米国はなにを間違えたのか「列強の墓場」アフガニスタン その4
林信吾(作家・ジャーナリスト)
「林信吾の西方見聞録」
【まとめ】
・今年の9.11関連報道、日本マスメディアの皮相的な解説に落胆。
・ブッシュ・ジュニア米大統領(当時)の「十字軍発言」はまずかった。
・後続記事にて、軍事面からアフガニスタンの将来を考察する。
今回のシリーズは2021年9月11日に書き始めた。
もちろん予定の行動で、あの同時多発テロから20年。日本でも多くのメディアが特集を組むであろうと予想し、ネタが被らないように注意しつつ原稿を書きたいものだと考えていたのである。
今ではTVを見ずとも、各局のニュースサイトをチャンネル登録してあるので、必要な情報だけネットで「つまみ食い」できるのは、まことに便利だ。20年前は、スマホさえ未だなかった。
当時は毎夜、民放の報道番組を見るのが日課で、いつも通りにTVをつけたら、女子アナの第一声が、
「ニューヨークの世界貿易センタービルに、航空機が衝突した模様です」
というものであった。観光用のセスナでもぶつかったのか、と一瞬思ったことを、今でも覚えている。
すぐに現地からの中継に切り替わったが、ほどなく2機目がビルに激突した。それも明らかに大型の旅客機が。これは単なる事故ではないぞ、と直感したが、では一体なにが起きているのか、そもそもこれは現実の出来事なのかと、わが目を疑う、という気分をずいぶん久しぶりに味わった。
とは言え私も林信吾だ。すぐにジャーナリストのエンジンがかかり、ただちに局番をCNNに切り替えた。当時、ケーブルTVを契約していたが、有り体に言えば映画や海外サッカーが見たかったからで、これも想定外の展開であった。
そのまま明け方まで見続けたので、ツインタワーと呼ばれた二棟の超高層ビルが崩れ落ちた場面もリアルタイムで見ていた。
そして、20年が経ったわけだが、日本語と英語のニュースサイトを一通り見た中では、英国BBCの特集番組が秀逸だった。
若い読者はご存じないかも知れないが、この事件の直後、様々な陰謀論やフェイクニュースが流されたのである。それらを批判的に検証してゆく、というもので、昨今のコロナ陰謀論やワクチン陰謀論と二重写しにも見え、色々な意味で学びがあった。
この点、日本のマスメディアは皮相と言うか、通り一遍の「追想」「経過報告」に過ぎない記事や番組ばかりで、ある程度予想されたこととは言え、やはり落胆させられた。
日本の、ほぼ全てのメディアに共通していたのは、
「ビンラディンがこの同時多発テロの首謀者で、米国はアフガニスタンのタリバン政権に身柄の引き渡しを要求したが、タリバンが拒否したため、戦争になった」
という解説である。
これは正確でない。と言うより、米国側の主張を鵜呑みにしただけなのだ。
ビンラディン自身はこの同時多発テロについて、中東のTV局アルジャジーラを通じて、
「自分は首謀者ではない」
との声明を発表しており、タリバンもこれを受けて、身柄の引き渡しを要求するなら、まずは彼が首謀者であるとの確証を示すよう米国側に求めた、というのが事実なのである。
タリバンの主張にも一理あるが、怒り狂ったブッシュ・ジュニア大統領には、そのような論理は通用せず、ほとんど問答無用でアフガニスタンに侵攻したというのが、これまた事実である。
ただ、あくまでも公平を期すために述べておくと、それまで反米テロを激しく煽っていたビンラディンを、米国が「最重要容疑者」と考えたこともまた、当然の成り行きであったとは言える。
話は1990年の湾岸戦争にさかのぼる。
イラクのサダム・フセイン政権によるクウェート侵攻に掣肘を加えようと、米軍を中心にアラブ諸国の多くも加わった「多国籍軍」が編成されたわけだが、これが、当時「アフガニスタンの英雄」としてサウジアラビアに凱旋していたビンラディンを大いに憤慨させた。
アラビア半島、わけても聖地メッカを擁するサウジアラビアに、米軍が基地を置いたからである。
「聖地に異教徒の軍隊が駐留することを認めるなど、神の教えに反する」
としてサウジアラビアの王家に抗議したビンラディンだったが、取り合ってもらえなかったばかりか国外追放の沙汰となり、最終的には国籍まで剥奪されたことはすでに述べた。
念のため述べておくと、米軍もイスラム圏の国民感情に無頓着であったわけではなく、現地に駐留する部隊に、外部の人間とむやみに接触しないよう命じていたし、女性兵士に対しては、
「暑いからと言って、肌を露出した姿で人目に触れることがないように」
との通達まで出していた。
話を戻して、2001年9月11日に米国で起きた同時多発テロをきっかけに、米国は「テロとの戦争」に乗り出し、アフガニスタンのタリバン政権も一度は崩壊した。しかし抵抗はやむことがなく、米国にとって史上最も長い戦争となってしまったのだが、今年8月、米軍が撤退するや、親米派(と言うよりは傀儡に等しかった)政権は崩壊し、タリバンがまたしても政権を掌握したことは、すでに大きく報じられた通りである。
なぜそのようなことになったのかと問われれば、答えを見つけるのは簡単でないが、すでにこの連載でも指摘したことながら、時のブッシュ・ジュニア大統領は演説の中で、対テロ戦争を指して「十字軍」と称した。今さら取り返しはつかないが、これはいかにもまずかったとしか言えない。
もともと地球人口のおよそ22%、15億7000万人ほどもいるムスリムの中にあって、タリバンやアルカイダのような過激な原理主義にシンパシーを示す者など、多く見積もっても10万人いないだろうとされていた。
ところが、この「十字軍発言」によって、米国は対テロ戦争の名のもとに、イスラムを根絶やしにしようと図る(まさしくかつての十字軍のように)のではないか、との危機感が広まり、イスラム過激派によるジハード(聖戦)の呼びかけが、それなりの影響力を持ってしまったのである。
とりわけ、白人キリスト教徒から差別されている、と感じていた欧米のイスラム系移民の若者たちの中から、ジハードに参戦すべく中東まではせ参じるものが大勢現れたことは、欧米とイスラム諸国双方に衝撃を与えた。
それも極端な例に過ぎない、と決めつける向きもあるやも知れないが、タリバン政権が一度は崩壊したのに続き、中東諸国で民主化運動(世にいうアラブの春)が盛り上がった、その最中ですら、こんな言説が広まっていたことは指摘しておきたい。
「サウジアラビアで本当に民主的な選挙が実施されたなら、ビンラディン大統領が誕生してもおかしくない」
宗教がからむと、とかく一筋縄では行かなくなるという話なのだ。
本シリーズでは、前述のようにマスメディアとネタが被るのを避けるべく、軍事的な問題にスポットを当てつつアフガニスタンで起きたことを再検証して行こうと考えているが、もっと俯瞰的にこの問題を知りたいという向きに、朗報をお届けしたい。
9月29日、朝日カルチャーセンターにおいて、若林啓史博士が『中東近現代史とアフガニスタン問題』と題する講義を行うことになっている。時節柄リモート参加も推奨されている。
今は公職を退いているからと、本人の了解が得られたので明らかにするが、本誌の連載において、イスラムや中近東の問題を取り上げる都度、知見を拝借してきた「中東問題に詳しい元外交官」とは、若林博士のことだったのである。事実、イランやシリアの大使館に勤務し、シリア内戦に際しては大使館ぐるみ隣国ヨルダンに退避した経験もある。
言うなれば、イスラム圏の動乱をかぶりつきで見てきた人であり、本誌の読者諸賢にも、その知見を共有していただきたいと願うや切。断じて商業的な宣伝ではない。
次回と最終回では、これまでと同様、軍事的な側面にスポットを当てつつ、アフガニスタンの将来について、私なりの考察を開陳させていただきたい。
トップ写真:世界貿易センタービル(ニューヨーク、2001年9月11日) 出典:Photo By Craig Allen/Getty Images
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この記事を書いた人
林信吾作家・ジャーナリスト
1958年東京生まれ。神奈川大学中退。1983年より10年間、英国ロンドン在住。現地発行週刊日本語新聞の編集・発行に携わる。また『地球の歩き方・ロンドン編』の企画・執筆の中心となる。帰国後はフリーで活躍を続け、著書50冊以上。ヨーロッパ事情から政治・軍事・歴史・サッカーまで、引き出しの多さで知られる。少林寺拳法5段。