ワグネルとイスラム国(上)ロシア・ウクライナ戦争の影で その4
林信吾の「西方見聞録」
【まとめ】
・6月23日に起きた準軍事組織「ワグネル」の反乱。
・ワグネルは2014年、エフゲニー・プリコジン氏らが設立した民間軍事会社。
・「ワグネルは特定のイデオロギーのために戦っているのではなく、単に利権のため」との見方。
ロシアによるウクライナ侵攻から500日余り。
シリーズの冒頭でも述べたが、ウクライナ軍による反転攻勢が始まるや、これはロシアの「終わりの始まり」だと見る向きが、日を追って増えてきている。
その象徴的な事案が、6月23日に起きた準軍事組織「ワグネル」の反乱であった。
この反乱は、48時間を経ずして収束したのだが、そもそもワグネルとはいかなる組織で、なぜ反乱を起こすに至ったのか、まずは基礎知識を得ないと、現在のロシア=プーチン政権が直面している危機の本質を理解することはできないだろう。
ワグネルは2014年、エフゲニー・プリコジン氏らが設立した民間軍事会社で、名称は19世紀ドイツの作曲家リヒャルト・ワーグナーに由来すると言われている。ワグナーのロシア語読みがワグネルなのだ。
プリコジン氏は1961年生まれ。10代後半から20歳になる頃までは、ロシア・マフィアの正式な構成員ではなかったが、恐喝・詐欺・傷害などの犯罪に手を染め、懲役12年に処せられた前科まである(実際に服役したのは1981年から90年まで)。今の日本で言えば「半グレ」のような存在だったと言える。
しかし、これまた日本の半グレと妙に符合するのだが、ソ連崩壊後の混乱期にビジネスの世界に飛び込み、外食産業で財をなした。世に言うオルガニヒ(ロシアの新興富裕層)に名を連ね、プーチン大統領からも厚い信頼を得たという。
「かつてはプーチン大統領のシェフであった」
との報道もあったので、北朝鮮にいた「金正日の料理人」みたいな人(近年お見かけしないが、息災だろうか)を連想した向きもあったようだが、そういうことではない。取り巻きの一人として、プーチン大統領が主催するパーティーのケータリングなどを請け負っていたことから広まった呼び名だ。
例によって余談にわたるが、権力者のお抱えシェフというのは、家族ぐるみで一緒に過ごす時間が長い上に、極端なことを言えば、毒殺しようと思えば容易にできるので、よほど信頼を得た人物しか選ばれない。推測だが、こうした知識と実際の経緯が混同され、誤解を招いたのかも知れない。
話を戻して、ワグネルについては「準軍事組織」「民間軍事会社」「傭兵」さらには「プーチンの私兵」といったように、様々な呼び方がなされ、報道も統一されていない。
これは無理もないと言うか、そもそも国際法上グレーゾーンの存在なので、的確な(つまり法的な定義の裏付けがある)呼称が存在しないのである。
順を追って見て行くと、まず傭兵というのは、金銭で雇われて戦闘を請け負う兵士たちのことで、その歴史は古い。『傭兵の二千年史』(菊地良生・著 講談社現代新書)という本を読むとよく分かるが、古代ギリシャ・ローマの時代より、ヨーロッパで起きた戦争や革命には、まず例外なく傭兵が関与していた。
と言うより、我々が軍隊の一般的な姿として思い浮かべる「国民軍」というものは、18世紀末に起きたフランス市民革命の後に初めて登場したもので、それ以前の軍隊とは王侯貴族の家臣団と傭兵から成るものであったのだ。
20世紀後半の冷戦期に、軍事の形態が複雑化すると、もっぱら戦闘を請け負う傭兵だけでなく、補給など後方支援、拠点の警備、要人の警護といった任務を請け負う企業が登場してきた。世に言う軍事のアウトソーシングである。
過去の傭兵は、退役軍人などのネットワークでもって、個別具体的な任務のために募集されたが、近年では組織的かつ継続的に行う企業が登場し、民間軍事会社と呼ばれている。
過去の傭兵募集が、日雇いなど短期雇用の労働力を集める「手配師」の仕事であったとすれば、顧客に代わって給与から社会保険料までを支払う「派遣会社」になったと思えばよい。両者の共通点は、はなはだしい金額をピンハネする事だが、その話はさておき。
準軍事組織と呼ばれるのは、正規軍ではないものの、豊富な資金力を背景に、装備など最新の物を揃えており、戦闘力では見劣りしないからだ。
最後に「プーチンの私兵」という呼称だが、これは、いささか複雑な背景がある。
まずロシアでは、民間軍事会社の設立が法的に認められていない。軍隊経験者が他国の紛争に介入した結果、面倒な問題に巻き込まれる事態を嫌ったからで、傭兵として活動したことが明るみに出た場合、懲役8年以下の刑に処せられるという規定まである。
つまりワグネルは超法規的な活動を行っていたことになるわけで、今年になって初めて、プーチン大統領自身が、過去のワグネルの活動について、ロシア政府の後押しがあったことを認めたくらいである。
そもそもこうした存在自体、非戦闘員に危害を加えることと、正規の軍人でない者が戦闘に参加することをともに禁じたジュネーブ条約に違反するのではないか、との議論もある。
民間軍事会社の「社員」は軍人ではなく、と言って一般市民と見なすことはできない。国際法上グレーゾーンの存在だと述べたのは、具体的にはこのことを指している。
一方で、正規軍とは別に、権力者が私兵を組織するというのは、近現代ではいくつか例がある。最も有名なのは、ナチス・ドイツの武装親衛隊だろう。あれは国家社会主義ドイツ労働者党(ナチス)の私兵であり、親衛隊という呼称は、当初アドルフ・ヒトラーの身辺警護を主任務としたことに由来する。
サダム・フセイン時代のイラクにも、国軍とは別に大統領警護隊という組織があった。
ソ連邦でも国家親衛隊が組織されていたが、こちらは正規軍の中の精鋭を特にこう名づけ、給与や装備を優遇したものである。平等を国是とするはずの社会主義国家に、こうした組織が登場したことに、資本主義諸国は首をかしげたものだが、一部の親衛師団・旅団の名はロシア軍にも引き継がれている。
軍事会社についてさらに言えば、前述のように軍事の形態が複雑化し、かつ国際情勢の変化に伴って、容易に「出兵」できなくなったという事情から、欧米では数多く登場している。
漏れ聞くところによると、ウクライナでも旗揚げされており、それも、ワグネル(=ワーグナー)に対抗して「モーツアルト」を名乗っているとか。
ここまでくると判じ物……と言いたいところだが、実はこのワグネルという名称もまた、彼らの存在自体が物議を醸すこととなった原因のひとつなのだ。
なぜならば、プリコジン氏と共にワグネルを立ち上げた(と言うより、事実上の最高指揮官と呼ばれる)のが、ドミトリー・ウトキンという人物である。
1970年生まれ。ロシアで生まれ、ウクライナで育ったが、ロシア軍に志願し、空挺部隊や特殊部隊に属し、二次にわたるチェチェン紛争をはじめ幾多の実戦を経験して、二度も勲章を授与されるという、軍人としては実に輝かしいキャリアの持ち主だ。特殊部隊の連隊長を勤め、中佐まで昇進している。
その彼だが、ナチス武装親衛隊が用いた「鷲の徽章」のタトゥーを入れており、ネオナチだと目されていた。
そのような人物に率いられたワグネルが、
「ウクライナがネオナチ国家と化するのを防ぐ」
との戦略目的を掲げた「特別軍事行動」において、重要な枠割りを演じたのは、いささか奇妙なようにも思える。
ただ、現在のネオナチとは、白人優位主義など極右思想の持ち主を総称する言葉に過ぎず、必ずしもナチス・ドイツの衣鉢を継いでいるわけではない。当然ながら「内ゲバ」もあり得る。それ以上に、米国の『ウォールストリート・ジャーナル』紙などが、
「ワグネルは特定のイデオロギーのために戦っているのではなく、単に利権のため」
などと評したが、この見方がおそらく正しいのだろう。
そのワグネルが、なぜ反乱を起こすに至ったのか、その後の経緯も含めて、次回あらためて見る。
トップ写真:サンクトペテルブルク国際経済フォーラムSPIEF2016に出席したケータリング会社オーナー(当時)、エフゲニー・プリゴジン氏(2016年6月17日、ロシア・サンクトペテルブルク)出典:Photo by Mikhail Svetlov/Getty Images
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この記事を書いた人
林信吾作家・ジャーナリスト
1958年東京生まれ。神奈川大学中退。1983年より10年間、英国ロンドン在住。現地発行週刊日本語新聞の編集・発行に携わる。また『地球の歩き方・ロンドン編』の企画・執筆の中心となる。帰国後はフリーで活躍を続け、著書50冊以上。ヨーロッパ事情から政治・軍事・歴史・サッカーまで、引き出しの多さで知られる。少林寺拳法5段。