牛乳の市場開放にはメリットもある 今こそ「NO政」と決別を その5
林信吾(作家・ジャーナリスト)
林信吾の「西方見聞録」
【まとめ】
・コロナ禍の需要激減により、牛乳の生産調整や牛の殺処分が行われている。
・昔から牛乳の生産調整が行われており、乳製品の供給が不安定になることも。
・酪農の在り方を一新し、牛乳を貿易商品とすることで、事態は改善されるはず。
「NEW(乳)プラスワンプロジェクト」という言葉をご記憶の読者はおられるだろうか。
昨年、新型コロナ禍のあおりで、飲食店や学校給食などにおける、牛乳および乳製品の需要が激減したことから、5000トンほどの牛乳が過剰となり、廃棄しなければならなくなる……そのような懸念が出たことから、岸田総理が、「各家庭でいつもより牛乳を1杯余計に飲んでいただきたい」などと語ったのだが、実はこれ、総理の発案ではなく、農水省が大真面目に考えた「対策」だったのである。
名づけて「NEW(乳)プラスワン……」というわけだ。
そんなこと言っていたかな……と首をかしげた読者は、むしろまっとうなメディアリテラシーの持ち主とお見受けする。あの人の言葉は、とにかく心に響かない。
いや、これは冗談ごとでなく、くだんのプロジェクトの成果がどのようなものであったか。
今年3月以降、乳牛を殺処分すれば1頭につき15万円の補助金を出す、として政府は50億円ほどの補正予算を計上した。
「乳が搾れるのに搾るなと言われ、そればかりか、かわいい牛を殺せとは……」
といった酪農家達の嘆きの声は大きく報じられ、未だ記憶に新しいところだ。
しかも、こうした「生産調整」は、今に始まったことではない。
1980年代に一世を風靡した『北の国から』というドラマがあった。
田中邦衛演じる主人公が、子供達=小学生の兄妹ともども東京から北海道の富良野に移住し(主人公=父親はUターンであった)、自給自足のような生活を始める物語だが、生産調整の結果、食紅を混ぜて廃棄された牛乳をもらい受けてきて、ピンク色のバターを自家製する、というシーンがあった。
今回は、そうした生産調整では追いつかなくなり、殺処分の奨励という極端な例となったことからマスメディアも注目することとなったが、昔からあった問題なのだ。
ならば、牛乳や乳製品は慢性的に生産過剰だったのかと言えば、そうでもない。
2014年にはバターの不足が深刻となり、スーパーでも「お一人様一個」と販売を制限したり、ケーキやパフェを供する飲食店でも、原料の価格高騰が経営を直撃した。
この時は、生乳の買い取り価格が上がらないことから、酪農の経営が厳しくなり、離農する人が増えたことが原因だと報じられた。
さらに度しがたいことに、今次も生産調整の結果、近い将来のバター不足を懸念する声が聞かれるという。まったく、なにを考えているのだろうか。
専門家集団であるはずの農水省がこれだから、市井の人たちが考えることが、いささかピント外れになるのも無理はない。
まったくの偶然ではあろうが、シリーズの冒頭で取り上げたコオロギ給食の話と、乳牛殺処分の話題は、相次いで報じられた。主にネットで、
「(昆虫食より)牛乳飲めばいいじゃないか」「バター作れよ」
といった声が湧き上がったのも、これまた記憶に新しい。
牛乳は「可逆性」を持つという、極めて特殊な農産物であることが、広く知らしめられていないから、こういう話になるのだろう。
具体的に、どういうことか。
牛乳=生乳から生クリームと脱脂乳が簡単に分離でき、さらに生クリームを攪拌するとバターが、脱脂乳の水分を取り除くと脱脂粉乳が得られる。攪拌と言っても、大がかりな設備は必ずしも必要でない。前述のドラマの中では、生乳が入った大瓶に棒を差し込み、気長にかき混ぜるだけでバターの出来上がり、だった。
可逆性というのは、こうして一度出来たバターや脱脂粉乳をもう一度混ぜて水を加えると、元の牛乳に戻るのである。
スーパーの牛乳売り場では、実際に「牛乳」と「加工乳」が売られており、一般に後者の方が少し安い。これは、生乳だけから作られた物を「牛乳」と呼び、生乳の他に前述の乳製品を混ぜた物を「加工乳」と読んでいるためで、他にコーヒー牛乳などの「乳製品」がある。
早い話が、牛乳が余っているからと言ってバターを大量に作っても、いずれは「加工乳」になるので、本質的な解決には全然ならない。
さらには、牛乳や乳製品は、貿易が著しく制限されている。たしかに生乳は腐りやすいので、貿易に「自然の障壁」があることも事実だが、現実には、国内の酪農家を保護するために、牛乳には25%、バターなどの乳製品に至っては200%という、べらぼうな関税を課す「保護貿易」を行っていたことこそ、本質的な問題であった。
しかも日本の酪農は、北海道においてはバターなどの加工原料乳、他の都府県においては飲料乳を主として生産するという、奇妙な「棲み分け」がなされている。
もう一度2014年のバター不足について述べると、海外から安いバターが流入し(この年、世界的にはバターが余っていた!)、国内需要に対して十二分な供給が確保されると、いずれそれは加工乳となり、価格を押し下げる。
こうした事態を憂慮した、国内の酪農家、それも飲料乳を主として生産する、北海道以外の酪農団体が政治家に働きかけて、輸入を阻止したという経緯があった。
一方、前述のようにバターなどの加工原料を主とする北海道の酪農家には、設備投資などに補助金を出したのである。もはや保護貿易どころか、社会主義的な計画経済と言うべきである。
しかも、牛乳の生産と流通にはもうひとつ問題がある。牛は暑さに弱いので、夏はあまり乳を出さない。この結果、飲料の需要が多い夏は品薄で、冬になると乳がたくさん出るので、しばしば過剰になるため、余剰となった分は乳製品にし、夏にまた牛乳に戻す、という方法がずっと続けられた。
2014年のバター不足は、前年の猛暑も関係していると言われたが、いくら計画経済でも気象まではコントロールできない。
こうした酪農の在り方を一新し、牛乳を貿易商品とすることで、事態は改善されるはずだと、私は考える。
どこに売るのかと言われれば、答えはある。中国だ。
新型コロナ禍が、ようやく終息の兆しを見せ始めた昨今、中国からの観光客も増えつつあるが、彼らが日本製の粉ミルクを「爆買い」している、との報道もあった。
日本でも過去には、粉ミルクによる薬害や食中毒などが起こされたが、その反省を踏まえ、今では「安心・安全」との評価が復活している。
子供に安心・安全なミルクを与えたいという親心には、人種国籍もイデオロギーも変わりない。さらに、国内の経済活動が復活しつつある中国は、飲食店などでの牛乳の需要が急増したのを受け、デンマークやニュージーランドから大量の牛乳を輸入しているが、前述のように牛乳は腐りやすいため、殺菌し無菌包装した、いわゆるロングライフ牛乳ばかりだと聞く。
この点、地理的に近い日本からは、新鮮な牛乳を輸出できる可能性が高い。
ただし、今日の明日で実行できることでもないし、さらに言えば、今ここで余剰牛乳の販路を確保できたとて、気候の問題などでまた状況が変わったら……という懸念もある。
こうしたことを踏まえて、酪農に限らず日本の農業全体を再建して行く必要があり、そのためには補助金などの税負担も生じるだろうが、これは「食料安全保障」という考え方に基づいた、適正な支出であると考えるべきだ。
具体的にどういうことかは、次回。
トップ写真:飼料を食べる搾乳牛 出典:Denis Suslov/ Getty Images
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この記事を書いた人
林信吾作家・ジャーナリスト
1958年東京生まれ。神奈川大学中退。1983年より10年間、英国ロンドン在住。現地発行週刊日本語新聞の編集・発行に携わる。また『地球の歩き方・ロンドン編』の企画・執筆の中心となる。帰国後はフリーで活躍を続け、著書50冊以上。ヨーロッパ事情から政治・軍事・歴史・サッカーまで、引き出しの多さで知られる。少林寺拳法5段。