インド、高速増殖炉(FBR)開発へ動く
中村悦二(フリージャーナリスト)
【まとめ】
・インド、高速増殖炉開発に動き始める。
・2047年の原子力発電シェアを3%程度から9%程度に引き上げる計画。
・高速増殖炉がどの程度の役割を担うか、注目される。
・燃料装荷までこぎつけ
インド原子力省(DAE)は2024年3月4日、ナレンドラ・モディ首相の立ち合いの下で南部のタミルナド州カルパッカムにおいて建設を進めている高速増殖原型炉「PFBR」(出力50万kW)で燃料装荷を始め、いよいよFBR開発に動き始めた。
PFBRはDAE傘下の公社であるバーラティーヤ・ナビッキヤ・ビデユット・ニガムが開発したもの。2004年から多くのインド企業の協力を得て設計・建設がなされて来たが、当初の完成予定より遅れ、やっと燃料装荷までこぎつけた。
・第2次大戦後に始まったインドの原子力開発
インドの原子力開発は、米国のドワイト・アイゼンハワー大統領が1953年に行った演説「Atoms for Peace」の翌年から始まった。英国から帰国したインドの原子力開発の父ともいわれるホミ・バーバー博士と同博士をタタ基礎研究所所長に迎えたタタ財閥総帥のJ・R・D・タタが、原子力開発に消極的だった当時のジャヤハルラール・ネルー首相を説き伏せた。バーバー博士はインドにあるトリウムを生かした「トリウム・サイクル」による3段階の原子力開発路線を立案した。インドは今なおこの路線を歩んでいる。
・1974年に地下核実験を実施
インドは、1970年に発効した核不拡散条約(NPT)を、核兵器保有国による核独占体制を保証すものとして、NPTに加盟せず、1974年5月に西部ラジャスタン州で地下核実験を行い、米国、ソ連(現ロシア)、英国、フランス、中国に続き6番目の核保有国になった。
インドは2008年に米国と原子力協定を締結。米国の働きかけで、原子力供給国グループ(NSG)に加盟を認められていないインドを例外扱いするようにした。日本政府も「NPTに不参加だからインドはけしからん」とせずに、インドのNSG加盟認可に反対しなかった。
この結果、インドは原子力発電システムの輸出先として注目され、韓国なども同国への原子力発電システム輸出に意欲を示したほどだった。
・原発開発計画は重水炉・軽水炉からスタート
先にインドのトリウムを燃料とするトリウム・サイクルに触れたが、FBR開発の前段としては、重水炉・軽水炉開発を進めてきている。
インドで現在稼働している原発商業炉は23基、748万㎾。原子力・科学技術担当のJ・シン閣外相によると、DAEは2031年までに原子力発電容量を現在の3倍強の2,300万㎾する目標を設定し、2047年の原子力発電のシェアを現在の3%程度から9%程度に引き上げる計画という。
冒頭で、インドが高速増殖原型炉「PFBR」(出力50万kW)で燃料装荷を始めたことを紹介した。今後、高速増殖炉が同国の原子力発電で一定程度の役割を担うことになるが、その動向が注目されるところだ。
日本では、高速増殖原型炉が1994年に初臨界したが、翌年にナトリウム漏えい事故が起き、廃炉となっている。
トップ写真:タミルナド州カルパッカムで建設中のインド初の高速増殖原型炉「PFBR」(出力50万㎾)の燃料装荷開始を宣言するナレンドラ・モディ首相 出典:インド原子力省
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この記事を書いた人
中村悦二フリージャーナリスト
1971年3月東京外国語大学ヒンディー語科卒。同年4月日刊工業新聞社入社。編集局国際部、政経部などを経て、ロサンゼルス支局長、シンガポール支局長。経済企画庁(現内閣府)、外務省を担当。国連・世界食糧計画(WFP)日本事務所広報アドバイザー、月刊誌「原子力eye」編集長、同「工業材料」編集長などを歴任。共著に『マイクロソフトの真実』、『マルチメディアが教育を変える-米国情報産業の狙うもの』(いずれも日刊工業新聞社刊)