コーツ発言は「令和のハルノート」「コロナ敗戦」もはや不可避か その4
林信吾(作家・ジャーナリスト)
「林信吾の西方見聞録」
【まとめ】
・IOCコーツ氏「緊急宣言下でも五輪開催」は「令和のハルノート」。
・五輪開催の結論ありきで、日本国民の不安を無視したことに等しい。
・犬猿の「丸川vs.小池」を見ても、安全・安心な五輪など期待できず。
5月21日、IOCのジョン・コーツ調整委員長は、委員会後の記者会見で、
「たとえ大会期間中に東京で非常事態宣言が発令される事態が起きたとしても、予定通り開催するのか」
との質問に対して、
「その質問への答えは、もちろんイエスだ」
と明言した。同委員長によれば、
「緊急事態宣言下で、複数の競技のテスト大会が成功した。アスリートや日本の人々の安全や安心を守るための全ての計画は、最悪の事態を想定したもの」
なので、問題なく開催できるはず、ということのようだ。
▲写真 IOC ジョン・コーツ副会長 出典:Rodrigo Reyes Marin-Pool/Getty Images
報道に接した私が、まず直感的に思ったのは、
(まるで令和のハルノートだな)
ということであった。
日米開戦を目前に控えた1941(昭和16)年11月27日、これは米国東部時間であるが、首都ワシントンDCにおいて、米国国務長官コーデル・ハルから駐米日本大使に対して、一通の覚書が手渡された。
よく、昭和初期の日本人、とりわけ明治の建軍より敗戦の経験がなかった軍上層部は怖いもの知らずで、ぜいたくな生活に慣れた米国人などに負けるはずがない、などと単純に信じ込んでいたと考える人がいる。国民はそんな軍部に騙されて戦争に巻き込まれてしまったのだ、と。
▲写真 コーデル・ハル米元国務長官(1945年11月12日) 出典:Bettmann /Getty Images
事実は、いささか異なる。今さら旧日本軍を擁護する気はないが、控えめに言っても米国側は外交交渉で事態を打開できるとは考えていなかったのだろう、と思わざるを得ない。その象徴がハルノートなのである。
これより前、日本は中国大陸で侵略的な戦争を続けているとして、米国から経済制裁(石油などの禁輸)を受けていた。
そこで外交交渉が始められたわけだが、米国が強硬に求めてきた「中国大陸からの撤兵」は、当時の陸軍にとっては出来ない相談であった。戦わずして米国の圧力に屈したのでは、今までの(日中戦争における)犠牲は一体なんだったのか、ということになる。
今次の東京五輪も、昨年春に延期が決定して以降、中止を求める声がずっとあったわけだが、前大会組織委員長だった森喜朗氏は、
「ここで中止したら、今までの投資が無駄になる」
と一蹴した。人の命とカネを同列に論じることは無論できないが、為政者の論理としてはまったく同じ構造だということは言える。
▲写真 森喜朗・前東京五輪組織委員会会長(2021年02月12日) 出典:Yoshikazu Tsuno – Pool /Getty Images
いずれにせよ昭和の日本は、15年ほどかけて(!)段階的に撤兵する、といった妥協案で米国からの石油禁輸解除、もしくは緩和を引き出そうともくろんだが、取り合ってはもらえなかった。ハルノートの内容をかいつまんで述べると、中国大陸及び当時日本がすでに進出していた仏領インドシナ(現在のヴェトナム)から、全ての軍事力と警察力を即時引き払うこと、日独伊三国同盟の実質的的破棄、さらには蒋介石総統が率いる中華民国政府を唯一の合法政権と認めること等々であった。
これだけでも、日本に対して軍事的・外交的な主権を放棄せよと決めつけているに等しく、なかなか大変な話だが、その条件を呑めば経済制裁を解除する、というのではない。まずは日本に条件を呑ませ、それから交渉に応じてもよい、というのだ。
これは『<戦争>に強くなる本』(ちくま文庫・電子版アドレナライズ)でも書かせていただいたが、外交文書としてはもはや「ぶっ飛ばしもの」であって、ここまでやられたらどこの政府でもキレる。実際、日本の戦争犯罪を裁いた東京裁判(極東軍事裁判)でも、A旧戦犯とされた被告に対して、無罪を求める意見書を書いたことで知られるインドのパル判事は、
「ハルノートのごときものを突き付けられたら、ルクセンブルクのような小国でも武器を取って立ち上がったであろう」
と述べている。余談ながら、日本ではしばしば「パル判決」と呼ばれるが、判決は裁判官の多数決で決定されるので、あくまでも意見書である。
いずれにせよ、ここまで読まれた方々には、私が先日の「コーツ発言」について、ハルノートを彷彿させると述べた理由がお分かりいただけるだろう。
とにかく、無観客でもよいから五輪は必ず開催するという結論ありきで、新型コロナ禍の中で五輪を開催することに対する日本国民の不安や、IOCになにも言い返せない政府・組織委員会への不信感など、どうでもよい、と言い放ったに等しいのだ。
ここで念のため述べておくと、私は「日米開戦の原因はハルノートだ」などという歴史観を奉じるものではない。多少は戦史を勉強しているので、この覚書が日本に手渡された時点で、日本海軍の空母機動部隊は、すでにハワイの真珠湾を目指して出撃していたことを知っているからだ。
国内的にも「11月末までに対米外交交渉が妥結に至らない場合は開戦」との意志一致がなされており、実際に交渉がまとまらなかったことから、
「ニイタカヤマノボレ ヒトフタマルハチ(1208)」
という暗号電文にて、日本時間の8日に真珠湾軍港を攻撃せよ、との指令が伝達されたのである。
つまり、ハルノートの内容がどうであったかということと、日本の戦争意志との間に、明確な因果関係を見出すのは難しい。さらに言えば、
「昔の日本人は、お国のために一致団結して戦った。それに引き換え今は……」
という表現も、私は聞くたびに鼻で笑ってしまう。戦時中、いかに戦局が不利になろうとも、陸海軍はメンツを張り合って戦争終結を言い出すことはできず、それどころか、戦争資材の分配をめぐって醜悪な抗争を続けていた。もちろんこの当時、内情を知る人の数など知れたものであったが、陰では「日日戦争」「二本軍」などと言われていたようだ。
▲写真 丸川珠代・五輪担当相(右端)と小池百合子・都知事(左端)(2021年3月3日) 出典:Du Xiaoyi – Pool/Getty Images
これまた今次の五輪を巡って、大会組織委員会の収支がもしも赤字になった場合の対応について問われた丸川珠代・担当大臣は、
「東京都の財政規模を考えれば、補填できないことはないはず」
と述べた。もともと「東京都が補填できない場合は国が……」という規定になっていることを念頭に置いたもののようだが、小池百合子・ 東京都知事は、
「国と協議すべき事柄」
と答えたにとどまった。丸川大臣の発言に直接言及こそしなかったものの、誰が見ても「当てこすり」であろう。マスメディアはこれをとらえて「犬猿の仲の二人がまたもや……」というように、面白おかしく書き立てていたが、事は税金の使われようの問題でもあり、また、こうした問題ひとつとっても、安全・安心な五輪開催など期待できない、という問題だ。まったくもって笑いごとではないのである。
トップ写真:コロナ禍の中、マスクをする人と五輪のロゴ(2020年03月05日 東京・台場) 出典:Carl Court/Getty Images
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この記事を書いた人
林信吾作家・ジャーナリスト
1958年東京生まれ。神奈川大学中退。1983年より10年間、英国ロンドン在住。現地発行週刊日本語新聞の編集・発行に携わる。また『地球の歩き方・ロンドン編』の企画・執筆の中心となる。帰国後はフリーで活躍を続け、著書50冊以上。ヨーロッパ事情から政治・軍事・歴史・サッカーまで、引き出しの多さで知られる。少林寺拳法5段。