権力者をなぜ抑制できなかった?~ジャニーズ問題はメディア問題【日本経済をターンアラウンドする!】その14
西村健(NPO法人日本公共利益研究所代表)
【まとめ】
・テレビ局など大手企業は、圧倒的な権力を持つジャニー氏を批判できなかった。
・メディアは、意思決定過程を検証するべき。
・ジャニーズ問題はメディア問題であり、日本社会の組織の問題と言える。
権力者の抑制。
ジャニーさんの問題で明らかになったのは、権力者が問題を起こしても、それを抑制するどころか黙認してしまった、不正を正せないという、日本社会のある部分のシステムの仕組みである。メディア業界に限定するだけでなく、広告を出す企業や行政も「わかっていた」事実をもとにすると、芸能界という特殊な世界の出来事というのは正しくはない。日本社会に共通する問題がそこにはあると思う。
裁判で事実認定されていたこと、北公次さんをはじめとするたくさんの暴露本などを読み、もしくは噂を聞き、知っていた人たちはいた。しかし、巨大権力に対して、疑問を呈する選択はとれなかったわけだ。それどころか、公共性が求められるニュース番組のキャスターにまで、ジャニーズタレントを就任させ、社会に対して問題提起をさせていた。
60年にもわたる性被害を報道すらできなかったことに対して、彼ら・彼女らを批判するわけではないが、なぜできなかったのかを考えてみる必要はあるだろう。
□「空気の支配」
大手企業は会社とお付き合いするときに、いろいろなチェックをする。ジャニーズ事務所との契約であるが、そもそもジュニアとの契約も契約書を交わしてこなかったし、監査役が置かれているが業務監査権限は有していなかったし、内部通報制度もない。コンプライアンス規程など基本的な社内規程も制定されていなかったし、そもそもコンプライアンスを専門に担当する部署は存在しなかった会社である。そんな会社と付き合いができたのは、ひいてはその抱えるタレント数、育成システム、実績面での圧倒的なプレゼンスである。
特にテレビ局。芸能界で多くのジャニーズタレントが活躍、そんな中、ジャニーズタレントを使わないという選択肢を提案するのは難しい。提案したとしても、上司には却下されるだろう。キャスティングにおいて、ジャニーズのタレントがいないことでの魅力低下が相当に進んでしまい、結果として、自分の担当する番組の視聴率が落ちる。自分たちの評価の低下につながるからだ。
ジャニーズのタレントに疑問を呈すると内部のシンパから目をつけられるし、時にはメリー氏からの圧力にさらされてしまうのだ。ジャニーズ事務所は政治家や権力者との関係もあり、政府などから天下りで大物を招き入れていることもあり、ジャニーさんは某外国の機関との関係も噂されたほど圧倒的な権力を握っている。
そうするとテレビ局の1ディレクターの立場になってみても、「ジャニーズのタレントを使わない」という選択を取れないのは仕方ない(そこで歯向かえば自分のキャリアを失ってしまう)。ジャニーズ事務所の圧倒的なプレゼンスを前に、テレビメディアとしてはそうせざるを得なかった、それどころか、その要求に従うしかない。このことを批判する人もいるだろうが、普通の担当者や経営幹部はそうした選択をとれない。それは企業の社員にしか過ぎないからだ。
改めて指摘し、批判し、立ち上がったとしても、よほど周りを巻き込まないと「変な奴」「正論いうやつ」とライバルからレッテルを張られるかもしれない。ジャニーズタレント以外の選択肢をとるのなら、それ相当のタレントを代替え策として用意しないといけないが、それも大変な作業になる。
こうして担当者は諦めることになる。ジャニーズさんもタレントは素敵な人たちだし、頑張ってくれるし、ま、いいか~と自分を納得させる。法律やルールで「おかしい」という正義が「(メディアの)村社会」の「空気」によって封殺される瞬間である。
□伝えないメディア、ジャーナリズム
しかし、報道は別である。行動できなかったわけなので、今からでも反省するべきところだろう。
東京高裁平成15年(2003年)7月15日判決、最高裁平成16年(2004年)2月24日決定に対して何を報道したのか、検証しなかった理由を各メディアは明確に説明するべきだろう。性被害者に取材をしただろうけど、それが使えないと判断したのはなぜか。その時にどのような圧力があったのか。報道局内部でどのような議論が行われ、管理職がどういう判断をして、経営陣がどういう判断をして決断に至ったのか。いわゆる意思決定過程を検証するべきだろう。
大手メディアの報道のためにも敢えて厳しい意見を言っているのは、単なる批判をしたいわけだからではない。メディアの機能は権力の監視であり、監視の結果を希少な電波で放映できる特権の持ち主だからだ。当時の報道記者がジャニーズのような圧倒的な権力に立ち向かうという選択は、調査報道が根付いていない日本では難しいことはわかっている。先ほどの述べたようなディレクターと同じような状況だからだ。
しかし、時代は変わった。検証をしない限り、大手メディアの報道の評価は下がる一方になってしまう。国民は皆、そのことに気づいいている。
□メディア自ら検証を
権力をもった人や著名人はその裁判結果やそこでの発言が事実認定されても、世の中には伝わらない。ネットメディアが現在より発展しなかった当時は余計にそうであろう。ジャニーさんの問題はある意味メディア問題であり、日本社会の組織の問題と言える。週刊文春裁判結審時のメディアの社長さんたち、報道局長さんなど、自分から告白する、語りだす勇気のある人はいないのだろうか?
メディア人としての矜持に期待したい。
トップ写真:脳梗塞で87歳で死去したジャニー喜多川氏の映像を映し出す大型スクリーンの前を歩く歩行者(2019年7月10日・東京)
出典:Photo by Yuichi Yamazaki/Getty Images
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この記事を書いた人
西村健人材育成コンサルタント/未来学者
経営コンサルタント/政策アナリスト/社会起業家
NPO法人日本公共利益研究所(JIPII:ジピー)代表、株式会社ターンアラウンド研究所代表取締役社長。
慶應義塾大学院修了後、アクセンチュア株式会社入社。その後、株式会社日本能率協会コンサルティング(JMAC)にて地方自治体の行財政改革、行政評価や人事評価の導入・運用、業務改善を支援。独立後、企業の組織改革、人的資本、人事評価、SDGs、新規事業企画の支援を進めている。
専門は、公共政策、人事評価やリーダーシップ、SDGs。