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.社会  投稿日:2022/6/29

渾名禁止でイジメが減るのか 地名・人名・珍名について 最終回


林信吾(作家・ジャーナリスト)

林信吾の「西方見聞録

【まとめ】

・いじめの原因となることを懸念し、友達をあだ名(=渾名)ではなく必ず〈さん〉付けするよう指導をする小学校が増えているという。

・しかし、渾名はむしろ親しみの表現である場合の方が多いのではあるまいか。

・要は「当人が嫌がるような渾名」を禁じれば済むことで、十把一からげに「渾名禁止」というのは、教育上意味のあることとは考えにくいのではないか。

 

「友達をあだ名(=渾名)で呼んではいけません。必ず〈さん〉付けするように」

こんな指導をする小学校が増えているという。

5月末に報道で知ったが、お上(文部科学省とか。以下、文科省)がお達しを出したとか、そういうことではなく、学校単位での「いじめ対策」の一環なのだとか。

身体的特徴をからかってつけるような渾名はいじめの原因となりやすい、との理由付けであるようだ。

たしかに文科省が2020年にとりまとめた「問題行動・不登校調査」によると、全国の小学校で計42万0897件の案件が報告され、うち約6割が「冷やかしやからかい」であったという。また、同年にトレンドリサーチが社会人1400人を対象に調査したところ、小学校時代に「渾名があった」と回答した人は69%、それにより「嫌な思いをしたことがある」と回答した人は36.7%であったという。以上、数字はいずれも5月28日付『読売新聞』オンラインから引用させていただいた。

つまり、小学校における渾名の存在を問題視する傾向は、2020年以前から見られたに違いないのだが、ここへ来てマスメディアが相次いで取り上げ、様々な議論が起きていることも、また事実である。

元ヤクザだという人が「懲役太郎」を名乗ってアップしているYouTubeの動画を見て笑ってしまったが、刑務所では渾名禁止といった規則はないが、ヤクザ者が多いところでは(刑務所によって色々な傾向があるらしい)、互いに「さん」付けで呼ぶという不文律があるのだから。

「マチガイがあってはいけない」

という理由だが、この場合は呼び方の間違いのことではなく、かの業界ではケンカや抗争のことをマチガイと言うそうで、要は親しくもない相手を渾名で呼ぶのはトラブルの原因になりがちなので「自主規制」している、ということのようだ。

「日本の学校教育も刑務所並みになってきたのかな」

みたいなことを言っていて、前述の通り私も笑わされたが、本当は笑い事でないのかも知れない。

まず、なにをもって禁止すべき渾名というのかが、よく分からない。

私が昭和の小学生だった当時、同級生を「さん」付けで呼ぶ習慣など、もちろんなかった。

つまりは渾名で呼ぶのが普通だったわけだが、伸一なら「しんちゃん」、美智子なら「みっちゃん」というようなことで、それがいじめにつながるなどと、誰一人考えていなかった。

ただ、よくよく思い出してみると、

「みっちゃん道々うXこ(一時伏せ字笑)たれて、紙がないから手で拭いて……」

という歌があった。私は当時から紳士的だったので本院の前で歌ったりはしなかったが、前述の世論調査から、この歌のことを急に思い出した。

ざっと10人のうち7人が、小学校時代に渾名を授かっていたのに、嫌な思いをしたことがある、という人が4割を下回るのは、おそらくこのあたりで「線引き」がなされているのだろう。

大体、小中学生がイジメを苦にして自死にまで追い込まれる事件は、繰り返し報じられるが、渾名を苦にして……という話は聞かない。担任教師まで加わって「葬式ごっこ」が行われたとか、自死の「リハーサル」を強要されたとか、裸の写真をネットで拡散されたとか、もはや名前の呼び方がどうこうといった次元の話ではなくなっている。

そもそも、渾名と呼び名は似て非なるものだ。

話を分かりやすくするために、ここでひとまず英語圏に目を転じると、もともとロバートならボブかロブ、リリャードならディッキー、スザンヌならスージー、レベッカならベッキーというように、名前の綴りの一部から決まった呼び名がつくので、とりたてて珍妙な渾名をつけられたり、それが問題視されることは滅多にないようだ。

ただ、背が低いとリトルなんとか、太っているとファットなんとか、と呼ばれることはあるらしい。これについては前述の通りなので、繰り返し語ることはしない。

ニクソン元大統領も名(ファースト・ネーム)はリチャードだったが、1972年に民主党本部に盗聴器が仕掛けられた、世に言うウォーターゲート事件が表沙汰になった際、大統領も関与したに違いない、との声が広まり「トリッキー・ディッキー」との渾名で呼ばれるようになった。その後、1974年に大統領辞任に至ったことは、よく知られている。

学力テストで、いわゆる引っかけ問題が「トリッキー・クエスチョン」と呼ばれることから分かるように、要はイカサマ師呼ばわりされたのである。

また『バック・トゥ・ザ・フューチャー』(1985年)という映画を見て気づいたのだが、いじめっ子がいじめられっ子に対して、わざわざ姓の方で呼んでいた。ああ、こういうものなのか、と思ったのを今でも覚えているので、子供同士が「さん」付けで呼ぶようになればイジメが減るだろう、と言う発想には、ちょっとついて行けないものを感じる。愛称という言い方もあるほどで、渾名がむしろ親しみの表現である場合の方が多いのではあるまいか。

ここで少しだけ私自身のことを語らせていただくと、小学校高学年の頃、クラスで「ドリ公」と呼ばれていた。略して「ドリ」とか。

これはイジメでなく、むしろ逆であった。阿呆の上にドがつくと「ドアホウ」だが、私の場合は利口の上にドがついたのだ。ただし、わざわざ「ドジ公」と改変したり、天才となんとかは紙一重だと言うから……などと、小学生にしては高尚な講釈を垂れる者がいたことも、併せて報告させていただく笑。

すでに複数のコメンテーターが意見を開陳している事ながら、要は「当人が嫌がるような渾名」を禁じれば済むことで、十把一からげに「渾名禁止」というのは、教育上意味のあることとは考えにくい。

アニメ『ドラえもん』の主要キャラクターであるジャイアンは、本名「剛田武(ごうだ・たけし)」である、との設定が公表されているが、妹のジャイ子については「本名非公開」であった。

同じ名前の女の子がいて、イジメに遭ったりしたら目も当てられない、ということであったと聞く。

漫画やアニメのような、影響力の強い媒体に携わる人には、このようなきめ細かい配慮が欲しいものだと強く印象づけられたが、教育関係者にも同様のことが言えるのではないだろうか。

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トップ写真:常堅小学校の教室で新年度初日の授業を行う教師(2020年4月7日) 出典:Photo by Buddhika Weerasinghe/Getty Images




この記事を書いた人
林信吾作家・ジャーナリスト

1958年東京生まれ。神奈川大学中退。1983年より10年間、英国ロンドン在住。現地発行週刊日本語新聞の編集・発行に携わる。また『地球の歩き方・ロンドン編』の企画・執筆の中心となる。帰国後はフリーで活躍を続け、著書50冊以上。ヨーロッパ事情から政治・軍事・歴史・サッカーまで、引き出しの多さで知られる。少林寺拳法5段。

林信吾

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