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.経済  投稿日:2023/1/28

日本銀行は金融市場に屈服したのか?~そもそも長期金利の完全なコントロールはできない~


神津多可思(公益社団法人 日本証券アナリスト協会専務理事)

「神津多可思の金融経済を読む」

【まとめ】

・中央銀行と金融市場が協働で模索するプロセスに入るのは健全。

・コロナ禍を契機に、一定のコンセンサスがあった中央銀行と金融市場は、先行きの見方にかなりばらつきが出てきた。

・両者とも筋道の通った論を立てた丁寧なコミュニケーションがますます必要とされている。

 

昨年12月に日本銀行が長短金利操作の運用を見直したことに対し、これは日本銀行が金融市場に屈服したのだという論評もある。本当にそうだろうか。中央銀行が長期金利をコントロールしているようみえるためには、経済の現状と先行き、それに対し中央銀行がどのような政策スタンスであれば良いか、といった点について、中央銀行と金融市場との間に一定の共通理解が必要になる。10年もの長期において、実際に何が起こるかは、例え中央銀行であっても正確には分らない。ましてや、短期志向のプレーヤーもいる金融市場の見方は、それこそ猫の目のように変わる。もはやコロナ禍前の低インフレには戻らないという認識が広がる時、中央銀行と金融市場がこれからのイールド・カーブのあり様について協働で模索するプロセスに入るのはむしろ健全なことではないだろうか。

■ イールド・カーブ・コントロールができていたようにみえた訳

イールド・カーブ・コントロールは2016年9月に導入され、つい先頃まで安定的に運営されているようにみえた。しかし昨年、グローバル経済においてインフレ率が急速に上昇し、それを受けて主要国の中央銀行がインフレ抑制に大きくスタンスを変更する中で、そのコントロールは困難化した。それは、今後のインフレ率についての金融市場の見方が変わり、徐々に、もはや以前のような低インフレに戻らないのではないかという見方が広がった中での出来事だ。

もともと、10年もの国債の流通利回りは中央銀行の金融政策のターゲットにはならない。何故ならば、中央銀行であっても、今後の10年間、インフレ率がどういう展開を辿り、したがって短期金利がどう動くかがはっきりと分かる訳ではないからだ。本来、金融政策は、金融市場にある多様な見方が、実際の金融商品の売買を通じて変化していくのを観察しながら、それに対して短期の政策金利をどう動かしていくかを考えるものだ。

そうであるにも関わらず、2016年以降先頃まで、イールド・カーブ・コントロールがうまくいっていたようにみえたのは、経済の現状と先行き、それに対する中央銀行の姿勢について、中央銀行と金融市場に一定のコンセンサスがあったからだろう。しかし、コロナ禍を契機に先行きの見方にかなりばらつきが出てきた。米中対立があり、加えてロシアのウクライナ侵攻もあって、グローバル・サプライチェーンの見直しの動きが強まった。その様なインフレ圧力を生む変化の中にあっても、2050年のネット・カーボン・ゼロに向けての議論は世界中で引き続き熱を帯びている。これもまた当面はインフレ的に作用しそうだ。今後の例えば10年間、インフレ率はどうなっていくか。なかなか良くみえなくなっている。

そうした下で、日本の長期金利にも上昇圧力が加わるようになった。もし、コロナ禍前の低インフレ環境が持続するのであれば、現在のような日本銀行の金融緩和方針であれば、10年もの国債の流通利回りが0%近傍というのは、おそらく多くの金融市場参加者にとって納得のいくものだったろう。だからこそ、過去はあたかも長期金利がコントロールできているようにみえた。

しかし、今はそうはいかない。金融市場は、一定の時間をかけて2%のインフレが持続的に実現するよう金融緩和をしていくことを前提にしても、10年もの国債の流通利回りが0%程度は納得できないと言い出している。国債の市場規模は大きく、いくら日本銀行が影響を与えようとしても、元来、100%コントロールができるものではない。どんなに気合いを入れて立ち向かっても、日本銀行にできることには限界がある。それが現在の金融市場の景色ではないだろうか。

■ 政策変更日時が決まっていることの難しさ

現状では、新しいグローバル経済の環境の下での日本のイールド・カーブがどのようなものか、金融市場も探っている最中だ。再び低インフレ環境に戻るストーリーも完全には否定できない。経済環境が新しい次元に入る時は、こうした暗中模索が続く。その中で、金融市場の見方は連続的に変化していくが、これに対し中央銀行が金融政策を決める会合の日程は、多くの国では予め決まっており公表されている。日本で言えば、今現在、今年の12月まで日本銀行の金融政策決定会合の予定は分かっているのである。

日本銀行は、今から12月までの7回の会合においてだけ、その政策スタンスを変えることができる。他方、金融市場の判断が連続して変化するなら、金融政策決定会合の直前までにある種の歪みが溜まることになる。前回の会合時よりも、長期的なインフレ見通しが上振れているのに、長期金利を誘導する目線を変えることができないなら、日本銀行が相対的に影響力を強く行使できる年限の金利が歪んでしまうことになる。

さらに、そうした歪みを収益機会にしようとするプレーヤーもいるのが金融市場だ。しばしば、投機筋のアタックと言われるのは、そういうプレーヤーが大きくポジションをとって、短期的に長期金利の変動が拡大するような現象と言って良いだろう。金融政策を決める会合の日程が予め決まっている時には、程度の差こそあれ、そうした投機的動きが出ることは避けられない。

金融政策を決める会合の日程を予め公表するというやり方は、期待に働き掛ける金融政策を重視し、サプライズを避ける政策運営を図ろうとする場合にはが望ましいことだ。ところが、経済がある種の定常状態から新しい定常状態へと移行し、将来の不確実が高まる時には、どうしても今経験しているようなことが起きてしまう

■ 中央銀行と金融市場のコミュニケーションが大事

10年もの国債の流通利回りには、今後、10年間のインフレ率がどうなるかについての金融市場の期待が凝縮される。現在の高インフレは、なかなか下がらないのか、少しは下がるがコロナ禍前のところまでは下がらないのか、経済の減速に伴ってまたかつてのようなレベルまで下がるのか。金融市場には、未だに色々な見方が混在している。いずれも一理あり、なかなか決め打ちもできない。

そのように、大方のコンセンサスといったものがなお形成されていないのであれば、結局、中央銀行も、金融市場と対話しながら、どういうアクションが最適かを探っていく他ない。金融市場側でも、新しく出てきた情報を消化しつつ未来を予想していく以外にない。高い不確実性の下では、叡智を尽くして新しいビジョンのサーチをしていく以外にないのである。そうしたプロセスおいてますます重要になるのは、中央銀行と金融市場の円滑なコミュニケーションだ

中央銀行と金融市場のどちらかが勝った、負けたという構図で語られるストーリーも多いが、現在は、これからの日本経済にとって最適な金融環境、イールド・カーブはどのようなものか、両者が協働で模索しているプロセスだ。未来への挑戦は常に難しいが、これまで長く続いてきたグローバル経済の環境が大きく変わろうとしている時には特にそうだ。日本銀行も、金融市場参加者も、筋道の通った論を立てて、それに基づき共に正解をみつけていこうとする姿勢が重要であり、両者の間の丁寧なコミュニケーションがますます必要とされている。

トップ写真:日本銀行(2020年3月2日、日本・東京)出典:Photo by Carl Court/Getty Images




この記事を書いた人
神津多可思日本証券アナリスト協会認定アナリスト

東京大学経済学部卒業。埼玉大学大学院博士課程後期修了、博士(経済学)。日本証券アナリスト協会認定アナリスト


1980年、日本銀行入行。営業局市場課長、調査統計局経済調査課長、考査局考査課長、金融融機構局審議役(国際関係)、バーゼル銀行監督委員会メンバー等を経て、2020年、リコー経済社会研究所主席研究員、2016年、(株)リコー執行役員、リコー経済社会研究所所長、2020年、同フェロー、リスクマネジメント・内部統制・法務担当、リコー経済社会研究所所長、2021年、公益社団法人日本証券アナリスト協会専務理事、現在に至る。


関西大学ソシオネットワーク戦略研究機構非常勤研究員、オーストラリア国立大学豪日研究センター研究員ソシオフューチャー株式会社社外取締役、トランス・パシフィック・グループ株式会社顧問。主な著書、「『デフレ論』の誤謬」(2018年)、「日本経済 成長志向の誤謬」(2022年)、いずれも日本経済新聞出版社。

神津多可思

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