微妙な中比関係
澁谷司(アジア太平洋交流学会会長)
【まとめ】
・マルコス・ジュニア大統領は、親中派と見られていたが、米比「訪問軍協定」継続を表明。現在はASEANの中で最も「反中」的な国に。
・フィリピンは米中の“二者択一”を避けるため、日本との関係を強化。4月には日比初の外務・防衛閣僚「2+2」会談を開催した。
・マルコス大統領は就任70日余で対中抗議52件。比新政権は、中国が「紙屑」と一蹴した仲裁裁判所を重視する姿勢を強調している。
現在、東南アジアで、熾烈な米中の影響力争いが行われている。ここでは、ASEAN10ヶ国中、フィリピンを“ケース・スタディ”として取り上げたい。
今年(2022年)5月9日、フィリピンで大統領選挙が行われ、フェルディナンド・マルコスの息子、ボンボン・マルコス(愛称)が圧勝した。選挙当時、マルコスは大統領選候補の中で“中国に最も友好的”だという評価を受けていた(a)。そのため、ドゥテルテ大統領退任後、フィリピンが中国に近づくのではないかという分析が割と多かった。
数少ないインタビューで、マルコス・ジュニアは南シナ海問題に対する立場を明確にしている。
2016年の南シナ海に関する仲裁判断(後述)は棚上げにし、北京と二国間対話を通じて中国との摩擦が増幅されないようにする。しかし、マルコスは米国との同盟関係について、米比間の重要な「訪問軍協定(VFA)」を継続する事も明らかにした。
大統領選挙前、フィリピンのデ・ラサール大学で国際学を教えるレナト・デ・カストロ教授は、マルコス・ジュニアの「親中」姿勢をどう思うかと問われ、次のように答えている。
たとえ誰が大統領になろうと、政府機関や軍の姿勢を考慮しなければならないだろう。軍部は歴史的に中国を疑っている。外交官も中国を「友好国」とは思っていない。彼らは、中国が何をするか、いつも心配している。
南シナ海での中国の行動、例えば、①フィリピンに対する北京の自己主張の強い態度、②フィリピンに対して武力に訴えようとする北京の動きなどが、フィリピン人の中国に対するイメージに影響を与えているとカストロは述べた。
シンガポールの「ISEAS-Yusof Ishak Institute」が発表した「2022 Southeast Asia Posture Report」(b)によると、フィリピン人はASEANの中で最も中国に不信感を抱いていることがわかった。
東南アジアにおける中国の経済的影響力について問われたカストロは、ASEANが中国にとって最大の貿易相手国であるとはいえ、フィリピンも他のASEAN諸国と同様、「中国が我々の唯一の顧客になってしまうことは望んでいない」と述べた。また、「貿易と安全保障について、多様性を確保することだ」と指摘した。
他のASEAN加盟国と同じように、フィリピンは米中の“二者択一”を避けるため、日本との関係を強化している。
今年4月、フィリピンと日本は初めて外相と防衛相による「2+2」会談を開催(c)している。マルコス大統領にとっては、米中とのバランスを取ることが最大の課題である。
実は、マルコス大統領は就任70日余りで、南シナ海の主権をめぐる中国への外交的抗議を52件行い、すでにドゥテルテ前大統領の在任中の中国への抗議の10分の1以上になっている(d)(ちなみに、同大統領は、6年間の在任中に388回も中国に抗議した)。
ラジオ・フリー・アジア(RFA)によると、フィリピンは現在、ASEANの中で最も「反中」的な国と見なされている。目下、ASEAN諸国の中で北京に対して厳しい態度をとっているのはフィリピンだけである。
9月13日、フィリピン外務省のテレシタ・ダザ報道官は、対中抗議の理由として、北京が南シナ海で海洋科学調査を行うなど「侵入的かつ違法な存在」であることを挙げた。
▲写真 中国大使館前で中国による南シナ海での海洋活動に抗議する人々(2022年7月12日 比・マニラ) 出典:Photo by Ezra Acayan/Getty Images
マルコス・ジュニアは、石油・ガス開発について中国と話し合う意思があると述べた。だが、一方、マルコスは、外国政権に領土を1インチたりとも譲らないと誓い、長年にわたる米比軍事同盟の維持を公約としている。
北京がASEAN諸国に対して、政治的しがらみのない無償援助を申し出ている。また、中国がフィリピンの6年連続最大の貿易相手国に浮上し、フィリピンの主要外資誘致国に浮上した。だが、フィリピン国民からは歓迎されていない。
2018年の若干古い世論調査によると、84%がドゥテルテの対中妥協政策に反対し、87%が占領された島を中国から奪還すると答えている。
また、以前から、中国は「9段線」(南シナ海のスプラトリー諸島・パラセル諸島の領有権、また両諸島周辺の領海、排他的経済水域、大陸棚等の海洋権益に関して、全域の権利)を主張している。先に触れたが、フィリピンは常設仲裁裁判所に南シナ海の領有権問題を提訴し、2016年7月に勝訴した。その際、中国共産党は、判決は「ただの紙屑」だと一蹴している。
今年7月、フィリピンのマナロ外相は、仲裁裁判所の判断について「議論の余地はない最終的なものだ」とする声明を発表した。新政権として仲裁判断を重視する姿勢を強調(e)している。
〔注〕
(a)『VOA』:「ASEAN諸国のうち、どの国が「親米」なのか? どの国がより「親中」なのか?」(2022年5月13日付)
(https://www.voachinese.com/a/6569049.html)
(b)THE STATE OF SOUTHEAST ASIA 2022 SURVEY REPORT
(c)「第1回日・フィリピン外務・防衛閣僚会合(「2+2」)」
(https://www.mofa.go.jp/mofaj/press/release/press4_009337.html)
(d)『中国瞭望』:「北京は失望している… 彼は親中派かと思いきや反中国の急先鋒」(2022年9月17日付)
(https://news.creaders.net/china/2022/09/17/2526537.html)
(e)『NHK NEWS WEB』:「フィリピン外相 南シナ海領有権 6年前の仲裁判断の重視を強調」(2022年7月13日付)
(https://www3.nhk.or.jp/news/html/20220713/amp/k10013714571000.html)
トップ写真:閲兵するマルコス・ジュニア大統領(2022年8月8日、マニラ) 出典:Photo by Ezra Acayan/Getty Images
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この記事を書いた人
澁谷司アジア太平洋交流学会会長
1953年東京生まれ。東京外国語大学中国語学科卒。東京外国語大学大学院「地域研究」研究科修了。元拓殖大学海外事情研究所教授。アジア太平洋交流学会会長。