無料会員募集中
.社会  投稿日:2022/2/15

「石原慎太郎さんとの私的な思い出 1」続:身捨つるほどの祖国はありや 14


牛島信(弁護士・小説家・元検事)

【まとめ】

・石原さんから芥川賞の期待を受けたが、期待に応えられなかった。

・私は、石原さんの三島由紀夫に対する複雑な思いを想像していた。

・「あなたは男と女が書けてない」と指摘する石原さんに「男女より個人と組織」と答えた私。

 

私は石原さんの期待を裏切ってしまった。

「あなたに芥川賞をあげるよ。なに、ほんの150枚かけばいいんだ。雑誌社にも話してある。」

そういわれたのは、2003年よりも前だった。

「君の文章は手練れだな」とも言ってくださった。

それで私は、2003年の年賀状に、「今年は大きな目標を抱えています。『一年待つ』といわれています。」と記している。石原さんに言われてのことだった。

石原さんが、『en-taxi』という雑誌の第一号、2003年春の対談で私について触れている。

「変な話だけど、牛島信という、不思議な推理小説家がいるんだよ。これは一番東京で流行っている弁護士なの。だから事件のネタをふんだんに持っている。しかし幻冬舎の見城徹が彼に、痛烈に言うのは、あなたの小説の人物は立ちあがってこないって。確かにそのとおりだな、と」

確かに、石原さんにも見城さんにもそう言われたことがある。

石原さんは、その雑誌の対談の席で、伊藤整について私と話したこと、あとは意識の襞の問題じゃないのと言った、とも語っている。

石原さんは70歳。私は53歳。

石原さんを紹介してくれたのは見城徹さんだった。1998年11月19日のことだった。衆議院議員を辞められ、都知事になられるほんの4年の間に起きたことだ。

そのとき、私は、石原さんが著書で引用していたアンドレ・ジッドの『血の糧』から、「君に情熱を教えよう。・・・私は心中で待ち望んでいたものをことごとくこの世で表現した上で、満足して――まったく《絶望しきって》死にたい。」という一節を印字した紙を持って行って、そこに石原さんの署名を貰った。

石原さんは署名してくれながら、こんな文学青年みたいなことするなよ、と私をたしなめながらも、ナタナエルをナタニュエルと訂正までしてくれた。

今、手元の『石原慎太郎短編全集Ⅰ』(新潮社 1973年刊)の見返しには石原さんの署名がある。きっとあのときいっしょに持って行ったのだろう。2巻本で4,000円もするものを、よくも買って持っていたものだ。私は早くから石原さんのファンだったのである。殊に、『処刑の部屋』に惹かれていた。

一年どころか何年も待たせたあげく、結局私は石原さんの望むものを書かなかった。最後には、「もう芥川賞の委員を辞めるのでね」と、わざわざご挨拶に私の今の事務所に来てくださった。記録によれば2013年にお辞めになっているから、そのころのことだったのだろう。石原さんという方は、そういうなんとも律儀な方だった。

「君の事務所、見せてくれよ」と初めに私の事務所にいらしたときのこと、食事をした近くのシティクラブ・トーキョーから歩いて数分のところまでの間、いっしょに歩いていると人々が振り返ってみる。ことに横断歩道で立ち止まると信号待ちの人がみな石原さんを見上げていた。

事務所の部屋で、石原さんは、「三島さんは頭のいい人だったな」と私に向かってつぶやいた。しみじみとした調子、様子だった。その時、私は、「もう石原さんはどうやっても三島さんにかないませんよね」と言った。余計なことを口にした。

「なぜだ?」

石原さんは少しむきになって質した。

「だって、三島由紀夫は45歳で腹を切って死んじゃったでしょう。石原さんは生きのびてしまった。もうどうにもならないじゃないですか」

そう答えた私に、石原さんは、

「うるさい。死にたくなったら俺は頭から石油をかぶって死ぬよ」と答えた。

私は、石原さんの三島由紀夫に対する複雑な思いを想像していた。

かたや東大法学部を出て大蔵官僚になってみせ、あげくに作家になった男、石原さんは一橋大学にはいって人気作家に躍り出た男。

石原さんの一橋について、私は不思議に思っていることがある。彼は、なぜ一橋に入学したのかについてだ。石原さん自身は、父親が亡くなったこと、弟、のちの石原裕次郎が家にある金目のものを持ち出しては換金して遊び興じていたことをあげ、父親の知り合いに、新しく公認会計士という職業ができた、これは高い報酬がもらえる、と言われたと説明している。そのためには一橋だと。

しかし、彼が入学したのは法学部である。公認会計士になるのなら商学部に決まっているのではないか、と私はいまだに疑問に思っている。本人にたずねたことはない。

▲写真 三島由紀夫(1969年頃) 出典:Photo by Bernard Krishner/Pix/Michael Ochs Archives/Getty Images

石原さんと三島由紀夫のこととなれば、どうしても『三島由紀夫の日蝕』石原慎太郎 新潮社1991年刊)になる。1956年から1990年にわたって書かれたこの本には、石原さんの三島由紀夫論が語り尽くされていて、それが実は、石原さんの自己分析論になってしまっているのだ。田中角栄について書いた『天才』と同じである。小説家は自分について書くことしかできはしない。

もっとも印象的なのは二か所。

一つは、新潮社からだされた三島由紀夫の写真集について、名声が確立された後の三島由紀夫の数々の写真について、「自意識がにじみだし、気負いがまざまざ露出して・・・眺め終わるといかにもくたびれる、というよりもいささかうんざりさせられる。」としたあとで、「私が一番好きだったのは、四谷見附付近で撮ったという、まだ官吏時代の、役所の仕事と家へ帰ってからの執筆との二重生活の疲れを漂わす二十代前半の写真で、それには名声を獲得する前の、人生に対する不安を秘めながらもある一途さを感じさせる孤独な青年が写し出されている。その写真には、不確定な青春のはかなさとそれ故の美しさがある。」(17頁)と語っている部分だ。

ちなみに、「四谷見附」とある部分は、写真集(『三島由紀夫』 新潮社1983年)によれば「東京四谷」とある。このへんも、江藤淳が『無意識過剰』と形容した石原さんらしいところのような気がする。いや、石原さんのことだ、三島由紀夫本人から聞いたのかもしれない。

写真集についての石原さんの感想は、三島由紀夫と最初にあった時の挿話と対照的だ。

石原さんが、当時はまだ新橋の電通通りにあった文藝春秋の屋上のテラスで三島由紀夫とならんで写真を撮ったときの挿話である。

三島は「トレンチコートとその下に着た背広の色に合わせた鶯色のキッドの手袋をしていた」のが、石原さんが手すりが煤煙でひどく汚れていると注意したにもかかわらず、「手袋をした手でわざわざ手摺の汚れを拭き取るようにしながらますます身を乗り出している。」

あげく、背広も手袋もひどく汚れてしまったのだが、三島由紀夫はかまわず、その後二人での写真のタイトルを「新旧横紙破り」でどうかと呵々大笑したのだという。

「眺めていて、なんという人なのかなと思ったが、それにしてもこの人は、何に向かってか無理しているなあという気がしてならなかった。」(9、10頁)

二つ目は、石原さんが36歳で参議院選挙に出馬し、最高得票で当選した選挙のときのことだ。私はその時の石原さんを見ている。『身捨つるほどの祖国はありや』(79頁 幻冬舎2020年刊)

三島由紀夫が、その選挙に出るつもりでいたのに、石原さんに先を越されてしまって、ひところ大変機嫌が悪かったという話である。(『三島由紀夫の日蝕』 102頁)

佐藤元総理大臣の奥さんであった寛子さんからのまた聞きとして、三島由紀夫は、

「亡くなる前お母さんに、つまらないつまらないこれなら死んだほうがましだってよくいっていたそうよ。どうしてそんなにつまらないのって質したら、ノーベル賞は川端さんにいっちゃうし、石原は政治家になっちゃうしって子供みたいに駄々をこねていたそうですよ。」

石原さんの感想は、「簡単にいえば、どうやら私は三島氏が欲しがっていた玩具を奪ってしまったことになるようだ。」ということになる。

玩具、と聞いて、石原さんのファンなら、すぐにピンとくる。『太陽の季節』である。

「彼女は死ぬことによって、竜也の一番好きだった、いくら叩いても壊れぬ玩具を永久に奪ったのだ。」という末尾近くの一節である。

どうしてどちらも「玩具」という言葉になるのか、不思議な気がする。三島由紀夫にとっての国会議員たる地位も、死んでしまった好きだった女性のことまでも。

石原さんは私の小説なども読んでくださって、

「牛島さん、あなたの小説は男と女のことが書けてない。いいですか、この世のことはすべて男と女なんですよ。」と諭されたものだった。

そう言われて私は、「それはそうかもしれません。しかし、私には男女のことよりも、組織と個人のことが気にかかってならないのです。

と答えたことがあった。度し難い奴だと思われてしまったかもしれない。

(続く)

トップ写真:石原慎太郎氏(2009年10月) 出典:Photo by Peter Macdiarmid/Getty Images




この記事を書いた人
牛島信弁護士

1949年:宮崎県生まれ東京大学法学部卒業後、検事(東京地方検察庁他)を経て 弁護士(都内渉外法律事務所にて外資関係を中心とするビジネス・ロー業務に従事) 1985年~:牛島法律事務所開設 2002年9月:牛島総合法律事務所に名称変更、現在、同事務所代表弁護士、弁護士・外国弁護士56名(内2名が外国弁護士)


〈専門分野〉企業合併・買収、親子上場の解消、少数株主(非上場会社を含む)一般企業法務、会社・代表訴訟、ガバナンス(企業統治)、コンプライアンス、保険、知的財産関係等。


牛島総合法律事務所 URL: https://www.ushijima-law.gr.jp/


「少数株主」 https://www.gentosha.co.jp/book/b12134.html



 

牛島信

copyright2014-"ABE,Inc. 2014 All rights reserved.No reproduction or republication without written permission."