人民に「我慢」を強要する習近平政権
澁谷司(アジア太平洋交流学会会長)
【まとめ】
・国内外の情勢変化に伴い、中国の「現代化」は困難な状況に陥った。
・習主席は人民に「忍耐強く」なるように促し、西側の成長モデルを避ける必要性を強調。
・上半期のGDP成長率5.5%が本当なら問題ないが、党メディアはそれを「曲折」と宣伝。
中国は鄧小平路線の「改革・開放」以来、「現代化」という大きな収穫(a)を得た。近年では金融リスクの防止、貧困の緩和、環境ガバナンスなどでも目覚ましい成果を上げている。
ところが、国内外の情勢変化に伴い、目下、中国の「現代化」が困難な状況に陥った。この苦境をいかに脱するべきか。
北京工業大学経済学教授、胡星斗博士は習近平政権に「10の提言」を行っている。その中でも「改革・開放」継続を1番に提唱した。また、「文化大革命」をきっぱりと否定した。他方、博士は「戦狼外交」をやめ、先進国と「平和共存」し「新冷戦」を避けるよう北京政府に求めている。
無論、習政権は、胡博士の提言には決して耳を貸さないだろう。
さて、中国経済の急激な落ち込みに直面し、多くの経済学者たちは、同国経済が回復するためには、消費を促進しなければならないと主張(b)する。
経済学者たちは、習政権に対し、景気浮揚のための大胆な措置を提案している。例えば、財政出動して、米国でコロナが蔓延した時のように人民に現金を支給したらどうかという。中国当局が「消費主導型」経済への転換に拍車をかけることで、長期的な持続可能性が高まるだろう。
ところが、習主席は、西欧式「消費主導型」成長に対して疑念を抱き、財政規律を堅持しなければならない(c)と考えているようだ。特に、今の中国の莫大な負債を考慮すれば、欧米のような刺激政策(「福祉政策」)が打ち出される公算は小さい。
また、市場指向の大規模な改革が行われたり、経済の長年にわたる中央管理への移行が反転したりする可能性も低い。
習主席は西欧式「消費主導型」成長モデルに対して、イデオロギー的に反対しているという。主席は欧米流成長を“浪費”と認識しており、「消費主導型」では中国を世界トップの工業・技術強国にするという目標に合わないと考えているのだろう。
8月16日、習主席は中国共産党機関紙『求是』に寄稿した文の中で、北京政府は西欧的な刺激政策(「福祉政策」)を避けたいという意思を明らかにした。
実際、主席は今年2月、この談話を発表している。だが、中国の景気低迷を示す新しい数値が発表された後、公表された(掲載する時期は、意図的に設けられたものとみられる)。
習主席は人民に「忍耐強く」なるように促し、西側の成長モデルを避ける必要性を強調した。
他の党誌『学習時報』(8月16日付)も消費者への現金支給に反対するという内容の記事を掲載した。政府プログラムではなく家計を対象とした財政政策の要求に対抗しようとしている。しかし、8月、中国経済は更にどん底へ陥った(d)。中国本土では災害が続き、国民の不満が各地で噴出している。
けれども、習主席は公に姿を現すことも声明を発表することも拒否し、他の政治局常務委員も主席に追随した。そのため、8月の党幹部らの「統治能力」に大きな疑問符がついている。
ところで、8月29日、『人民日報』は第1面に「中国経済回復が『波状的発展・ジグザグ前進』をどう見るか」という長文を載せた(e)。
実は、「曲折」(=ジグザグ前進)というタームは中国共産党の“文化用語”で、実際には“失敗”の代名詞(d)である。
(1) 1934年、中国共産党は国民党に江西根拠地を陥落させられ、延安へ逃れた。のちに「長征」と呼ばれたが、革命事業の「曲折」とも呼ばれる。
(2)1950年代から60年代にかけて、同党の「大躍進」政策が失敗し、鉄鋼の大製錬等で飢饉が発生し、のちに「曲折」と呼ばれた。
(3)「文化大革命」は、中国経済を麻痺させ、社会を大きく後退させたが、やはり「曲折」と呼ばれている。
以上、すべての「曲折」は“失敗”ではなく「まわりくねったジグザグ前進」だと中国共産党は強弁している。
その後、中国経済は発展した。だが、同党は30年余ぶりに経済を「ジグザグ前進」と呼び始めている。
仮に、今年上半期の中国のGDP成長率が5.5%(f)という数字が本当なら、何の問題もない。中国共産党の両会(全国人民代表大会と政治協商会議)によって設定された目標を達成したからである。しかし、党メディアはそれを「曲折」と宣伝している。つまり、経済データ改竄を認めているに等しい(d)だろう。
〔注〕
(a)『中国瞭望』「習近平は気に入らないだろう!中国の著名な学者からの『必ず矢を射る』10提案」(2023年8月7日付)
(https://news.creaders.net/china/2023/08/07/2634652.html)
(b)『万維ビデオ』「内幕: 習近平はこの方法で経済を救う準備をしている」(2023年8月28日付)
(https://video.creaders.net/2023/08/28/2642188.html)
(c)『中国瞭望』「習近平は西側の『福祉主義』を恐れており、無策のリスクは非常に大きい」(2023年8月30日付)
(https://news.creaders.net/china/2023/08/30/2642883.html)
(d)『中国瞭望』「過酷な現実、中国共産党政治局会議は密かに認めた」(2023年9月1日付)
(https://news.creaders.net/china/2023/09/01/2643489.html)
(e)『人民日報』(2023年8月29日付)
(http://paper.people.com.cn/rmrb/html/2023-08/29/nw.D110000renmrb_20230829_6-01.htm)
(f)『国家統計局』「2023年第2四半期と上半期のGDP速報値」(2023年7月18日付)
(http://www.stats.gov.cn/sj/zxfb/202307/t20230717_1941310.html)
トップ写真:BRICS首脳会議に出席する習近平国家主席(2023年8月22~24日 南アフリカ・ヨハネスブルク)出典:Photo by Per-Anders Pettersson/Getty Images
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この記事を書いた人
澁谷司アジア太平洋交流学会会長
1953年東京生まれ。東京外国語大学中国語学科卒。東京外国語大学大学院「地域研究」研究科修了。元拓殖大学海外事情研究所教授。アジア太平洋交流学会会長。