無料会員募集中
.経済  投稿日:2021/12/29

規律ある弾力的な財政支出 極論の狭間のバランス論


神津多可思(公益社団法人 日本証券アナリスト協会専務理事)

「神津多可思の金融経済を読む」

【まとめ】

・MMTが「財政赤字は問題ない説」の根拠として引用されるが、輸入インフレが来たらやはり抑制的に財政運営しなければならない。

・政府にも、国債の残高と将来の税収の価値の比率=レバレッジ比率のようなものが必要だ。

・独立財政機関が示す長期ビジョンを企業、家計、市場が共有できて初めて財政規律を失うことなく、国は必要な時に必要な歳出を弾力的に実行できる。

 

国債はいくら発行しても大丈夫との説がある。しかし、国債は金融市場で発行されており、金融取引の実感としてそんなうまい話はない。他方、今すぐ財政再建を始めなくてはいけないという説もある。しかし、目の前の金融市場で何か特に深刻なことが起きている訳ではない。どちらの説も、ある意味、極論なのだろうと思う。だとすれば、その狭間のどこかに、何か落ち着きどころがあるのではないか。

■ 財政赤字拡大をずっと続けても大丈夫なのか?

現代金融論(Modern Monetary Theory、MMTが一世を風靡し、それが「財政赤字は問題ない説」の根拠としてしばしば引用される。しかし、MMTの色々な説明を読むと、インフレ率が上昇してきたらやはり財政は抑制しなければならないと書いてある。要するに財政赤字は、大丈夫な間は大丈夫と言っているだけのようだ。

現在の日本では、消費者物価でみたインフレ率が高過ぎて問題という訳ではない。そうであるから、現時点では財政を拡大しても大丈夫というのは、MMTに沿ったひとつの理屈だ。しかし、今後、長い期間に亘って財政赤字は問題ないか、ということになるとそれは別の話である。インフレ率が問題になるほど上昇してきたら財政を抑制しなければならないのなら、それは高齢化に伴う社会保障関連支出が傾向的に増えていく日本にとって大変な重荷となる。

日本では、ずっと需要が弱いのだからインフレはもうやって来ないというなら、そういう心配もしなくてよい。しかし、現在その兆候もみえる輸入インフレということもある。また、中央銀行は2%のインフレを目標としており、インフレを前提に日本経済は運営されているのである。その2%を越えたインフレとなっても、しばらくの間は容認すると日本銀行は言っているが、その時に現在のような輸入インフレが重なったりすれば、やはり抑制的に財政政策を運営しなくてはならないかもしれないのである。

日本経済の自給率は、エネルギー、食糧等の重要分野において決して高くはない。それら分野の国内価格が海外経済の動向に左右される状況は、これからも続くだろう。また国は、国内の需給をさらに引き締めることを目指して、現在も様々な政策を進めている。そうしたことを考え併せれば、今後ずっと財政赤字を拡大し続けても、いつまでも大丈夫ということにはならないと考えた方が良いのではないか。

将来のどこかで抑制的に財政政策を運営しなくてはならなくなる可能性があるなら、その時の大変さを制御可能な範囲内に収めるという配慮も忘れないのが、今の時代を生きる世代の責任だろう。しかし現状では、こうした長期に亘る観点からの財政バランスの議論はあまり聞かれない。

▲写真 バイデン米大統領就任に反応し値を上げる東京市場の株式ボードを見る投資家(2021-1-21) 出典:Takashi Aoyama / 特派員-Getty Images

■ 財政再建目標は基礎的財政収支だけか?

一方、現在の国の財政再建目標は、2025年度までに基礎的財政収支(Primary Balance、PB)を黒字化するというもので、これは2021年度中に見直されることになっている。PBとは、国債による歳入と国債関連の歳出をそれぞれ除いた国の歳入と歳出のバランスのことだ。これを2020年代に黒字化するためには、財政支出に相当な急ブレーキをかけなくてはならない。コロナ禍で疲弊している日本経済にとって、かつ上述のように眼前で何か大変な問題が起こっている訳ではない状況で、そうした急ブレーキが必要不可欠だと言う主張もまた、なかなか飲み込みにくい。

そもそも、現在の財政赤字はバブル崩壊後の約30年間でここまで拡大してきた。したがって、今一度安定的な状況を取り戻すにしても、同じ位の時間がかかっても無理はない。しかも、その財政赤字拡大の主因である高齢化はこれからも進んでいくのである。これまで以上に長い時間がかかっても不思議ではない。ここでも再び、非常に長い時間の経過の中で財政バランスを評価する必要が生じる。

そうした長い期間において、金融市場が気にする最低限の規律は何だろうか。国債が金融市場で発行される以上、その最低限の規律がずっと維持されないと、どこかで国債の円滑な発行ができなくなる。国債を保有しようとする主体からみれば、その最低限の規律は、資金を調達している国の借金の残高、即ち国債の残高が、将来に亘る返済能力との対比で発散しないということではないだろうか。

個人の例で言えば、今後予想される収入との対比で借金残高が発散してしまうような者は、さらに借金を増額することはできない。ここでも、国と個人は違うという反論もあろう。しかし、国の追加的な負債の調達が金融市場で不可能になった例は古今東西いくらでもある。それでも国が資金調達を強行するなら、それは、形式はどうであれ、臨時の増税に他ならない。そうした事態を避けるには、国の借金残高が今後の税収との関係で発散する経路に乗っていないことが必要最低限の条件になるだろう。

その比率が将来のある時点で一定の数字に収束する姿を金融市場に示しながら、国債の発行余地を探っていくという規律のあり方は考えられないだろうか。これは、PBの黒字化よりは緩い条件だが、しかし1つの規律ではある。緩い条件とはなるが、これとて社会保障関連支出のこれからの増加を考えれば決して悠々と達成できるようなものではない。

■ 政府にも最適レバレッジ比率があるはず

この国の借金残高と将来に亘る税収との比率が、何%であれば大丈夫なのであろうか。この比率の意味をさらに考えると、それは政府のバランスシートにおける負債・資本比率のようなものだということに気が付く。いわゆるレバレッジ比率と呼ばれるものだ。

当然、国には資本はない。企業にとっては、資本は返済期限も返済の必要もない資金である。ただし、株式会社であれば、配当を払わねばならず、株主から経営に関する統治、ガバナンスを受けなくてはならない。この関係を国に当てはめれば、将来に亘って入ってくる税収の価値は言わば資本のようなものである。配当は、国民に対する様々な行政サービスに当たる。ガバナンスは、民主主義国家であれば国政選挙を通じてなされる。

こう考えると、国債の残高と将来の税収の価値の比率は、レバレッジ比率のようなもの、ということになる。企業と同様に、国家にとってもそれはゼロではないだろう。国家が永続するなら、何らかの最適なレバレッジ比率があるはずだ。ただ、理論的にその最適比率を計算することもまた容易ではない。企業の最適レバレッジ比率も一様には決まらない。

もっとも、その比率が高くなり過ぎれば、国の調達金利である国債金利は上昇するだろう。逆に、まだ余裕があるのであれば、国債発行残高が増えても金利は安定したままだろう。現在までのところはそういう状況なのかもしれない。国のレバレッジ比率がいくつなら良いのか。それは国が金融市場との対話のなかで探っていく以外にない。

そのためにも、30年あるいは50年といった長期的な時間経過の中で財政バランスを評価することが必要だ。その作業を行うのが、最近、時々耳にする「独立財政機関」ということになるのだろう。権威ある組織が示す長期ビジョンを企業、家計、金融市場が共有できてはじめて、長期的な財政の規律を失うことなく、しかしながら国は必要な時に必要な歳出を弾力的に実行できるようになる。これが、冒頭に述べた極論の狭間にあるバランス論になりはしないだろうか。

トップ写真:フランクフルトで開催された、中央銀行のコミュニケーションについて議論するパネルでの黒田東彦日本銀行総裁(2017-11-14) 出典:Photo by Hannelore Foerster




この記事を書いた人
神津多可思日本証券アナリスト協会認定アナリスト

東京大学経済学部卒業。埼玉大学大学院博士課程後期修了、博士(経済学)。日本証券アナリスト協会認定アナリスト


1980年、日本銀行入行。営業局市場課長、調査統計局経済調査課長、考査局考査課長、金融融機構局審議役(国際関係)、バーゼル銀行監督委員会メンバー等を経て、2020年、リコー経済社会研究所主席研究員、2016年、(株)リコー執行役員、リコー経済社会研究所所長、2020年、同フェロー、リスクマネジメント・内部統制・法務担当、リコー経済社会研究所所長、2021年、公益社団法人日本証券アナリスト協会専務理事、現在に至る。


関西大学ソシオネットワーク戦略研究機構非常勤研究員、オーストラリア国立大学豪日研究センター研究員ソシオフューチャー株式会社社外取締役、トランス・パシフィック・グループ株式会社顧問。主な著書、「『デフレ論』の誤謬」(2018年)、「日本経済 成長志向の誤謬」(2022年)、いずれも日本経済新聞出版社。

神津多可思

copyright2014-"ABE,Inc. 2014 All rights reserved.No reproduction or republication without written permission."