知られざるゾロアスター教 異文化への偏見を廃す その4
林信吾(作家・ジャーナリスト)
林信吾の「西方見聞録」
【まとめ】
・善悪二元論を宗旨の基礎とするゾロアスター教はユダヤ教・キリスト教に影響を与え、そこからさらにイスラム教に影響を与えた。
・かつてはササン朝ペルシアの国教にまでなったが、現在は拠点をインドに移した。
・閉鎖性ゆえに衰退していった、タタ財閥創業者やフレディ・マーキュリーなど影響力のある人物を多く輩出している。
自動車メーカーのマツダを知らない人は、まずいないだろう。
かつては東洋工業という社名で、自動車のブランド名がマツダであったのだが、1984年以降は社名もマツダ株式会社となっている。
創業者の名前が松田重次郎であると聞けば、なんの不思議もない命名だと思われるかも知れないが、ローマ字表記がMATSUDAではなくMAZDAである理由はご存じだろうか。
実はこれ、ゾロアスター教の最高神アフラ・マズダー(Ahura Mazda)にちなんだもの。
英知と理性と調和を司る神であるとされ、さらにはゾロアスター教が古代ペルシャ(現在のイラン)で生まれた宗教であることから、東西の文明を結ぶ自動車会社にふさわしい、と松田氏は考えたらしい。
ゾロアスター教の始まりはいつ頃なのか、諸説あってはっきりしないのだが、2003年にはイランにおいて「3000年祭」が催されているので、オフィシャルには紀元前997年に創始されたことになっているようだ。
開祖はザラスシュトラ・スピターマという人物だが、古代アーリア人の神官の家に生まれたということ以外、生没年など詳しい経歴は分かっておらず、謎が多い。最近の研究では、紀元前630年前後の生まれとする説も有力になってきていると聞くが、これに従うならば、彼が40歳で啓示を受け、伝導の旅に出たという伝承とも併せて考えると、2003年に創始3000年を迎えたという話とはつじつまが合わなくなる。
写真)ゾロアスター教の創始者、ザラスシュトラ・スピターマの肖像画
出典)Photo by Kaveh Kazemi/Getty Images
いずれにせよ、開祖であるザラスシュトラの名が、ギリシャ語訛りから英語に伝播して「ゾロアスター」として広く知られるようになった。ちなみにドイツ語読みではツァラトゥストラとなり、フリードリヒ・ニーチェが自身の著書(邦題は『ツァラトゥストラかく語りき』竹山道雄・訳 新潮文庫など)でその名を借り、自身の哲学を開陳しているが、ここで詳細にまで踏み込む紙数はない。以下、本稿でもゾロアスター(教)の表記で統一する。
いずれにせよ、当初は古イラン多神教の神官や信者から迫害を受けていたゾロアスターの教団だが、次第に勢力を伸ばし、3世紀のササン朝ペルシャにおいては国教の地位を確立するまでになった。さらにはペルシャ商人によって中央アジアから中国にまで伝わっている。
光明と知恵の象徴として火を尊ぶことから「拝火教」とも呼ばれているが、本当のところは光明神であるマズダーと暗黒神アーリマンの戦いが続くという善悪二元論を宗旨の基礎としている。
「世界最古の一神教」とも称されるが、若林博士によれば、
「本当は違う、と否定する根拠もありませんが、紀元前の民俗宗教についてはよく分かっていませんので、鵜呑みにするべきでもないでしょうね」ということになる。
ただ、善と悪との戦いが続くが、最後の審判では善が勝つ、という信仰が、ユダヤ教やキリスト教に影響を与えたことは間違いなく、そこからさらにイスラムが影響を受けた、という図式は成立する。
とは言うものの、ササン朝ペルシャという巨大政治権力を背景にしたがために、ギリシャなど西方の人たちからは、東方の特異な宗派だ、という色眼鏡で見られたことも、また事実である。一例を挙げれば、マギと呼ばれる神官が行う拝火の儀式が、不可思議な呪術と誤解されて、マジックの語源になった、というように。
そして7世紀にイスラムが勃興し、ササン朝ペルシャがその軍門に降ると、ゾロアスター教も急速に力を失い、信者の多くは活動の拠点をインドに移した。
イスラムによる迫害も絶無ではなかったが、基本的に彼らの支配は穏健なもので、人頭税さえ払えば信仰の自由までは侵されなかった。このことは、以前にも述べた通りである。
もともとゾロアスター教が衰退した理由は、その閉鎖性にあると衆目が一致している。
たとえば異教徒と結婚した女性は必ず棄教しなければならない一方、他の宗教からの改宗者を簡単には受け容れない。教義の点でも、近親相姦を罪悪視しないなど近代社会には受け容れられない一面があった。
現在、信者数は世界中で15万人近くに過ぎないとも、下手をすると(信者の定義によっては)10万人を下回るとも言われている。インドでも、7万人いるかいないかだと聞く。
そうではあるのだけれど、インドに移った信者たちが、かの国特有のカースト制度の中でも独自の地位を確立した上、影響力のある人材を輩出してきたことも、また事実である。
冒頭でマツダについて述べたが、有名なタタ財閥の創業者もゾロアスター教徒の家系である。中核企業であるタタ・モーターズは、2008年に10万ルピー(当時の邦貨で約28万円)という、世界最安値の4ドア車を発売し、話題となった。同じく2008年には、米フォード社の傘下にあった英国のジャガーとランドローバーのブランドを買収している。マツダの関係者には申し訳ない言い方ながら、経営規模は比較にならない。
ゾロアスター教との関わりで言えば、インドの厳しいカースト制度や、汚職の多いかの国の企業風土と無縁で、実力主義を貫いており、また利益の多くを社会福祉に還元している。日本企業がインド進出を図る際、タタ財閥を提携先に選ぶことが多かったのは、根拠のアル話なのだ。
しかし一方、前述のようなグローバルな企業活動を、ゾロアスター教徒の家系だけで牽引できるはずもなく、2010年に先代のラタン・タタ会長(創業者のひ孫)が70歳を迎えた際には、
「我が社は〈ゾロアスター企業〉ではない」
と宣言し、外国人の登用も視野に入れている、と発表した。実際にこの時、タタ・モーターズの経営責任者として、あのカルロス・ゴーン被告(逃亡中)の名も取り沙汰されたと聞く。
英国の伝説的なバンドで、かつて『ウォールストリート・ジャーナル』紙が特集した「史上もっとも人気を博したロックバンド」でベスト100の3位(1位ビートルズ、2位レッド・ツェッペリン)に入ったこともある、クイーンのヴォーカルだったフレディ・マーキュリーも、ペルシャ系インド人でゾロアスター教徒の両親を持つ。
写真)クイーンのフレディ・マーキュリー(1982年)
出典)Photo by Steve Jennings/WireImage
生来の名はファールーク・バルサラで、よく知られる通り1991年にエイズで他界した。
その半生は『ボヘミアン・ラプソティ』(2018年)という映画によく描かれているが、終幕のクレジットによれば、遺体はゾロアスター教の習慣に従って火葬されたという。
本当は、ゾロアスター教の伝統的な葬儀は「鳥葬」で、読んで字のごとくハゲワシなどに遺体を食べさせてしまうものだ。
教義によれば死者の体には悪魔が住み着いているので、それを焼くのは「火を冒涜する」行為になるのだとか。
ただ、主たる活動拠点がインドに移ってからは、乾燥したイラン高原と違って遺体がすぐに腐敗してしまうので、衛生上の問題が起きやすい、という事情があり、土葬や火葬をあまりタブー視しなくなったようだ。鳥葬の伝統も残ってはいるが、高い塀で囲まれた特別な施設の中でのみ行われる。
いずれにせよ、20世紀のロンドンで鳥葬など、法も世間も許すはずがない、ということだったのだろう。
世界規模で見れば小規模な宗教だが、その影響力は現代にも及んでいるのである。
トップ写真:ゾロアスター教の火寺で行われたモベド(司祭)の昇格式。伝統的な白い服を着た司祭が中庭で輪になって手をつないでいる。(1996年2月)
出典:Photo by Kaveh Kazemi/Getty Images
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この記事を書いた人
林信吾作家・ジャーナリスト
1958年東京生まれ。神奈川大学中退。1983年より10年間、英国ロンドン在住。現地発行週刊日本語新聞の編集・発行に携わる。また『地球の歩き方・ロンドン編』の企画・執筆の中心となる。帰国後はフリーで活躍を続け、著書50冊以上。ヨーロッパ事情から政治・軍事・歴史・サッカーまで、引き出しの多さで知られる。少林寺拳法5段。