相馬野馬追から学ぶこと
上昌広(医療ガバナンス研究所理事長)
「上昌広と福島県浜通り便り」
【まとめ】
・私は、相馬野馬追にインターンの学生を連れていく。地域社会を考える好機だから。
・時の幕府が「軍事訓練」とみなし禁止しようとしたが、相馬の人は「神事」だとして守ってきた。
・多くの苦難を乗り越えてきたコミュニティは強い。強靱な地域社会の存在こそ我が国の宝。相馬から学べることは多い。
7月末、相馬野馬追(そうまのまおい)を見てきた。毎年7月末の週末に開催される行事だ。相馬地方各地から、甲冑姿の騎馬武者たちが雲雀ヶ原祭場地を目指して行軍し、甲冑競馬、神旗争奪戦を繰り広げる。そして、最終日の小高神社で行われる野馬懸で締めくくられる。
私は、野馬追に医療ガバナンス研究所でインターンをする学生を連れて行く。今年は上田桃子さん(同志社大学)、吉本愛佳さん(タイ、NISTインターナショナルスクール)、吉村弘記君(広島大学)、安永和矩君(東京海洋大学)、加藤直人君(自治医科大学)が同行した(写真1)。私が、若者たちに野馬追を勧めるのは、地域社会を考える好機だからだ。
(写真1)雲雀ヶ原祭場地までの「お行列」の光景。左から上田桃子さん、吉本愛佳さん、吉村弘記君、安永和矩君、加藤直人君(2022年7月)
野馬追は、鎌倉開府前から続く伝統行事だ。権力者は、自分たち以外の勢力が強い武力を持つことを嫌う。鎌倉幕府、江戸幕府などの時の支配者は、何度も「軍事訓練は認められない」と野馬追を禁止しようとした。しかしながら、その度に相馬の人々は「神事」と申し開きし、野馬追を守ってきた。
なぜ、相馬の先人たちは、そこまで野馬追にこだわったのか。それは、強大な伊達家60万石と隣接していたからだ。その武力は、相馬家(6万石)とは比較にならない。伊達家に周囲の小大名は全て滅ぼされた。独立を保ったのは相馬家だけだ。相馬家は生き残りに懸命だった。彼らが重視したのが外交と軍事だ。
前者については、戦国時代は佐竹家、その後、石田三成、本多正信、さらに譜代の土屋氏と縁を結び、最終的には譜代大名として生き残る。戊辰戦争では、いちはやく降参し、相馬中村城が新政府軍の支配拠点となるも、厳しい処分を免れた。この時は、最初から官軍に与し、強力な庄内藩や南部藩と戦った秋田藩の存在も大きい。相馬藩と秋田藩は姻戚関係で、戊辰戦争時の秋田藩当主佐竹義堯は、相馬家からの養子だった。新政府も秋田藩主の実家に厳しい処分は下せなかったのではなかろうか。
このあたり、相馬藩は極めて外交が上手い。この伝統は現在も続いている。第33代当主・相馬和胤氏の母・雪香氏は尾崎行雄の娘だし、妻・雪子氏は麻生太郎氏の妹である。東日本大震災以降、雪香氏が設立したNGO難民を助ける会は、いち早く相馬市に入り、支援活動をしているし、麻生太郎氏も、妻の実家である相馬を懸命に支援した。
私が、相馬市とお付き合いすることになったのも、当時、政権幹部だった仙谷由人氏から「相馬に入って応援して欲しい」と立谷秀清・相馬市長を紹介されたのがきっかけだ。立谷氏は自民党系の市長。しかしながら、2009年の政権交代後は民主党の幹部である仙谷氏と信頼関係を構築していた。この地方は、兎に角、外部勢力と結ぶのが上手い。
ただ、他力だけで乱世は生き残れない。独自の軍事力が重要だ。軍事訓練の一環が野馬追である。
野馬追を生で見ると、その迫力に圧倒される。なにしろ、300騎以上の騎馬武者が一斉に行進するのだ。そんな光景は、もはや相馬以外では見ることができないだろう。
さらに、私が野馬追に惹かれるのは、武者たちが本気であることだ。行軍中は怒声が飛び交い、もし観衆が行進中の馬前を横切れば、どこまでも追いかけ、その非礼を咎める。
なぜ、彼らは、ここまで本気になるのか。それは、彼らが野馬追に命をかけているからだ。この地域の馬術のレベルは高い。バルセロナ・アトランタ五輪の馬術競技代表となった木幡良彦氏など、多くの日本代表クラスを育てている。それでも、甲冑競馬、神旗争奪戦(写真2)では怪我人が出る。祭場には南相馬市立総合病院の医師・看護師、および救急車が待機する。骨折や挫傷は毎年のようにおこり、過去には落馬し、脊髄損傷の重傷を負った人もいる。
(写真2)南相馬市雲雀ヶ原祭場地にて、神旗争奪戦で神旗を獲得した武者が、報告のため、総大将の元に駆け付ける場面(2022年7月)
なぜ、相馬の人々は、ここまでするのだろうか。それは伝統だからとしか言いようがない。この地域は、伊達氏と抗争するため、武を貴び、一致団結して生き延びてきた。その象徴が野馬追いだ。自分たちの世代で止めるわけにはいかないのだろう。関ヶ原の戦い、戊辰戦争、第二次世界大戦後に再開した際にも、同じように議論したはずだ。
最近なら東日本大震災だ。福島第一原発事故で汚染された地域の大部分は相馬藩領だった。相馬の人々は2011年にも規模を縮小しながら、野馬追を実施した。そして、コロナの流行で二年連続中止となったものの、今年は三年ぶりに再開することができた。
多くの苦難を乗り越えてきたコミュニティは強い。福島第一原発事故からも速やかに復興し、コロナ対策、特にワクチン接種では、全国をリードした。このような強靱な地域社会の存在こそ、我が国の宝である。相馬から学べることは多い。
トップ写真:相馬野馬追(2004年)
出典:Photo by Koichi Kamoshida/Getty Images
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この記事を書いた人
上昌広医療ガバナンス研究所 理事長
1968年生まれ。兵庫県出身。灘中学校・高等学校を経て、1993年(平成5年)東京大学医学部医学科卒業。東京大学医学部附属病院で内科研修の後、1995年(平成7年)から東京都立駒込病院血液内科医員。1999年(平成11年)、東京大学大学院医学系研究科博士課程修了。専門は血液・腫瘍内科学、真菌感染症学、メディカルネットワーク論、医療ガバナンス論。東京大学医科学研究所特任教授、帝京大学医療情報システム研究センター客員教授。2016年3月東京大学医科学研究所退任、医療ガバナンス研究所設立、理事長就任。