衣替え終えた金正恩 過激傾向更に強まる
朴斗鎮(コリア国際研究所所長)
6月29日、平壌万寿台議事堂で北朝鮮の最高人民会議第13期第4回会議が開催された。金正恩朝鮮労働党委員長は国家最高指導機関を国防委員会から国務委員会に改編し、自身の肩書を国防委員会第1委員長から国務委員長へと変更した。これで後見人体制時代の「党第1書記」「国防委員会第1委員長」から「党委員長」「国務委員会委員長」への衣替えを終えた。
新しく組織された「国務委員会(国務委)」は、金正日時代の「国防委員会(国防委)」とは異なり、軍事・対南・外交関連幹部で構成され、金日成主席下での中央人民委員会に近い権力構図となった。
金正日が作った国防委には最高国防指導機関という側面が強かったために、軍の元老及び軍の代表が副委員長に配置され、軍及び軍需産業関連主要責任者たちが委員となっていた。しかし新設された国務委には国家主権の最高指導機関という性格に合わせて、党-政-軍を代表する崔龍海(チェ・リョンへ)党政治局常務委員、朴奉珠(パク・ポンジュ)内閣総理、黄炳誓(ファン・ビョンソ)人民軍総政治局長が副委員長に任命された(序列は黄、崔、朴の順)。彼らは皆第7回党大会で党政治局常務委員に任命された人たちだ。
この中で注目すべきは朴奉珠内閣総理が党政治局常務委員及び党中央軍事委委員と共に国務委副委員長を兼職するようになったことだ。これで党政務局と国務委と内閣のつながりが明確となり内閣責任制を強化して北朝鮮経済の再生を図ろうとする意図がはっきりと見えるようになった。
国務委員会委員には、党宣伝担当の金己男(キム・ギナム)、朴永植(パク・ヨンシク)人民武力部長、国際担当の李スヨン、軍需工業担当の李萬建(リ・マンゴン)、対南担当の金英徹(キム・ヨンチョル)の各党政務局副委員長が就き、そのほか金元弘(キム・ウォンホン)国家安全保衛部長、崔冨一(チェ・ブイル)人民保安部長、李容浩(リ・ヨンホ)外務相の8名が選ばれた。
国務委員の中で特に目を引くのは李萬建と金英徹だ。この二人だけが党政治局委員、党政務局副委員長、党中央軍事委員会委員、党部長、国務委員など党‐軍‐政の核心要職をすべて兼職している。李萬建は過去の国防委委員だった金春渉党軍需担当書記と趙春龍第2経済委委員長の役割を併せ持つ役割を果たし、核武装推進で急浮上している人物だ。
次に注目すべきは外交分野全般を担う李スヨンと西側諸国との外交を担う李容浩の二人が国務委員に選ばれたことだ。金正日時代の外務相が党政治局候補委員にもなってなかったことを考えると李容浩が党政治局候補委員だけでなく国務委員を兼任するようになったことは異例の措置と言える。これは金正恩が対外関係改善に力を注ぐという意志を示したものとして注目される。
しかしこうした新しい布陣で国防委員会が国務委員会に改編されたもののその中身で変わったものはほとんどない。金正恩の恐怖政治が国家体制化され「核武装路線」が鮮明になっただけである。これでは金正恩体制の課題である経済の再生と対外的孤立からの脱出は見えてこない。
ただ変化しているものもある。それは核兵器の開発進展に伴う過激な言動だ。6回目での「ムスダン発射成功」後、米国を滅亡させるなどとする挑発映像を流し「口撃」を一段と過激化させている。
せっかちで忍耐力に欠け、頑固で過激な金正恩の性格は、いま北朝鮮の国家の性格となり、その過激傾向は朝鮮総連にまで及びつつある。
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この記事を書いた人
朴斗鎮コリア国際研究所 所長
1941年大阪市生まれ。1966年朝鮮大学校政治経済学部卒業。朝鮮問題研究所所員を経て1968年より1975年まで朝鮮大学校政治経済学部教員。その後(株)ソフトバンクを経て、経営コンサルタントとなり、2006年から現職。デイリーNK顧問。朝鮮半島問題、在日朝鮮人問題を研究。テレビ、新聞、雑誌で言論活動。著書に『揺れる北朝鮮 金正恩のゆくえ』(花伝社)、「金正恩ー恐怖と不条理の統