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.社会  投稿日:2020/9/2

高知東生氏自叙伝「生き直す」発売に寄せて その3 ニコ生出演後のマスコミの反応


田中紀子(ギャンブル依存症問題を考える会代表)

【まとめ】

・高知氏、当初メディアからの取材に難色を示していた。

・「プレ自助グループ」への参加でメディアに出ることの意義を理解。

・自助グループ参加で前を向いて生きる大きな力を得た。

 

3/12にピエール瀧さんのコカイン使用の事件があり、この時はこれまでにないほどのバッシングの嵐が吹き荒れた。芸能界は自粛を次々に発表し、我々は薬物問題に対するこれまでの啓発努力が水泡に帰すのを目の当たりにしていた。

▲写真 ピエール瀧氏 出典:Nesnad

もちろん高知氏もこの流れに恐怖を感じていて、予定していたニコ生への出演にためらいを見せていた。私自身もこのタイミングでの出演がよいのか迷いはあったが、これもまた受け入れるべきではないか、逆にこのタイミングだからこそ出演すべきではないかという思いになり、高知氏に「大丈夫です。やりましょう!」と背中を押すことにした。

当日のニコ生は、穏やかな雰囲気で進み、心配していたコメントも誹謗中傷の類は殆どなく、逆に回復を応援してくれる方々が多く嬉しい驚きがあった。高知氏は終始「緊張する」と連発し、実際の映像を今見ても表情はまだ固かったが、終わってみれば「出て良かった」と感想を述べてくれた。

そしてこのニコ生で事件以後初めて世間に姿を現わした高知氏を見たメディアからは、ピエール瀧さんの事件の背景もあり取材申し込みが殺到した。

高知氏の意向もあり、その殆どをお断りしたが、以前私がギャンブル依存症問題で取材を受けたTV局の記者から「必ず依存症の啓発に役立つ番組にするから」という申し入れがあり、この1社のみ取材を受けることになった。

しかしピエール瀧さんへのバッシングはなかなか収まらず、高知氏は当日が近づいてくると、やはり心配を口にし、難色を示していた。

そして、ここで大きな転機が訪れた。

私は、高知氏の現在を一度はメディアを通じて伝え、高知氏がひきこもりの生活を余儀なくされている状況から、動きやすい環境を作り、主治医の松本俊彦先生の診療以外にも、依存症からの回復の王道である自助グループ」への参加や、ご自身の回復にも役立つ啓発活動につなげたいと考えていた。

そこでまずは「自助グループ」に繋がる意味や重要性を、既に自助グループに繋がっている著名人の方にお伝え頂くことにした。

その日は、お二人の著名人の方にご足労いただき、高知氏と私と4人で昼食を共にした。そしてお二人の方から「自助グループに繋がり、自分の気持ちを正直に話すこと。」「同じ苦しみを持つ仲間を助けていくこと。」「そういう地道な活動が、自分を依存症から守ることになること。」などを伝えて頂いた。

高知氏はそこで初めて自分と同じように薬物事件でバッシングされた著名人の方と出会うことができ、ご自分と同じ経験をした方に正直に自分の辛さや、今後の不安、罪悪感や後悔について話され、肩の荷がおり、共感という癒しから希望を見出せたようだった。

この「プレ自助グループ」のような昼食会で、ご自身がメディアに出ることの意義も理解され、取材を受けてそれが誰かの役に立つならと前向きになられた。

こうして無事、高知氏の近況をメディアを通じて伝えることができ、メディアに追いかけ回されたり、隠し撮りされる恐怖がぐんと減り、いよいよ高知氏が本格的に依存症の回復プログラムや啓発活動に向き合う環境が整った。

まず、これまでなかった著名人だけの自助グループを立ち上げ、ミーティングを行うことにした。

▲写真 Ⓒ田中紀子

このあたりの経緯は自叙伝に詳しく書かれているが、この自助グループがはじまると著名人ならではの苦しみや悩みが共感を持って受け入れられ、前を向いて生きる大きな力になっていった。

また、お互いの取材などで困難が生じた際も、相談し合い、その問題に詳しい人が知恵を出し合う形で、よりよい取材の受け方など工夫されていった。

このように自助グループに通いながら、次は高知氏のこれまでの経験を講演で語って頂くことにした。

高知氏は、初めてご自身の過去について、不特定多数の方々の前で話されるようになったが、最初の頃は壮絶な生い立ち、お母様の自死などに触れるとあふれる涙が抑えられず、目頭を押さえるシーンが度々あった。

こうして高知氏は閉じ込めていた幼少期の記憶の蓋を開け始めていった。

▲動画 Japan In-depthチャンネル「薬物問題を知ろう!」 https://youtu.be/qfhk_pOnpuE

▲画像 「生き直す」 出典:amazon

その4に続く。その1その2

トップ写真:Ⓒ田中紀子


この記事を書いた人
田中紀子ギャンブル依存症問題を考える会 代表

1964年東京都中野区生まれ。 祖父、父、夫がギャンブル依存症者という三代目ギャンブラーの妻であり、自身もギャンブル依存症と買い物依存症から回復した経験を持つ。 2014年2月 一般社団法人 ギャンブル依存症問題を考える会 代表理事就任。 著書に「三代目ギャン妻の物語(高文研)」「ギャンブル依存症(角川新書)」がある。

 

田中紀子

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