ブレグジットから1年、その功罪
村上直久(時事総研客員研究員、長岡技術科学大学大学院非常勤講師)
「村上直久のEUフォーカス」
【まとめ】
・ブレグジットから一年、EUとの貿易が大幅に縮小した英国。
・グローバル・ブリテン戦略の一環として、インド太平洋地域への関心のシフト。
・英国は、英領北アイルランドに関する取り決めを先送りにしている。
4年間の政治的混乱を経て、2021年初めにようやく実現した英国の欧州連合(EU)からの完全離脱(ブレグジット)から1年が経過した。英国のジョンソン政権は新型コロナウイルス禍への対応に追われて、ブレグジットがもたらした功罪を精査する余裕はないようにみえる。
ブレグジットにより英国の欧州大陸との貿易は激減し、EU加盟東欧諸国からの移民労働者が大挙して帰国したため、英国では観光、運輸、小売、介護業界などで人手不足が深刻化している。また、英国とEUの間では英領北アイルランドの地位をめぐる対立が解消していない。
◼️ 縮む貿易
ブレグジットの完了以前から予想されていたことだが、案の定、ブレグジットによって英国とEUの大半の加盟国が位置する欧州大陸との間の貿易をめぐる煩雑な手続きなどが復活し、そのため時間もコストもかかり、貿易数量は激減した。時間との勝負となる生鮮食料品の輸送のみならず、工業製品・部品も英国からEUに輸出する場合は、EU規格・基準への適合を求められ、通関、輸送が滞るケースが多発するようになった。
ブレグジットで英国はEUの単一市場から抜け出た。これによりEUと欧州大陸の貿易では”見えない壁”が出現した。英企業の間では、英国がEUに加盟していた時代には享受できたビジネス機会も失うことが多くなった。
英国の調査団体である英貿易政策観測所によると、ブレグジット後の最初の7カ月間(2021年1〜7月)、英国からEUへの輸出は前年同期比14%、EUから英国への輸入は24%それぞれ減少した。これは双方向で440億ポンドの貿易が失われたことを意味する。ただ、この貿易統計は、欧州大陸への輸出で英企業が競争力の低下に苦しんでいる実態を正確に反映していないとみられる。
英国とEUはブレグジットを間近に控えて、英EU間貿易における関税と市場アクセスでの数量割り当ての免除を柱とする貿易協定に合意した。しかし、越境に必要な書類の作成や物品がEU規制基準に適合しているとの証明の提示は英企業にとって煩わしい作業であることに変わりはない。
こうした中で、欧州大陸市場からの撤退に踏み切る英企業が続出している。例えば、スーパーマーケット・チェーンのマークス・アンド・スペンサーはブレグジットによりサプライ・チェーンが煩雑化したことを理由に挙げて、フランスにおける11店舗を閉鎖した。
欧州大陸から英国へ輸入される農産物の価格も上昇が目立つ。大陸産のチーズやバターの価格も最近、20〜30%上昇。バターやチーズなどを使ったピザなどの加工食品を大陸に輸出していた英国の食品会社は大陸向けは大口の注文に限定することにした。価格の問題だけでなく、EUの動植物検疫を受け、衛生規則への適合をチェックされるなどの手続きを経なければならない。
食品産業界の調査団体によると、21年1〜9月、英国からEUへの飲食料品の輸出は前年同期比に比べて14%減少した。
22年に入っても、ブレグジットをめぐる新たな制限措置の動きは止まらない。英政府は今年1月1日から大陸から輸入される物品に対する税関検査を開始した。また、22年半ばから、輸出品に対する国境での検査が強化され、動植物検疫では書類審査だけでなく、実物検査も実施されるようになる。
◼️ ”グローバル・ブリテン“へシフト
当然ながら、ブレグジットで人の流れでも異変が起きている。規制強化に、観光、飲食、小売、輸送、医療介護などの業界で、英国人がやりたがらないとされているきつい仕事を担っていた、ポーランドなどEU加盟東欧諸国出身の移民労働者が、ブレグジットよる規制強化で大挙して帰国してしまい、これらの業界では人手不足は深刻化し、賃金は上昇している。介護分野では、ひところは全体の三分の一を占めていた移民労働者の割合が数パーセントまで低下したという。
これに対して、ジョンソン首相は、賃金上昇は歓迎すべきことだとして、ブレグジットの一つの成果だと“強弁”している。英政府は企業の関心を欧州大陸から今後、成長が見込まれるインド太平洋地域にシフトさせたい考えで、これは“グローバル・ブリテン”戦略の一環だ。
英国はすでに日本と経済連携協定(EPA)を締結し、日豪加など11カ国が参加する環太平洋連携協定(TPP11)への加盟を申請した。さらに、22年に入ってインドとの自由貿易協定締結を目指す交渉を開始した。
写真)G7外相会合で、議長国の外相として発言するトラス外相(2021年12月12日、リバプール、イギリス)
出典)Photo by Jon Super – WPA Pool/Getty Images
◼️ 北アイルランド問題
英国とEUはEU加盟国アイルランドと陸続きで接する英領北アイルランドの帰属をめぐる過去の紛争に終止符を打った1998年のベルファスト和平合意を尊重し、離脱後も北アとアイルランドの国境に税関などの施設を設けないことで一致した。離脱交渉ではこの場合の北アの扱いが最大の焦点となった。
ジョンソン英首相は2019年7月の就任後、北アをEUの関税圏に事実上とどめ、英本土との物流を規制する現在の取り決めを自らまとめた。しかし、取り決めが英本土と北アの間に事実上国境線を引くものだとして、離脱後には物流規制の導入を一方的に先送りし、EUの反発を招いてきた。
英政府は北アをめぐる取り決め見直しが必要だとして、再交渉を要求。これに対してEU側は再交渉を拒否している。英国は取り決めを一方的に破棄する可能性も示唆しており、EU側がこうした「瀬戸際政策」に譲歩するかどうかは不透明だ。
写真)ブレグジットに反対する組織「Border Communities Against Brexit」のデモ(2021年11月20日、北アイルランド・ニューリー)
出典)Photo by Charles McQuillan/Getty Images
◼️ ブレグジットは後ろ向き
英国はブレグジットによってひとまず「主権を回復」し、貿易政策や移民政策を自ら決めることができるようになった。しかし、近接する巨大経済圏EUとのビジネス機会を軽視するやり方にはやはり無理があると言わざるを得ない。ブレグジットは自由貿易への志向が強まる世界で、後ろ向きのプロジェクトだ。
(了)
トップ写真)EU離脱後の英国とEUの貿易協定に署名するボリス・ジョンソン首相(2020年12月30日、ロンドン、イギリス)
出典)Photo by Leon Neal/Getty Images
あわせて読みたい
この記事を書いた人
村上直久時事総研客員研究員/学術博士(東京外国語大学)
1949年生まれ。東京外国語大学フランス語学科卒業。時事通信
時事総研客員研究員。東京外国語大学学術博士。