタニー県の深南部4県を主な活動拠点にしている。同地方にはBRN内部の路線対立から分離した組織、さらに「パッタニー統一解放機構(PULU)」の分派、残党などの小グループが小規模ながらも爆弾攻撃、銃撃などで治安部隊との衝突、非イスラム教徒らへの襲撃、テロを繰り返し続けている。

いずれの組織もインドネシアやフィリピンのイスラム教テロ組織などと比較すると資金力、武装装備、国際的ネットワークなどの点では弱く、爆弾テロで使用されるIEDも殺傷能力が高いものではなく、大きな犠牲が出るケースは近年少なくなってきている。

■ テロ再開の狙いは和平交渉か

8月以降発生していなかった深南部での爆弾テロが今回起きたことで、「テロの連鎖が再開か」との懸念も出ている。パッタニー県のシンクタンク「深南部ウォッチ」のスリソンポ代表は米政府系放送局「ラジオ・フリー・アジア(RFA)」系列の「ブナ―ルニュース」に対して「3月以降実質的に中断している政府とBRNによる和平交渉の即時再開、進展を促す狙いがあるのではないか」との見方を示している。

タイ政府側の和平交渉担当者はコロナ禍による移動制限が解除され次第、新南部、国境を接するマレーシア北部を訪問して交渉再開、早期進展を図りたいとしているものの、コロナ禍の終わりが見えず、時機が不確定なことがBRN側の焦燥感を高めているといわれている。

その一方で4月以降の「コロナ感染拡大防止対策」への協力として実施している一時停戦とはいえ、4月以降深南部地域では51件の事件が発生し、兵士・警察官10人を含む31人が死亡、51人が負傷するなど治安情勢は決して安定していない。

このため治安維持に当たる陸軍や警察は警備・警戒態勢を緩めておらず、そうした状況がBRNにしてみれば「コロナ対策集中のために実施している一事停戦にも関わらずタイ治安当局は態勢を緩めていない」と反発を強めていることが今回の爆弾テロの背景にあるのではないかとの見方も有力だ。

プラユット政権は首都バンコクなどで大学生ら若者層を中心にした「プラユット首相退陣、内閣総辞職、国会解散、憲法改正、王政改革」などを要求する反政府デモの気運が高まっており、10月14日には学生組織らによるゼネストも呼びかけられている。

コロナ禍、反政府運動の高まりと難しい局面を迎えているプラユット政権にとって、今回の爆弾テロ発生による一時落ち着いていたかにみえた深南部での爆弾テロ再開の兆しは、さらに深刻な局面を突きつけることになったといえるだろう。

トップ写真:プラユットタイ王国首相 出典:Flickr; Prachatai


この記事を書いた人
大塚智彦フリージャーナリスト

1957年東京都生まれ、国学院大学文学部史学科卒、米ジョージワシントン大学大学院宗教学科中退。1984年毎日新聞入社、長野支局、防衛庁担当、ジャカルタ支局長を歴任。2000年から産経新聞でシンガポール支局長、防衛省担当などを経て、現在はフリーランス記者として東南アジアをテーマに取材活動中。東洋経済新報社「アジアの中の自衛隊」、小学館学術文庫「民主国家への道−−ジャカルタ報道2000日」など。


 

大塚智彦

copyright2014-"ABE,Inc. 2014 All rights reserved.No reproduction or republication without written permission."