無料会員募集中
.政治  投稿日:2021/8/29

菅首相、なぜ任期満了解散にこだわる


樫山幸夫(ジャーナリスト、元産経新聞論説委員長)

【まとめ】

・菅首相は再選されたら、任期満了間近にかかわらず衆院を解散するという。

・なぜ〝無駄な解散〟を強行するのか、任期満了選挙で自民大敗の過去があるからだ。

・奇策を繰り出しても、可能な限り総選挙の時期を先送りするだろう。

 

自民党の総裁選には現職を含む複数の候補が出馬表明、一時取りざたされた無投票は避けられる見通しとなった。

総裁選とあわせて焦点になっているのが、衆議院の解散時期だ。

現在の衆院議員の任期はことし10月21日まで。任期満了選挙を行えば、解散する必要はないはずだが、首相は9月の総裁選で再選されれば、解散に踏み切るという。任期切れが迫っているのになぜ、わざわざ解散する必要があるのか。

素人には理解しがたい。無駄ともみえることに知恵を絞っているのは、滑稽感すら感じさせられるが、首相は大まじめなのだろう。永田町の論理では、解散権を行使できない首相は求心力を失い、任期満了による総選挙に踏み切っても敗北する恐れがあるからだ。

戦後、解散によらない総選挙が一度だけ行われたが、自民党はそのとき、手ひどい打撃を被った。菅首相は解散見送りによって、そのときの悲劇が再来するのを恐れているのかもしれない。

■解散によらない総選挙、戦後は一度だけ

解散権は内閣総理大臣の〝伝家の宝刀〟といわれる。なにしろ自分の判断で、500人近い衆院議員を任期途中で首を斬るのだから、強大な権限だ。

戦後、昭和22年から前回平成29年までに行われた総選挙は27回。ほとんどが衆議院の解散に伴う。解散されたときの政治状況を反映して、膝を打ちたくなるようなぴったりの〝ニックネーム〟で呼びならわされている。  

バカヤロー解散」といういささか品のないケースがあった。

昭和28年。吉田茂首相が、衆議院予算委員会での西村栄一氏(右派社会党)の質疑中、興奮して「バカヤロー」とつぶやいたのをマイクが拾い、これがきっかけで選挙に発展した。

▲写真:サンフランシスコ平和条約に調印する吉田茂首相(当時)1951年9月17日 出典:Bettmann/GettyImages

1966(昭和41)年12月の佐藤栄作内閣による「黒い霧解散」

砂糖会社が、払い下げを受けた国有林を担保に農林中央金庫から不正融資を受けていた事件(共和製糖事件)、就任早々の運輸大臣(当時)が、自分の選挙区内の駅に急行が停車するよう横車を押したーなど相次ぐスキャンダルで政局運営が行き詰まったことを解消するのが狙いだった。

■任期満了による「ロッキード選挙」で大敗

自民党が敗北を喫した戦後唯一の任期満了選挙というのは、昭和51年の第34回だ。

本来なら「ロッキード解散」と呼ばれるべきところ、解散をともなわなかったことから「ロッキード選挙」といわれる。

この年は戦後の政治史上、特筆されるべき年だった。

アメリカの航空機会社、ロッキード社が航空機を売り込むために全世界の有力者にワイロをばらまいた。日本では右翼の大物が関与、田中角栄前首相をはじめ政府高官、代理店の商社、航空会社らの幹部が相次いで逮捕された。

▲写真 周恩来中国首相と会談する田中角栄首相(当時)1972年12月25日 出典:Bettmann/GettyImages

当時の三木武夫首相はこの事件の解明に積極的に取り組んだが、元首相の政治姿勢に批判的だったこともあって、その逮捕は三木のさしがねなど根拠のない憶測が乱れ飛んだ。そんなわけでもあるまいが、自民党内では三木首相への批判が高まりをみせていた。

ロッキード事件に先立って、田中首相が金脈疑惑で退陣した際、自らの裁定で三木政権を誕生させた副総裁の椎名悦三郎氏ですら公然と批判した。その舌鋒、「惻隠の情がない」は当時、はやり言葉にもなった。

三木首相は、この年12月に衆院議員が任期満了を迎えるため、解散の時期をさぐっていた。しかし、反三木の福田赳夫元蔵相、大平正芳元外相らが急先鋒となって解散に反対。挙党体制確立協議会(挙党協)という〝党中党〟が発足、党は分裂状態となった。 

挙党協から、閣僚14人が名を連ねる退陣要求を突き付けられるなど苦しい状況の中、三木氏は党役員人事、内閣改造で批判勢力の一部を取り込み、中央突破を図るなどあくまで強気を崩さなかった。

この粘り腰は、戦前から国会で活躍、戦時中の翼賛選挙を非推薦で勝ち抜き、戦後は小党を渡り歩いて権謀術数を身につけた〝バルカン政治家〟三木の面目躍如だった。小派閥が、敵味方をめまぐるしく変えて生き延びていくという意味だ。

▲写真 自民党大会で演説する三木武夫首相。ロッキード事件に関与した日本人の名前を取得するために米国からの協力を求める手紙をフォード大統領に送った。(1975年1月22日) 出典:Bettmann/Getty Images

しかし、衆寡敵せず、結局、伝家の宝刀をぬくことはかなわず、戦後初の任期満了選挙を余儀なくされる。

党内の分裂を抱えた選挙など勝てるはずがない。12月5日に行われた投票で、自民党の獲得議席は249、現有議席より16議席減、過半数(256)も割り込んだ。

保守系無所属候補の追加公認でかろうじて危機をしのいだものの、三木の奮闘もここまで。その退陣表明で、長い三木おろしは幕を下ろした。

■自民党低落の契機、首相は再来恐れる?

これが戦後唯一の任期満了選挙での自民党敗北の顛末だ。

すでに、「遠い日の思い出」だが、思えば、これが自民党の長期低落のはじまりではなかったか。

三木退陣の後は、福田内閣が発足。大平氏との間で「2年で交代する」という密約があったといわれるが、これは反故にされ、福田氏は昭和53年の総裁選に再選出馬。しかし大平氏に一敗地にまみれる。

老境に差しかかった人は覚えているだろう。「天の声にもヘンな声がある」と造語の名人、福田氏が自嘲気味に漏らしたのはこのときの敗北会見だ。

現職総裁を破って登場した大平政権は、54年秋の総選挙で「一般消費税」導入を掲げたことがあだとなって敗北。首相と、退陣を求める勢力が対立。「40日抗争」と呼ばれる政争に発展した。

翌年5月には大平内閣不信任案可決。これをうけた衆院解散(ハプニング解散)、初の衆参同日選挙、そのさ中での大平氏急死、選挙は大勝という劇的な展開をたどる一方で、党勢は確実に衰退していった。

中曽根、小泉、安倍の長期政権は登場したものの、その後は、それをのぞくと2年程度の短命政権の登場、退陣が続いた。

平成5年夏、宮沢喜一首相の下で戦った総選挙で敗北、下野を余儀なくされて反自民の細川連立内閣の登場を許したのはなお記憶に残る。

菅首相そのひとは、「ロッキード選挙」当時は、はじめて議員秘書として政治の道に足をふみいれたころだろう。権力闘争の世界をまじかで眺めながら、解散権を行使できない首相がどういう末路をたどるかを強く感じたはずだ。形だけの解散であっても、首相が、それにこだわる理由は、こうした経緯を考えればよく理解できよう。

■師走近くまで選挙先送りが可能

さて、首相がなりふりかかまわず解散を断行するにしても、総裁選、コロナ対策などの日程とどう組み合わせるのか。

実務的な話になるが、選択肢については、すでに多くの報道がなされている。

夏以降の爆発的なコロナ感染者増加によって、9月5日のパラリンピック閉幕直後に解散・総選挙、その後に総裁選という首相の当初の目論見は潰えた。

総裁選は9月29日、解散、総選挙はその後になる見込みだが、こうなった以上、首相にとって、選挙は可能な限り時間を置くのが得策だろう。ワクチン接種による効果が出始めて感染者減という好ましい効果を期待できるからだ。

しかし、総裁選終了時には、衆議院議員の任期切れまで1カ月をきっており、任期満了選挙の手続きにはいっていることが想定される。そのまま選挙というのが常識的な流れだ(公選法によると任期満了の30日以内に選挙を行う)。

しかし、首相がどうしても解散権を行使するなら、任期満了選挙の公示後でも衆院を解散することができるという規定(公選法31条5)を利用して解散を断行、あらためて公示しなおし、投票日を大幅に先送りするという奇策がある。

また、「任期満了前の30日以内」に国会が開会されているか、閉会後23日以内ならば、閉会日から「24日以後30日以内」に投票を行うという規定もある(31条2)。

にわかに理解するのが難しいが、菅首相が投票日を最大限先送りしようとするならば、憲法54条の「衆議院が解散された日から四十日以内に、衆議院議員の総選挙を行ひ、その選挙の日から三十日以内に、国会を招集しなけらならない。」という規定を使う可能性もある。

すなわち、現衆院議員の任期満了日、10月21日を臨時国会の最終日とし、その日に解散すれば、選挙はそれから40日後、投票日を日曜日とすると11月28日まで先送りすることが可能になるわけだ。

しかし、これらのシナリオはあくまで、菅首相が9月29日の総裁選で再選された場合だ。もし、菅首相以外の人が新総裁に選出されたなら、まったくあてはまらず、事態はより複雑になる。

新総裁を首相に指名する臨時国会をすぐに開くのか、新総理の指名を見合わせて現内閣で総選挙を戦い、投票後の特別国会での首相指名まで待つのか、そもそも新総理・総裁が任期満了選挙、解散による選挙、いずれを選択するのか(拓殖大、丹羽文生教授)など不確定要素を指摘する向きが少なくない。ただただ総裁選挙の結果を見守るほかはない。

■論戦なき菅再選なら国民が失望?

総裁選についてひとこと。

菅首相のほか岸田文雄前政調会長ら何人かが名乗りをあげている。コロナ対策が急がれるときに政争などーと眉を顰めるむきもあろうが、総裁選無投票にならなかったことは歓迎すべきだろう。

安倍首相が退陣を表明した昨年、二階幹事長が後継総裁として菅支持を打ち出すと、各派が雪崩をうってそれに同調した。

それから1年。各メディアの調査で支持率が軒並み30%を切り、菅続投を望まない有権者が圧倒的に多い中で、昨年と同じ構図が繰り返されるなら、自民党は有権者の失望を買うだろう。

現時点ではいぜん、菅有利といわれるが、各派若手を中心に、菅支持に異論が渦巻いているともいう。 

国を思う活発な論争を展開してほしい。

トップ写真:菅義偉首相 2021年06月17日(木) 出典:Photo by Issei Kato – Pool/Getty Images




この記事を書いた人
樫山幸夫ジャーナリスト/元産経新聞論説委員長

昭和49年、産経新聞社入社。社会部、政治部などを経てワシントン特派員、同支局長。東京本社、大阪本社編集長、監査役などを歴任。

樫山幸夫

copyright2014-"ABE,Inc. 2014 All rights reserved.No reproduction or republication without written permission."