戒厳令全土へ?ドゥテルテ比大統領の野望
大塚智彦(Pan Asia News 記者)
「大塚智彦の東南アジア万華鏡」
【まとめ】
・比ドゥテルテ大統領が戒厳令を全土に拡大を検討、反独裁運動勃発。
・共産勢力との全面対決に戒厳令を利用しようと画策しているとの批判が強い。
・独裁者マルコスの「再来」への警戒感も強まっている。
フィリピンのドゥテルテ大統領が、南部ミンダナオ島周辺に限定して年末の12月31日まで布告している戒厳令について、フィリピン全土に拡大することを検討していることが明らかになった。
写真)フィリピンミンダナオ島マラウィで反政府勢力と戦う政府軍 2017年6月14日
出典)The Philippine Information Agency
国防長官は「(全土への拡大の)可能性は低い」と否定的な見方を示しているものの、マルコス元大統領時代の戒厳令下での過剰な人権侵害事案を知る世代を中心に警戒感が高まっている。
折しもマルコス元大統領が戒厳令を布告した45年前の9月21日に合わせてマニラ市内では大規模な「反独裁・反専制政治」の集会が予定されており、ドゥテルテ大統領は混乱を回避するため21日を休日とすることを検討するなど、緊張感が高まっている。
写真)米レーガン大統領と面会する比マルコス大統領とイメルダ夫人 1982年9月16日
出典)Reagan Presidential Library
ドゥテルテ大統領は9月9日、最近各地で国軍や警察と衝突、交戦が頻発しているフィリピン共産党の軍事部門「新人民軍(NPA)」の動きに関連して「NPAがルソン島などの都市部でこれ以上騒乱を起こすような事態になれば、戒厳令の全土への拡大もありうる」と警告した。
これを受けて15日にロレンサナ国防長官は「共産勢力の脅威が高まった場合には」との前提条件付きで「戒厳令の全国拡大を大統領が検討している」ことを事実として認めた。
しかしその一方でNPAの現在の勢力は全国規模で騒乱を起こすほどの力も国民の支持もないとの見方を示して「戒厳令の拡大の可能性はわずかだろう」として戒厳令拡大に強い反対を示す野党勢力や人権団体などの懸念を払拭した。
■戒厳令を巡る政治的駆け引き
ドゥテルテ大統領は南部ミンダナオ島南ラナオ州マラウィ市でイスラム系武装組織などが武装ほう起、国軍と戦闘状態になったことを受けて5月23日にミンダナオ島周辺に限定した戒厳令を布告した。その後、中東のイスラムテロ組織「イスラム国(IS)」のメンバーなどが加勢し、一般市民を「人間の盾」にしていることなどから鎮圧作戦に予想以上に手間取り、7月22日に年末までの戒厳令延長を決めている。
写真)比ミンダナオ島マラウィ市内 政府軍による空爆 2017年6月15日
Photo by Mark Jhomel
フィリピンではマルコス時代の戒厳令により反体制の学生や運動家が(戒厳令で特権をもった)治安部隊の過剰な対応で殺害、拷問、強制連行、行方不明という人権侵害が深刻化した。こうした経緯から「戒厳令」への警戒感が国民の間に根強いという特別な事情と背景がある。
マラウィ市での戦闘で当初数百人規模といわれた武装勢力側は、国軍の作戦で現在数十人までに減少したとされているが、いまだに完全には鎮圧されていない。これは事態の全面的解決による「戒厳令解除」を回避し、その間にミンダナオ島の他の地域で活動する反政府組織や武装勢力の一掃をドゥテルテ大統領が狙っている、という政治的理由が指摘されている。
そこへ来て最近NPAが各地で国軍や警察と交戦する事態が増えていることを踏まえて「NPA、共産勢力との全面対決に戒厳令を利用しようと画策している」のがドゥテルテ大統領の思惑ではないかとの見方も出ている。
ミンダナオ島での戒厳令はマラウィ市での戦闘、というそれなりの「根拠」がある。もっともそれすら下院会員の中から「ミンダナオでの戒厳令は憲法の定める侵略もしくは反乱という要件を満たしていない」と最高裁に差し止め訴訟を起こされたほど抵抗は強い。
それが共産勢力との交戦が各地で相次いでいるといっても、それが「侵略や反乱」に該当するかというとそのレベルではなく、戒厳令の全土拡大となればさらなる反発や抵抗が予想される。そのためにとりあえず観測気球を挙げて反応を見て、そのうえでロレンサナ国防相による「火消し発言」となったことは十分予想される。
写真)デルフィン・ロレンサナ国防大臣
出典)Department of National Defense, the Republic of Philippines
■ 反独裁・専制運動をドゥテルテ警戒
9月21日にマニラ市リサール公園で予定される大規模集会は元上院議員や大学学長などが8月28日に設立した「反専制政治運動(MAT=Movement Against Tyranny)」が呼びかけているもので、マルコス元大統領が1972年9月21日に戒厳令の大統領令に署名したことにちなんでいる。
しかしMATではドゥテルテ大統領が「戒厳令の全国拡大で治安を乱す全ての人たちの逮捕を命じることになんら躊躇しない」という発言などを根拠にして、麻薬関連犯罪容疑者らに対する超法規的殺人という強硬手段と並んで専制色、独裁色を強めようとしているとして、ドゥテルテ大統領の政治姿勢を問う集会を計画している。
ドゥテルテ大統領は「マニラ市民の混乱回避と安全確保のため」として21日に政府関連施設や学校を休みとすることを検討しており、21日には警備にあたる警察側との緊張した場面も予想される事態となっている。
ドゥテルテ大統領は大統領就任直後からイスラム系反政府組織、共産勢力との和解路線を提唱してきた。しかしフィリピン共産党とは停戦で合意したものの、政治犯の釈放などの条件交渉が難航し、停戦合意は崩れ、今年6月以降だけでもダバオやパンガシナ州、ミンダナオ地方など各地で交戦が続く事態となっている。
こうした事態打開のため、ドゥテルテ大統領の胸中には「戒厳令の全土拡大で共産勢力の一掃」という思いが生まれているのは間違いないとみられており、世論の動向をみながらそのタイミングを見計らっている可能性が強い。
歴代政権が踏み切れなかったマルコス元大統領の遺体のマニラ英雄墓地への埋葬を実現させ、マルコス元大統領の生誕100年にあたる9月11日を出身地北イロコス州限定の休日とすることを許可したのもドゥテルテ大統領である。
写真)マルコス元大統領遺体の英雄墓地埋葬に反対するデモ2016年11月8日
Photo by Judgefloro
こうしたドゥテルテ大統領とマルコス元大統領やその一族との関係をフィリピンの一部マスコミ関係者は「憧れの指導者とされるマルコスへの道を歩み始めた」と指摘、独裁者マルコスの「再来」への警戒感も強まっている。
トップ画像:写真)4度目の軍隊訪問する比ドゥテルテ大統領 ミンダナオ島マラウィ 2017年9月11日
出典)Presidential Communications Operations Office、Republic of Philippine
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この記事を書いた人
大塚智彦フリージャーナリスト
1957年東京都生まれ、国学院大学文学部史学科卒、米ジョージワシントン大学大学院宗教学科中退。1984年毎日新聞入社、長野支局、防衛庁担当、ジャカルタ支局長を歴任。2000年から産経新聞でシンガポール支局長、防衛省担当などを経て、現在はフリーランス記者として東南アジアをテーマに取材活動中。東洋経済新報社「アジアの中の自衛隊」、小学館学術文庫「民主国家への道−−ジャカルタ報道2000日」など。