マレーシアと北朝鮮 報復の連鎖
大塚智彦(Pan Asia News 記者)
「大塚智彦の東南アジア万華鏡」
【まとめ】
・事件の全容解明、道半ば
・北朝鮮とマレーシア、対立エスカレート
・ASEAN地域フォーラム、北朝鮮非難へ
■事件捜査はまだ道半ば
北朝鮮の金正恩労働党委員長の異母兄にあたる金正男氏が2月13日にマレーシアのクアラルンプール国際空港で暗殺された事件でマレーシア政府は7日、クアラルンプールの北朝鮮大使館を封鎖、大使館職員らの自由な外出を禁止した。一方の北朝鮮も同国内にいるマレーシア人の出国禁止を決めるなど両国による外交的な報復合戦がエスカレートしており、国交断絶に発展しそうな危機的状況となっている。
暗殺事件の捜査は金正男氏のDNA鑑定が現段階では進んでおらず、殺害に関与した容疑で逮捕・拘束した北朝鮮国籍のリ・ジョンチョル容疑者を証拠不十分で釈放、強制退去せざるを得なかったことなどから暗殺実行犯とされるインドネシア国籍とベトナム国政の2女性を殺人罪で起訴するに留まっている。
2女性は裁判で有罪判決が出た場合は最高刑で死刑もあり得る状況となっているが、暗殺に使用されたという猛毒VXガスの入手経路を含めた犯行の全体像をえぐり出すには程遠い状況だ。
■北朝鮮大使追放契機にエスカレート
こうした中マレーシア政府は事件発生当時からマレーシアの捜査を「信用できない」「陰謀である」などと中傷誹謗してきた在マレーシア北朝鮮大使館のカン・チョル(康哲)大使を「ペルソナ・ノン・グラータ(外交上好ましからざる人物)」として6日午後6時(現地時間)までのマレーシアからの退去を通告、事実上津法されて同大使は期限前に出国した。
マレーシア捜査当局は事件に関与した疑いが濃厚な重要参考人の北朝鮮国籍の人物3人が北朝鮮大使館内に潜伏している可能性があるとして、7日に大使館の封鎖に踏み切った。
ロイター通信などによるとマレーシアのヌル・ジャズラン・モハメド内務次官は「現在北朝鮮大使館内にいる全ての大使館職員を確認する。そして職員の人数と居場所について確認できるまで自由な出入りは認めない」との強い姿勢を示した。
北朝鮮大使館敷地内にはウィーン条約で認められた外交上の制約でマレーシア捜査当局関係者を含め誰一人として北朝鮮側の許可がない限り立ち入ることはできない。このため「我々が立ち入ることはない、彼らが出てくるのを外で待つだけだ」(マレーシア警察のカリド長官)という「封鎖作戦」に打って出た。
■北朝鮮もマレーシア人を「人質」に
一方、北朝鮮の国営朝鮮中央通信社は7日、北朝鮮国内に居住するマレーシア人の出国を禁止する措置を取ったことを発表した。「マレーシアの北朝鮮外交官や国民の安全確保のため」とその理由を説明した。
これに対しマレーシアのナジブ首相は即座に反応し「(北朝鮮にいる)マレーシア国民を事実上人質にとるようなこの卑劣な行為はあらゆる国際法や外交の常識を完全に無視したものだ」との声明を発表して北朝鮮を厳しく非難した。
マレーシア政府は北朝鮮大使館内にいる外交関係者に対して自由な出入りを禁止する措置を講じただけで、マレーシア国内に居住している留学生や労働者数百人に対する出国禁止措置は、現時点では取っておらず、希望すれば自由に出国はできるとしている。
マレーシア外務省などによると現在、北朝鮮にはマレーシア人11人が滞在しており、全員の安否を確認しているという。北朝鮮のマレーシア大使館の大使はすでに北朝鮮の暗殺事件への非協力的姿勢に抗議するためマレーシアに帰国しているが、大使館職員3人とその家族6人、一般市民として現地でビジネスをしている2人の合計11人が北朝鮮に残っているという。
在北朝鮮のマレーシア大使の帰国、在マレーシアの北朝鮮大使の追放、在マレーシアの北朝鮮大使館の封鎖、北朝鮮国内のマレーシア人の出国禁止と両国の外交関係は、北朝鮮側が暗殺事件の捜査に非協力的であることから報復合戦の様相を見せ、エスカレートし続けている。
■ASEAN地域フォーラム、北朝鮮欠席も
こうしたマレーシア政府の強硬な姿勢をマレーシアのマスコミ、国民は支持しており、場合によっては国交断絶も辞さないというナジブ政権には東南アジア諸国連合(ASEAN)加盟の他国などから支持と連帯の動きが出ている。ASEANは今後、議長国であるフィリピンで外相会議、首脳会議、日米韓中なども参加するASEAN地域フォーラム(ARF)、拡大外相会議などの一連の重要な会議を控えている。
特にARFは北朝鮮もメンバーとして参加しており、今回の暗殺事件がマレーシアを舞台とし、インドネシア国籍、ベトナム国籍の2女性が実行犯として逮捕・起訴されていることなどからASEANが結束して北朝鮮に厳しい姿勢で臨むことが予想されている。
そして早くも「現状では会議でどんなに自国の勝手な理屈を並べても北朝鮮の厳しい立場は変わらない可能性があることから会議を欠席することも十分ありうる」(ASEAN外交筋)との観測も出ている。
ARFは北朝鮮が正式のメンバーとして参加できる数少ない国際会議の場であることから、欠席となると北朝鮮の国際社会での孤立化は決定的となり、「テロを含めた予期せぬ突発事態」(同)への懸念も水面下では広がっているという。
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この記事を書いた人
大塚智彦フリージャーナリスト
1957年東京都生まれ、国学院大学文学部史学科卒、米ジョージワシントン大学大学院宗教学科中退。1984年毎日新聞入社、長野支局、防衛庁担当、ジャカルタ支局長を歴任。2000年から産経新聞でシンガポール支局長、防衛省担当などを経て、現在はフリーランス記者として東南アジアをテーマに取材活動中。東洋経済新報社「アジアの中の自衛隊」、小学館学術文庫「民主国家への道−−ジャカルタ報道2000日」など。