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.経済  投稿日:2021/7/26

財政赤字、気にすべきか、気にしなくてもいいか、それが問題だ


神津多可思(株式会社リコー・フェロー)

「神津多可思の金融経済を読む」

【まとめ】

・日本は漸進的に財政赤字を拡大してきた。

・政府が過去の債務の返済に必要な資金を確保不可能にならぬよう、制御可能な範囲に留めておく必要。

・制御する上で最低の必要条件は、政府の借金残高と名目GDPの比率が将来にわたって発散しないこと。

  

天体の運行であれば、将来のことも相当正確に語ることができる。たとえば有名なハレー彗星が次に地球に接近するのは2061年だそうだ。しかし、2061年に日本経済がどうなっているかという話になると、百家争鳴、喧々諤々。専門家ではない多くの人からすれば、いったい誰の言うことに耳を傾けて良いのやら、途方に暮れるというものだろう。

先進国中、最悪という日本の財政赤字にしても、少なくともこれまでのところ、それによって何か決定的に悪いことが起きているわけではない。他方、このコロナ禍で大変な思いをしている人々はたくさんいる。その人達を支援するため、ここで国が財政赤字をさらに拡大させてお金を使っても、そのどこが間違っているのかと問われれば、財政再建が大事と考えている人でもなかなか説得的な反論はできない。

 財政赤字を続けられる条件とは

だからといって、「財政赤字は気にしなくていいのだ」となると、それは大きな論理の飛躍だ。「これまで大丈夫だったからこれからも大丈夫だ」というのは、決して常に通用する一般理論ではない。金融市場で発生するバブルもそうだし、地震による被害もそうだ。限りある人生を生きる人間にしてみれば結構長い時間であっても、社会やさらには地球や宇宙の動きからしてみればほんの一瞬でしかない。自分が実感を持って経験してきたことはその一瞬のことで、正解と思えたことがもっと長い時間の経過の中では往々にして不正解になる。

財政赤字が拡大した結果、時の権力者が資金を調達できなくなった例は、古今東西の歴史をみればいくらでもある。したがって、財政赤字をいくら拡大しても大丈夫だという主張は、一般理論としては成立しない。正確には、一定の条件が満足されていれば、特定の大きさの財政赤字は長期的に維持可能だということだろう。

それでは、「一定の条件」とか「特定の大きさ」とは何なのか。現在の日本についてみると、それらがはっきりしない。したがって、塩梅が分からないまま、とりあえず大問題は起きていないので漸進的に赤字を拡大してきた。こんなことをしていると大変なことになると言った人も大勢いたが、現状、そんなに大変なことにはなっていない。そうした中で財政赤字に対する感覚が麻痺して、「よく分からないことだし、大丈夫だと言っている人もいるし、もう心配しなくていいのかな」というムードが広がっているように見える。それは決して望ましいことではない。

 無制限な財政赤字なら必ず起こる「借金の踏み倒し」

無制限に財政赤字を拡大していけば、将来、確実に時の権力がその借金を踏み倒さざるを得なくなる。日本では、徳川幕府がそうであったし、戦前の体制がそうであった。近代日本の場合、暴力的な権力交代時に踏み倒しが起きているので、現在の世の中ではそうしたパターンでの踏み倒しはなかなかイメージできない。しかし、世界を見渡せば、1980年代以降、南米や欧州で、政府が過去の債務の返済に必要な資金を確保できなくなるソブリン危機が起きた。それらは必ずしも暴力的な権力交代を伴っていない。

今の日本の財政再建の議論は、結局のところ、いつ起こるか分からない将来の日本のソブリン危機の確率を、制御可能な範囲に留めておくというのが本質ではないだろうか。無制限に財政赤字を拡大していけば、いつかはうまくいかなくなるという直観はある。未来の世代に大きな負担を強いても、死んだ後のことだから関係ないと突っぱねるのも無責任だ。しかし、もうこれ以上一銭も赤字を拡大してはならないと言われればそんなこともないだろうと思う。そのバランスはどう考えればよいか。

過去、財政破綻を起こした権力についてみると、今風に言えば、バランスシートが債務超過だと債権者が判断したことが引き金になっている(もちろんそんな帳簿があるわけではない)。自己資本と負債の比率であるレバレッジが大きくなり過ぎた、つまり自前のお金と借りたお金のバランスが、後者が多過ぎるかたちでアンバランスになったということだ。ここで、政府のような権力の自己資本とは何か? それは、詰まるところ、将来にわたってどれだけの資金を領民や国民から徴求できるかの価値である。

そのレバレッジを目算するのは常に難しい。政府の借金残高は、財政赤字を毎年続けていくならば次第に増えていく。一方、政府の税収は大雑把には名目GDPに比例する。だから、名目GDPがどうなるかが今後の政府の税収を決めると考えても良い。その2つの比率、すなわち「政府の借金の残高÷名目GDP」という比率が、将来にわたってどう変わっていくかを予想することで、政府のレバレッジのおおよそのイメージがつかめる。金融市場において、その比率が将来どんどん上昇して発散してしまうかもしれないという不安が広がると、国債金利は上昇し始める。より高い金利が債務不履行のリスクの見返りとなるからだ。現在、国・地方の公債等残高の対名目GDP比率という数字が公表されている。それは2020年度で約220%だ。日本政府は現在、名目GDPの2.2倍の借金を抱えている。この数字が将来どうなるか、発散しないかが、今後の財政バランスが持続的かどうかの判断において非常に重要になる。

 公債残高の対GDP比を一定に

その比率が上昇し続けて発散すると、将来のどこかの時点でソブリン危機が起こるだろう。一方、この比率が、次第に一定の値に安定していくのなら、赤字残高が残っていても財政は維持可能かもしれない。日本政府が国債を発行している金融市場において、将来にわたる政府の資金調達能力との対比で、安全圏内だとみなされる財政赤字であれば、政府は必要な資金の調達を継続できる。そのぎりぎりの境界がどこにあるか。これは金融市場が探っていくことになるが、金融市場は時に豹変することも忘れてはならない。

以上のように、毎年のフローの財政赤字が全くなくならないと駄目かというと、そうとも限らない。ただし最低の必要条件は、政府の借金残高と名目GDPの比率が将来にわたって発散しないということだ。財政赤字はいくら出しても大丈夫だと開き直るのではなく、その条件を満たす展望を確保した上で、目の前の困ったことの解決に必要な財政支出があるなら、それこそ躊躇なく執行したらよい。それが行き過ぎと金融市場が判断すれば、国債金利の上昇というシグナルが出る。

そうだとしても、さらに問題となるのは執行の能力である。使い切れない予算案を策定して無駄遣いをされては、将来のソブリン危機の確率を高めるだけだ。また、本当に困っていることが解決できているかということこそが重要だ。がんばっている振りだけでは、困り事は解決しない。すでに計上されたコロナ対策費は有効に使われたのだろうか。コロナウイルスのワクチン接種を例にとっても、実行が円滑にできるかどうかが大事なのである。そうした公的部門の予算執行能力の評価を横に置いて、さらにいくら使うのか議論するだけでは、結局は未来の世代につけを回すだけになる。

トップ写真:日本銀行 出典:Photo by Tomohiro Ohsumi/Getty Images




この記事を書いた人
神津多可思日本証券アナリスト協会認定アナリスト

東京大学経済学部卒業。埼玉大学大学院博士課程後期修了、博士(経済学)。日本証券アナリスト協会認定アナリスト


1980年、日本銀行入行。営業局市場課長、調査統計局経済調査課長、考査局考査課長、金融融機構局審議役(国際関係)、バーゼル銀行監督委員会メンバー等を経て、2020年、リコー経済社会研究所主席研究員、2016年、(株)リコー執行役員、リコー経済社会研究所所長、2020年、同フェロー、リスクマネジメント・内部統制・法務担当、リコー経済社会研究所所長、2021年、公益社団法人日本証券アナリスト協会専務理事、現在に至る。


関西大学ソシオネットワーク戦略研究機構非常勤研究員、オーストラリア国立大学豪日研究センター研究員ソシオフューチャー株式会社社外取締役、トランス・パシフィック・グループ株式会社顧問。主な著書、「『デフレ論』の誤謬」(2018年)、「日本経済 成長志向の誤謬」(2022年)、いずれも日本経済新聞出版社。

神津多可思

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