福島県立医科大学、論文数ランキング躍進のわけ
上昌広(医療ガバナンス研究所理事長)
「上昌広と福島県浜通り便り」
【まとめ】
・コロナワクチン接種を終えた相馬市民500人から採血し、中和活性を測定した結果を坪倉正治福島県立医科大学教授を中心とした研究チームが発表。
・政府は追加接種の開始を1月中としていたが、12月初旬に繰り上げた。
・福島県立医科大学、論文数で躍進。
福島県が日本のコロナ対策で重要な役割を果たしている。10月13日、相馬市は、コロナワクチン接種を終えた相馬市民500人から採血し、中和活性を測定した結果を発表した。中和活性は、2回目接種から30日未満で2,024AU/mL、30~90日で753 AU/mL、90日以上で106AU/mLと急速に低下していた。
10月22日には、同じく福島県南相馬市からも同様の調査結果が報告された。一連の研究をリードしたのは、坪倉正治・福島県立医科大学教授を中心とした研究チームだ。
相馬市・南相馬市からの報告は、コロナワクチン接種後、時間の経過とともに免疫は低下するというイスラエルなど海外との報告とも一致し、我が国での追加接種の必要性を示した。
内科医で、全国市長会会長を務める立谷秀清・相馬市長は、この結果をもち、政府と交渉した。当初、政府は追加接種の開始を1月中としていたが、12月初旬に繰り上げた。これは重要な方針変更だ。
日本の高齢者のワクチン接種が本格化したのは5月のゴールデンウィーク明けからだ。今冬の流行までには、免疫が低下している人が多いだろう。追加接種をしなければ、どのような事態が生じるか想像に難くない。この議論をする際、日本での数字は説得力がある。相馬市の研究結果を見せつけられ、政府は動かざるを得なかった。
相馬市、南相馬市の人口は3万4,236人(2021年1月31日現在)、5万8,271人(2021年10月1日現在)だ。どうして、このような小規模の自治体が、コロナ対策をリードできたのだろうか。それは、東日本大震災以降、この地域は様々な困難を克服し、さらに政府からも集中的に資金が投下され、多くの人材が育ったからだ。
その象徴的な人材が、相馬市・南相馬市のコロナ研究をリードした坪倉正治・福島県立医科大学教授だ。坪倉教授は、震災直後から、福島県に入り、相馬市、南相馬市、平田村など各地で診療・研究を続けている。坪倉教授は、神戸の私立灘高から東京大学医学部へと進み、震災当時は、私が主宰する東京大学医科学研究所の大学院生だった。
彼が福島県の被災地に飛び込んだのは、私が指示したからだ。被災地は若い有能な人材を欲しているし、旧知の仙谷由人元官房長官から「相馬市の立谷市長は人物で、彼が若手医師を求めている」と相談を受けた。立谷市長は、私の予想以上の人物だった。本稿では詳述しないが、東日本大震災からの相馬市の復興の速さはずば抜けていた。コロナ流行では、相馬市は全国でも最も早くワクチン接種を進めた自治体だし、抗体価の測定は相馬市役所の協力なしでは実行できなかった。坪倉教授は、相馬に飛び込み、福島で素晴らしい指導者に巡り会った。そして、多くのことを学んだ。
坪倉教授のことを語る上で、もう一人、忘れてはならない人がいる。竹之下誠一福島県立医大理事長だ。鹿児島県鶴丸高校から、群馬大学医学部に進み、母校の教授選で敗れた後、一兵卒として隣県の福島県立医科大学に転職した。その後、頭角を現し、2017年4月から理事長に就任している。坪倉教授は、竹之下理事長に推され、2020年6月には、福島県立医科大学放射線健康管理学講座主任教授に就任している。若干38才の抜擢だ。
東日本大震災からの10年は、立谷市長、竹之下理事長、坪倉教授のような人材の有機的な連携を生み出した。今回のコロナ研究も、彼らの信頼関係があったからこそ、実施できた。実は、このような成功例は、コロナ研究に限った話ではない。
医療ガバナンス研究所は、定期的に国公立大学の臨床研究の生産性を調査している。具体的には、米国立医学図書館データベース(PUBMED)が定義する「コア・クリニカル・ジャーナル」に掲載された臨床論文数を常勤医師数でわった指標を用いて、大学をランキングしている。2009~12年と2016~18年の調査結果の比較を図1に示す。
前者では、50大学中40位だった福島県立医科大学は、2016~18年の調査では、京都大学、東京医科歯科大学、名古屋大学に次ぐ4位に躍進した。中心的役割を担ったチームの一つが、坪倉チームであることは言うまでもない。
▲図1 国公立大学医学部付属病院の所属医師100人当たりの論文数ランキング推移(提供筆者)
余談だが、この間に論文作成の生産性を高めた大学と、低下した大学のランキングを表1に示す。世間一般で言われるブランド大学と、臨床研究力、さらにその勢いとはあまり関係ないことがお分かり頂けるだろう。
▲表1 国公立大学医学部付属病院の所属医師100人当たりの論文数ランキングの躍進と凋落(提供筆者)
話を戻そう。坪倉教授は、いまや世界的な研究者だ。彼が率いる研究チームは、すでに170報を超える震災関係の英文論文を発表しており、今年3月、米『サイエンス』誌は、坪倉チームの実績を5ページにわたり特集した。ノーベル賞受賞者を紹介するのが、例年1ページ程度だから、如何に破格の扱いかご理解頂けるだろう。
29才で被災地に飛び込み、被災者の診療と原発事故の地域社会への影響を研究した坪倉医師が、いまやこの地域でコロナ研究をリードしていることは示唆に富む。最近の医学研究の多くは学際的だ。リーダーに求められるのは「プロデュース力」だ。坪倉教授は10年にわたる福島での診療・研究を通じ、この力を身に付けた。
福島県立医科大学の臨床論文の増加は、坪倉教授以外にも、数多くの医師・研究者の貢献があってのことだ。福島には、このような人材が育ちやすい土壌がある。「我こそは」と思う若い医師・研究者は、是非、福島で働くことを考えて頂きたい。
トップ写真:福島県立医科大学の空撮 出典:福島県立医科大学
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この記事を書いた人
上昌広医療ガバナンス研究所 理事長
1968年生まれ。兵庫県出身。灘中学校・高等学校を経て、1993年(平成5年)東京大学医学部医学科卒業。東京大学医学部附属病院で内科研修の後、1995年(平成7年)から東京都立駒込病院血液内科医員。1999年(平成11年)、東京大学大学院医学系研究科博士課程修了。専門は血液・腫瘍内科学、真菌感染症学、メディカルネットワーク論、医療ガバナンス論。東京大学医科学研究所特任教授、帝京大学医療情報システム研究センター客員教授。2016年3月東京大学医科学研究所退任、医療ガバナンス研究所設立、理事長就任。