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.国際  投稿日:2019/8/8

統一通貨ユーロが持つ意味(上)今さら人に聞けないブレグジットその7


林信吾(作家・ジャーナリスト)

林信吾の「西方見聞録」

【まとめ】

・加盟12国が1週間内に98%超の新通貨切り替え実現。世界史上未曽有。

・ユーロ誕生を可能にした理由は「信用」と「便利」。所詮「金は金」。

・「『独自通貨発行』は『国家独立の象徴』」は壮大なフィクションに過ぎず。

 

【注:この記事には複数の写真が含まれています。サイトによっては全て表示されないことがあります。その場合はJapan In-depthのサイトhttps://japan-indepth.jp/?p=47294でお読みください。】

 

キャッシュレス時代などと言われているが、紙幣の入った財布を持っていないと不安だという人は、まだまだ多いだろう。専門店でもコンビニでもよいが、お金を持ってさえいれば、持ち合わせた金額の範囲内で好きな物を買うことができるし、反対にお金がなければ買えない。

……こんなことは子供でも知っているが、では、「どうして紙切れと自分の好きな物を交換できるのか?」と問われたら、どうであろう。

大学で経済学を学んだ人であれば、これは「通貨の信用」の話だなと、ぴんと来たことであろう。通貨を発行する中央銀行の信用が通貨に反映されているからこそ「お金」として通用するのである、と。

逆に。その中央銀行が(たとえばインフレをコントロールできなくなるなど)信用を失ったら、どうなるか。

アフリカのジンバブエという国では、天文学的なインフレから脱するため、自国通貨を放棄して米ドルを新たな通貨とするダラライゼーション(dollarization)を断行した。報道によれば、「3京5000兆ジンバブエ・ドルと1米ドルを交換する」ということになったらしい。京という単位が、実際に使われていたとは……。

EUの統一通貨ユーロの話ではなかったのか。と思われたかも知れぬが、実はここに、ユーロ誕生を可能ならしめた理由と、問題点の萌芽が見て取れるのである。

1990年代に、初代EU委員長ジャック・ドロールのリーダーシップによって、巨大な単一市場が生み出されたこと、そのようなヨーロッパ統合の動きに背を向け続けた英国首相マーガレット・サッチャーは政権を失うに至ったことは、前回までに述べた。

▲写真 ジャック・ドロール初代EU委員長(左)とマーガレット・サッチャー元英首相(右) 出典:ジャック・ドロール氏/Wikimedia Commons; Nvpswitzerland マーガレット・サッチャー氏/Wikimedia Commons; Chris Collins / Margaret Thatcher Foundation

市場が統合された以上、通貨も統合されてよい、というのは自然な流れだと思えるが、ものごとはそう単純に割り切れるものではなかった。

端的に言えば、独自の通貨を持つということは、政治的独立の象徴でもある、と考えられていたからだ。1991年にソ連邦が崩壊して、新たに独立国がいくつも生まれたが、多くは経済的なデメリットも承知の上で、新たな独自通貨を導入したこともその証拠だ、とする人も少なからずいた。

しかし一方では、古代ローマにあっては現在のイングランドから北アフリカまで、その版図の全てで共通の通貨が使われていた事実もあるし、青山栄次郎ことリヒャルト・クーデンホーフ=カレルギー伯爵が旗振り役となっていた、第一次世界大戦後のパン・ヨーロッパ運動においても、「国境を廃止する政治的統合は、まだ先の課題であるとしても、ヨーロッパ全土で通用する通貨と切手の新規発行ならば、1930年代の終わり頃までには可能ではないか」 とする意見が聞かれたという。

▲写真 青山栄次郎ことリヒャルト・クーデンホーフ=カレルギー伯爵 出典:Wikimedia Commons; Public domain

なんたる皮肉か、シリーズ第1回で述べたように、1929年の世界大恐慌を転機として「国家主義のヨーロッパ」が復権し、1939年、世界は再度の大戦を経験することとなった。

話を戻して、統一通貨ユーロの構想が浮上した当時は、「ドイツ人がマルクを、フランス人がフランを手放すはずがない」と考える人が多かったわけだ。

1970年代に、大統領補佐官として米中の国交回復やヴェトナムとの和平交渉を担当してノーベル平和賞を受賞し、日本でも有名なヘンリー・キッシンジャー博士でさえ、この構想に対しては、「あまりにロマンチックな話だ。計画倒れに終わるだろう」との予測を述べたほどである。

博士はユダヤ系ドイツ人として生まれ、子供時代にナチス政権の反ユダヤ政策のせいで米国に移住してきたという来歴の人だし、その博士論文は、ナポレオン戦争以降ヨーロッパの秩序がいかにして保たれてきたのか、というテーマで、本来はヨーロッパ統合を強く支持する立場だったに違いないのに、だ。

▲写真 ヘンリー・キッシンジャー博士(2013年6月19日 米・ニューヨーク) 出典:flickr; Gerald R. Ford School of Policy, University of Michigan’s photostream

結果はご承知の通りで、博士の予測は外れ、ユーロは実際に導入された。

まずは銀行決済などの、まるで仮想通貨の先駆けのような形で、そして、2002年1月1日より、統一通貨への加盟を決めていた12カ国(EU加盟国のうち、英国などは不参加)にて、一斉に通貨の切り替えが行われた。

わが国でも過去、紙幣のデザインは幾度か変わっているし(近くまた変わる)、敗戦直後には悪性インフレを脱するため、預金封鎖と新通貨導入という荒療治が行われたこともある

世に言う新円切り替えだが、12もの国において一斉に通貨を切り替えようという試みは、世界の歴史に照らしても未曾有の試みと言ってよかった。

当座の現金だけで、およそ6000兆ユーロを準備する必要があったが、具体的には、145億枚の紙幣と、310億枚の貨幣が必要とされたのである。

輸送の規模に加え、強奪される危険性も考慮して、どこの国でも軍隊が動員された。装甲兵員輸送車が臨時の現金輸送車となり、武装した憲兵に護衛される形で、銀行や商店に新通貨が配られていったわけだが、実際、これは第二次世界大戦以降、最大規模の輸送作戦と称された。

交換の方法は、日常生活の中で普通に行う、というアイデアが採用された。これまた具体的に言うなら、たとえばドイツの商店では、マルクで買い物をしてもおつりはユーロで、という風になり、銀行ATMからはユーロでしか引き出せないようになったわけだ。

▲写真 500ユーロ紙幣 出典:flickr; Peter Linke

案ずるより産むが易し、という格言の通り、新通貨の登場から1週間も経たないうちに、加盟国内での流通率は96パーセントを超えたという。

色々なことが言い得るが、独自通貨を発行することは国家の独立の象徴だというのは、壮大なフィクションに過ぎなかったのだと、私は考える。

そもそも歴史的なことを言えば、イタリアではミケランジェロの時代からリラという通貨が使われてきたし、ギリシャのドラクマに至っては、5000年の歴史を持つ世界最古の通貨である。それでも彼らはユーロを選択した。

その理由は、ユーロの方が信用があり、便利だからである。お金=通貨には所詮、お金であるという以上の意味はない。自分の欲しい物と交換できれば、それでよいのだ。

ユーロのどこがそれほど便利なのかは、次稿で。

トップ写真:ユーロ記号のオブジェ 出典:flickr; Christine und Hagen Graf


この記事を書いた人
林信吾作家・ジャーナリスト

1958年東京生まれ。神奈川大学中退。1983年より10年間、英国ロンドン在住。現地発行週刊日本語新聞の編集・発行に携わる。また『地球の歩き方・ロンドン編』の企画・執筆の中心となる。帰国後はフリーで活躍を続け、著書50冊以上。ヨーロッパ事情から政治・軍事・歴史・サッカーまで、引き出しの多さで知られる。少林寺拳法5段。

林信吾

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