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.経済  投稿日:2023/5/1

グローバル経済の新局面―新しいゲームのルール―


神津多可思(公益社団法人 日本証券アナリスト協会専務理事)

「神津多可思の金融経済を読む」

【まとめ】

・グローバル経済のゲームのルールは2020年代に入って新しいものになりつつある。

・グローバル経済の新しい環境にフィットした産業構造の実現には一定の時間がかかる。

・「マクロ経済の実質2%程度の成長を実現するため、消費者物価で2%のインフレが必要」というストーリーが成立する保証もない。

 

コロナ禍という世界的に前代未聞の出来事があり、現在はその非常事態から平常へと戻っていく過程にある。しかし、トンネルを抜けると景色は大きく変わってしまった。

もちろん、最近の変化はロシアによるウクライナ侵攻のせいもあるが、改めて振り返ると、1990年代以降のグローバル経済のゲームのルールが、2010年代に入って大きく変わり、新しくなってしまったようだ。

局面が変わる過渡期には、それまでになかった色々な摩擦が生じるが、新しい環境が定着すれば、そこから先はまたある種の安定が実現される。大事なのは、その過渡期において、致命的な混乱を引き起こさないことではないだろうか。致命的な混乱は、往々にして尾を引き、結果的に大きなコストを払うことになりがちだ。

地球規模で経済統合が加速する局面は終わった

 1990年代以降、経済のグローバル化が加速した。ベルリンの壁崩壊後、文字通り、地球規模での経済統合が急速に進んだ。2000年代に入ると、中国の世界貿易機関(WTO)加盟に象徴されるように、統合のスピードは一層加速した。

そうした速いスピードでの経済のグローバル化と並行として、インターネット、スマートフォンなどに象徴される情報通信技術の革新もあり、先進国でも産業の比較優位の構造が様変わりとなった。

日本では、生産拠点の海外移転が進み、国内では新興国経済との競争の中で賃金を抑制する動きが強まった。米国でも、新しい技術革新の波に乗った企業群がプラットフォーマーとして急速にビジネスを拡大した一方で、やはり新興国との厳しい競争に晒された産業もあり、「錆びついたベルト」と呼ばれる地域も出てきた。グローバル化の下で、勝ち組と負け組のコントラストが一層はっきりしたのは、欧州でも同様だ。

グローバル経済全体としてみれば、新興国経済の発展は供給力の強化であり、その結果、成長率の高さの割にはインフレ圧力が傾向的に低下する展開となった。そのため、金利も全般的に低下し、それ故、金融取引が過熱する局面もしばしばあった。リーマン・ショックがその典型だ。

リーマン・ショックは、米国を軸に速いスピードで展開する経済のグローバル化への最初のブレーキだったかもしれない。市場メカニズムをフルに使い、株主利益の最大化を優先する経済運営に対し、徐々に疑問が広がり始めた。地球環境や生物多様性、あるいは人権といったことを重視する動きが強まったのも、リーマン・ショック後である。

米国を軸に世界が成長していく図式に対しても、実力を付けた新興国側から待ったがかかり始めた。中国やロシアが自主路線を強めたのも2010年代以降のことだ。その様な新興国側の自主路線は、ついには中国と米国との対立の激化、ロシアのウクライナ侵攻といった事態に至る。地球規模での経済統合の動きは、ここへ来てはっきりと変わってきた。

■局面が変わる時に気を付けるべきこと

このように、グローバル経済のゲームのルールは2020年代に入って新しいものになりつつある。そのような局面変化の初期には、当然、これまでと同じにはいかないので、先行きに対する悲観的なイメージが広がりがちだ。

実際問題、急速にビジネスをグローバル化してきた多くの企業のサプライチェーンにおいて、ロシアを外さなくてはいけないし、中国についても見直さなくてはいけなそうだ。国内への生産拠点の回帰は雇用の観点からは歓迎できる。しかし、例えばサプライチェーンを友好国との間で張り替えるにしても、それはコスト増には変わりない。既に、化石燃料の生産大国であるロシアが外れたことは、世界的にインフレ圧力を生んでおり、そのため2022年を通じて海外の金利は大きく上昇した。

そのような展開を前に、どうしても先行きに悲観的になりがちだが、思い返せば1980年代までの東西冷戦構造の下でも、西側諸国の経済は景気循環を繰り返しつつ成長を続けた。さらに、日本の高度成長も朝鮮戦争とともに始まり、ベトナム戦争が続く中で実現した。局面移行の初期段階が過ぎれば、新しい定常状態の中でまた経済は動いていく。大事なのは、その過渡期をいかにスムーズに乗り切るかだ。

米中対立が厳しくなる中で、心配事の1つは台湾を巡り両国の武力衝突が起こるのではないかということだ。何らかのボタンの掛け違いが大規模な衝突に繋がった例は、歴史上たくさんある。第一次世界大戦の勃発などはその典型例だろう。米中の間に見解の相違があることは動かしがたい事実だが、そうではあっても致命的な大混乱に至ることなく、これからの過渡期を乗り切れるかどうか。まさに国家運営の知恵が試される。

新しいビジネスの面でも、デジタルとグリーンというキーワードを聞かない日はない。

人工知能(AI)の驚異的なスピードでの進化と、それと結び付いたより繊細に作動する機械群が、企業競争の景色を一変させる可能性もみえている。これまでと同じことをしていたのでは駄目だということは、経営上、大変なことだ。しかし、大きなチャンスでもある。

インターネットとスマートフォンに象徴される技術革新の波に今一つ乗り切れなかった日本経済であるだけに、この局面変化はむしろ歓迎すべきなのかもしれない。さらに、先進国の中で一番速く高齢化が進展してきたことが、これからの産業構造の変化に、これまでと反対にプラスに作用するかもしれない。AIとロボティクスによる人手不足の解消は、日本経済のとって待ったなしの課題だからだ。

■新しい局面での成長と物価の目線

そのような新局面において、地球環境の制約がさらに強まる。新しい定常状態では、日本経済が安定的に実現できる成長率と、その下でのインフレ率の関係は、1990年代以降のグローバル化の局面とは違ってくるだろう。

長い目でみれば、インフレは貨幣的な現象だと言われる。理屈上は、マクロ経済が完全雇用となった後のインフレ率はそうなる。したがって、上手に過渡期を乗り切れば、長い目でみたインフレ率は2%になるかもしれない。因みに、デフレは必ずしも純粋に貨幣的な現象とは言えない。不完全雇用の状態でのデフレは、金融的な要因だけでもたらされる訳ではない。

それはさて置き、これからの日本経済が見極めなくてはならないのは、働くことができる人の数がさらに減っていく中で、経済全体としてどれくらい成長する実力があるかということだ。それが分からないまま、感覚論でもっと高い成長率を求めたりすると、2010年代の繰り返しで、金融・財政政策に過大な負担を負わせることになる。

金融・財政政策についても、グローバル経済のゲームのルールが新しくなったことをはっきり認識した上で、これからの最適な政策はどういうものか、今一度良く考えるべきところに来ている。グローバル経済の新しい環境にフィットした産業構造の実現には、どうしても一定の時間がかかる。短期決戦にはならない。そして、その新しい環境の下で、「マクロ経済の実質2%程度の成長を実現するため、消費者物価で2%のインフレが必要」というストーリーが成立する保証もないのである。

トップ写真:イメージ 出典:Galeanu Mihai/Getty imeges




この記事を書いた人
神津多可思日本証券アナリスト協会認定アナリスト

東京大学経済学部卒業。埼玉大学大学院博士課程後期修了、博士(経済学)。日本証券アナリスト協会認定アナリスト


1980年、日本銀行入行。営業局市場課長、調査統計局経済調査課長、考査局考査課長、金融融機構局審議役(国際関係)、バーゼル銀行監督委員会メンバー等を経て、2020年、リコー経済社会研究所主席研究員、2016年、(株)リコー執行役員、リコー経済社会研究所所長、2020年、同フェロー、リスクマネジメント・内部統制・法務担当、リコー経済社会研究所所長、2021年、公益社団法人日本証券アナリスト協会専務理事、現在に至る。


関西大学ソシオネットワーク戦略研究機構非常勤研究員、オーストラリア国立大学豪日研究センター研究員ソシオフューチャー株式会社社外取締役、トランス・パシフィック・グループ株式会社顧問。主な著書、「『デフレ論』の誤謬」(2018年)、「日本経済 成長志向の誤謬」(2022年)、いずれも日本経済新聞出版社。

神津多可思

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