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.社会  投稿日:2023/5/6

祝日と休日 正しい(?)休暇の過ごし方 その2


林信吾(作家・ジャーナリスト)

林信吾の「西方見聞録

【まとめ】

・中国では5月1日のメーデー前後5日間が「労働節」という祝日になっている。

・生活習慣が変わろうとも旧正月といった長年の習慣は変わらない。

・イスラム圏でクリスマスが祝われているように、人間も国家も多様な価値観を認めなければ存続できない。

 

中国にも5月の連休があると、初めて知った。

5月1日はメーデーとして知られ、わが国でも労働組合の全国集会が開かれたりするが、中国では「労働節」として祝日になっている。なおかつ、前後5日間が連休になるそうで、まさしく日本のゴールデンウィークと二重写しだ。

しかも人口13億の国だけに、観光地の人出がそれこそわが国の比ではない。寡聞を恥じるばかりだが、そうしたニュースを見て、初めてかの国における「大型連休」の存在を知った次第である。中国では年間11日の祝日があり、日本より5日少ないということも。

メーデーに話を戻すと、本来はヨーロッパで春の訪れを祝う「五月祭」の意味に過ぎなかったが、1886年5月1日、米国シカゴにおいて、8時間労働制を要求する労働組合が、統一ストライキを決行したことから、労働者の祝日になったと言われる。

緯度の高いヨーロッパでは、5月にようやく春を迎えるということは、前回述べた通りだ。

中国以外にも、と言うより、むしろこちらが「本家」だが、ソ連邦でもこの日は「労働者の日」という祝日であったし、現在のロシアにも引き継がれている。

6月12日は「ロシアの日」という祝日で、1990年のこの日、ロシア連邦の国家主権樹立が宣言され、翌91年には初めての大統領選挙が行われたことを記念したもの。

ソ連邦の解体にともなって、ウクライナなど多くの国が、あらためて独立国となったわけだが、独立記念日が休日になるか否かは、ケース・バイ・ケースであるようだ。祝日だからといって仕事や学校がやすみにならないこともある。

一方で、共産党独裁政権下のソ連邦時代も、クリスマスを祝う伝統は生きていた。

ただし、東方正教会の暦に従って、1月7日がクリスマスである。公式には「ロシアのクリスマス」と称されるようだ。したがって1月8日からがクリスマス休暇となり、この習慣もまた、ロシアに引き継がれている。

要は、月の満ち欠けを基準とした、太陰暦(=旧暦)が生き残っていたためで、たとえばロシア社会主義革命も、1917年11月に起きたのだが、広く「十月革命」の名で知られていたほどだ。

それで思い出したが、中国においても、最大の年中行事と言えば春節で、これは旧正月のこと。韓国でも旧正月こそが正式な正月だと認識されていると聞く。

わが国では、旧正月は今や廃たれたも同然だが、お盆休みというのは一般に8月の旧盆のことである。東京では一般に新盆であるし、私には帰省する田舎がないので、この時期も、帰省ラッシュやUターン・ラッシュはあまり関わりがない。

18世紀以降の産業革命の結果、世界の多くの国々で、生活習慣が大きく変わることになったが、もちろん日本も例外ではない。いや、むしろ最も変化の振り幅が大きかった国であると言ってよいだろう。

それでもなお、長年の習慣というものは、やはりどこかで生き残るもので、内戦や革命も、所詮は「時世時節」に過ぎないのかも知れない。

イスラム圏はどうなのかというと、こちらもまた面白い。

イスラム暦は1年が354~355日と、太陽暦(グレゴリオ暦)の1年より10日ほど短いため、たとえばラマダーン(断食)の時期も、毎年少しずつ(太陽暦に当てはめると)ずれて行くこととなる。

ロンドンにもイスラム教徒は相当数いるが、所詮は無責任な異教徒の言うことながら、夏がラマダーンだとさぞ往生するだろうな、と思う。

日の出から日没まで飲食を禁じられるわけだが、幾度も述べる通り緯度が高いので、夏は夜8時頃まで明るかったりする。

7月のモスクワを訪れたことがあるが、現地時間の夜10時に、ホテルの窓から夕焼けが見えた。世界は広い、とつくづく感じ入ったが、これは余談。

この、ラマダーンというのは、ムスリムに課せられた「五行」のひとつで、他に信仰告白、礼拝、喜捨、そしてメッカ巡礼がある。

1ヶ月にわたって断食を続けるのが、すなわちラマダーンだが、前述のようにイスラム暦は太陽暦よりもやや短く、1ヶ月は29日間だ。

そして、その29日目の日没を迎え、新月が確認されたなら、イード・アツファトルと呼ばれる「ラマダーン明け」の祝祭が始まる。これが、イスラム圏における最大の年中行事で、公式には一昼夜とされているが、三日三晩にわたって祝宴が続くことも珍しくないそうだ。

これは言わば、わが国における正月と同様、古来の宗教行事に基づいた祝日が変化したものだが、他に、政治的な経緯で定められた祝日もある。

たとえば、中東諸国の多くが、大英帝国の植民地もしくは保護領から独立したという歴史があることから、それらの国々では独立記念日が祝日となっている。

サダム・フセイン統治下のイラクでは「偉大な指導者」の誕生日を大々的に祝っていたが、祝日にまではならず、あくまで人民が自主的に盛り上がっている、ということになっていたようだ。まあ北朝鮮でもタテマエとしてはそうなのだが。

また、イスラム圏ではクリスマスなど見向きもされないのかと思いきや、意外にそうでもなく、クリスマスを祝う習慣が結構根付いている国もある。

典型的な例がエジプトで、総人口の90%近くをスンニ派ムスリムが占めているが、コプト正教会に属するキリスト教徒も8ないし10%ほどいるとされ、1%ほどに過ぎないシーア派ムスリムより、はるかに多い。

かつてはイスラム原理主義者からテロの標的にされるなど、受難の歴史もあったが、最近ではサウジアラビアにおいて信仰の自由が認められようとしている。

預言者ムハンマドは、メッカの周囲に二つの宗教(つまりイスラム以外の信仰)が存在することを認めておらず、1990年の湾岸戦争に際して、サウジアラビア政府が「キリスト教の武装勢力=米軍」の駐留を認めたことが、あのオサマ・ビンラディンらを過激なイスラム原理主義に傾斜させる原因となった事実は、よく知られる通りだ。

しかし「メッカの周囲」の具体的な範囲については定説がなく、一方ではエジプトやフィリピンからやってくる出稼ぎ労働者の中に、キリスト教徒が相当数含まれているという事情もあって、国際的オツキアイの観点から、信仰を容認する方向に舵をきったものらしい。 

具体的には、長きにわたって、

「祈ってもよい。ただし、それを公言してはならない」

などと命じられていたものが、エジプトから聖職者が来て、説法や祝福を行うことを認めるようになってきたのだとか。

ちなみにコプト正教会でもクリスマスは1月7日だが、エジプトやサウジアラビアを含む多くの国では、イスラム暦と太陽暦を併用している。

これもやはり、国際的オツキアイの観点からだろう。

人間も国家も、多様な価値観を認めることなくして、自ら生きる道もない。そういう時代になってきているのだ。

 

【筆者より】

今回も、後半のイッスラム諸国における休日・祝日事情については、かつて外交官としてかの地で活躍してきた、京都大学の若林啓史博士の著作を参考にさせていただき、かつ示唆に富むお話を聞かせていただきました。

その若林啓史博士が、NHKラジオ2の『宗教の時間』で、この問題を語ります。

前半)6月25日 8時30分~9時(再放送)7月2日18時30分~19時

後半)7月2日 8時30分~9時 (再放送)7月9日18時30分~19時

朝日カルチャーセンター新宿教室での講義(「中東問題を観る眼」「外交官経験者が語る中東の暮らしと文化」)も継続中です。※教室とリモート併用

録画であれば日本全国別な日にも視聴可能。また途中からでも参加できます。関心のある方は検索してみて下さい。

トップ写真:労働節の観光地の様子(中国・武漢、2023年4月30日)出典:Getty Images / ストリンガー




この記事を書いた人
林信吾作家・ジャーナリスト

1958年東京生まれ。神奈川大学中退。1983年より10年間、英国ロンドン在住。現地発行週刊日本語新聞の編集・発行に携わる。また『地球の歩き方・ロンドン編』の企画・執筆の中心となる。帰国後はフリーで活躍を続け、著書50冊以上。ヨーロッパ事情から政治・軍事・歴史・サッカーまで、引き出しの多さで知られる。少林寺拳法5段。

林信吾

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