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.国際  投稿日:2023/5/11

尹大統領が米議会で言及した「長津湖戦役」


澁谷司(アジア太平洋交流学会会長)

【まとめ】

・米韓首脳会談、韓国への“拡大抑止”を明示した「ワシントン宣言」締結。

・尹大統領は米国の朝鮮戦争「長津湖戦役」での貢献に言及。

・中国は“歴史の捏造”を行い、この戦いでの勝利を宣伝するようになったとの指摘も。

今年(2023年)4月下旬、韓国の尹錫悦(ユン・ソンニョル)大統領が訪米(24~30日)し、バイデン大統領と会談した。

 

今度の訪米で、尹大統領は、軍事的安全保障、コア・テクノロジー、サイバー・セキュリティ、宇宙探査など多方面にわたり、米国と協力することで合意(a)している。その中で最も重要なのは米国が韓国に対して“拡大抑止”を明示した「ワシントン宣言」ではないだろうか。

もし、他国が韓国へ核攻撃した場合、米国は直ちにその攻撃に対抗するという。日本、オーストラリアに続き、韓国はインド太平洋地域で3番目に米国から核の保護(「核の傘」)を受ける。

米国の最新鋭オハイオ級原子力潜水艦(200発近い大陸間核ミサイルで武装)が、釜山港に常駐するようになる。

というのは、北朝鮮の核に対し脅威を感じている韓国人が4分の3にも達する(b)。そのため、韓国では、青瓦台を中心にしたグループが自国での核兵器開発を真剣に検討しているという。

核拡散防止の立場を取る米国としては、韓国に核を製造させない代わりに“拡大抑止”で同国を防衛する。

さて、4月27日、尹大統領は英語圏に留学した経験がないにもかかわらず、米議会で見事な英語のスピーチを披露し、議員らから喝采を浴びた(a)。

尹錫悦は、大統領に就任した際、米留学した閣僚選出に尽力した。大統領は、韓国政府を「近代化」・「国際化」するためには、流暢な英語コミュニケーション能力と国際経験が必要だと強調している。

写真)米下院議会で演説する尹大統領 2023年4月27日 アメリカ・ワシントン

出典)Anna Moneymaker/Getty Images News

米議会での演説の際、尹大統領は朝鮮戦争時、米軍の「長津湖(ちょうしんこ)戦役」(1950年11月~12月)での奮闘を称賛(c)した。

大統領はスピーチの中で「第1海兵師団は長津湖の戦闘で12万人の中国軍の包囲を奇跡的に突破した」と、米兵の韓国への貢献について語った。

更に「米国の息子達や娘達は、自分たちの知らない国や見たこともない人々を守るために命を犠牲にした」と述べている。

米国第10軍に所属する米海兵隊第1師団と陸軍第7歩兵師団の一部が、圧倒的に優勢な中国第9軍団と対峙し、やがて包囲網を突破(d)した。

翌28日、中国外交部の毛寧報道官は定例記者会見で「抗米援朝戦争(=朝鮮戦争)での大勝利は、中国と世界の双方にとって大きな意義を持つ」、「関係国が世界の平和と発展のためにもっと努力することを望む。そうしなければ、同じ過ちを繰り返す」と述べた。

また、毛報道官は中国の戦史によれば「長津湖戦役」で、3万6000人の敵が死亡し、そのうち2万4000人の米軍が死亡したと付け加えた。

中国軍事科学院戦史部(2000年出版)『抗米援朝戦争史』の資料でも、中国軍は「第2次作戦」で「3万6000余の敵を全滅させたが、その中に2万4000余の米軍を含む」と書いてあるという。

毛寧報道官が挙げた数字は『戦史』に掲載された「第2次作戦」における中国軍の総戦果であり、「長津湖戦役」は「第2次作戦」の一部に過ぎない。しかも、『戦史』によれば、「長津湖戦役」での中国軍の戦果は「(米軍を含む)敵の死者1万3916人」となっている。

更に、毛報道官は「長津湖戦役」で中国軍が「米連隊全体を全滅させ、米第8軍集団司令官のウォルトン・ウォーカー中将が混乱の中で死亡し、アチソン国務長官が『米国史上最も長く続いた敗北』と呼んだ」と説明した。

ところが、各種の資料によれば、ウォーカー中将は「長津湖戦役」に直接参加していないという。中国側が「第2次作戦」と呼ぶ時期だが、ウォーカーが指揮した米軍第8集団と長津湖で戦った米軍第10部隊は、それぞれ別の戦闘部隊だった。

他方、ウォーカーは長津湖から遠く離れた首都ソウル郊外で、“交通事故”で亡くなっている。

長津湖での戦闘中、15個師団15万人の中国軍は、米軍1個師団3万人と連隊戦闘団を急襲(e)した。米軍は9万人の避難民を連れて無事撤退したが、1万7000人の死傷者を出したという。一方、中国軍は6万人の死傷者を出し、2個師団が全滅している。

「長津湖戦役」は米軍が包囲網を突破した「名戦例」としてしばしば取り上げられる。一方、かつて「長津湖戦役」勝利の宣伝をためらっていた中国共産党は、10年前になって“歴史の捏造”を行い、同地での戦いを大々的に宣伝するようになったと指摘する評論家もいる。

〔注〕

(a)『地球大観』

「まさか尹錫悦が文武両道の手腕があるとは思わなかった」

(2023年5月2日付)

(https://news.creaders.net/world/2023/05/02/2603909.html)。

(b)『BBC News』

 「核兵器:なぜ韓国はその爆弾が欲しいのか」

(2023年4月22日付)

https://www.bbc.com/news/world-asia-65333139)。

(c)『米国のスタンス』

「米韓関係の新たな幕開け! 尹錫悦の演説で『この3文字』が北京を傷つけた」

(2023年4月27日付)

(https://news.creaders.net/us/2023/04/27/2602170.html)。

(d)『中国瞭望』

「中国が長津湖に関する尹錫悦演説に反論するも、却って中国軍の戦史資料で顔面を殴打される」

(2023年4月29日付)

https://news.creaders.net/china/2023/04/29/2602720.html)。

(e)『万維ビデオ』

「長津湖は一体誰が勝ったのか。方舟子:真実はこうである」

(2023年5月4日付)

(https://video.creaders.net/2023/05/04/2604322.html)。

トップ写真:米連邦議会下院でスピーチをする尹錫悦大統領 2023年4月27日 アメリカ・ワシントン 出典:Anna Moneymaker /Getty Images News




この記事を書いた人
澁谷司アジア太平洋交流学会会長

1953年東京生まれ。東京外国語大学中国語学科卒。東京外国語大学大学院「地域研究」研究科修了。元拓殖大学海外事情研究所教授。アジア太平洋交流学会会長。

澁谷司

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