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.国際  投稿日:2021/10/2

英国はまたも傭兵を用いるか 「列強の墓場」アフガニスタン 最終回


林信吾(作家・ジャーナリスト)

「林信吾の西方見聞録」

【まとめ】

・英軍はネパールの山岳民族を傭兵としてグルカ兵を活用した。

・アフガニスタン特殊部隊創設を視野に入れているとの情報も。

・20世紀の傭兵戦略が通用すると考えているとしたら、英国も手痛いしっぺ返しを受けるのでは。

 

かつてタリバンはじめイスラム原理主義組織の戦闘員と言えば、民族衣装を身にまとい、手にする武器は主にAK(アブトマット・カラシニコフ。旧ソ連製の有名な自動小銃だが、中国製などでコピー生産された)車両はピックアップ・トラックと相場が決まっていた。

映像をご覧になった方も多いであろうが、4ドアのキャビンの後ろに小さめの荷台がついたもので、米国の農家や商店で荷物の集配(ピックアップ)に最適だと重宝されたことから、こう呼ばれるようになった。日本の国内市場では。少々マニアックな車種と見なされがちだが、世界的にトヨタのハイラックスはじめ、丈夫で経済的な日本製は高い評価を受けている。

ところが、8月に米軍撤退した後、たちまちアフガニスタン全土を掌握したタリバンの兵士たちは、手に手に米国製のM4自動小銃を持ち、車両も米国製のハンビーと呼ばれる軍用車に代わっていた。

言うまでもなくアフガニスタン政府軍から奪ったものだ。

余談にわたるが、このハンビーにせよ、旧ソ連製の小型軍用車にせよ、基本設計はピックアップ・トラックのそれと同じである。理由はよく分からないのだが。どうも軍用には一番適しているらしい。

前回も述べたように、2001年に米国で起きた同時多発テロを機に、米国はアフガニスタンに侵攻し、タリバン政権を一度は崩壊させて「民主的な」政府を樹立したのだが、大統領の実弟が麻薬ビジネスに手を出していたのではないか、との疑惑が浮上するなど、国民の強い支持があるとは、お世辞にも言えない状態だった。

軍隊にせよ、

「アフガニスタンに民主主義を根付かせるべく、タリバンの復権など許さない」

という目的意識を持った兵士などごく少数で、どちらかと言うと、

「他に仕事がないので、とりあえず衣食住が保証される軍隊にでも」

といった動機で志願してきた者が多かったようだ。当然ながら戦意は低く、米軍という強力な後ろ盾がなくなった途端に崩壊した。

彼ら政府軍の元兵士や、米軍に協力していた者に対して、タリバン新政権は「恩赦を与える」と表明しているが、これは鵜呑みにしない方がよい。すでに公開処刑が始まっているとの情報も入っている。

一方、政府軍が崩壊したことにより、米軍から供与されていた多数の兵器がタリバンの手に渡ったのだが、軍事をある程度勉強した人の中から、このことを「新たな脅威」などと憂える声はまず聞かれない。

と言うのは、米国製の兵器は一般に、精度を追求した分、構造がややデリケートで、こまめにメンテナンスを行わないと故障しやすいことが、よく知られているのだ。

1980年代に、ソ連軍の攻撃ヘリがムジャヒディーンの脅威になっていたことから、米軍が多数のスティンガー地対空ミサイルを供与し、戦況を一変させたことも前に述べたが、この時もソ連軍が撤退した後、多くのミサイルがイスラム過激派の諸組織や「友好国」イランに流れた。

しかし、このミサイルは炸薬や推進役の寿命がおおむね製造後10年ほどで、後に米軍がアフガニスタンに侵攻した時点では、あらたか「賞味期限切れ」になっていたのである。

今回タリバンに渡った兵器にしても、中国に流れて、かの国の兵器の性能向上に一役買うのではないか、と見る向きもあるようだが、これまた軍事を多少は勉強した者に言わせれば噴飯ものだ。

夜間暗視装置や通信機材などが、そうした「最新鋭の機材」に該当するらしいが、現在の中国の軍事技術は、一世代前の米国製から学ぶ必要などないレベルに達している。かの国が新兵器として宣伝している物の中に「得意の」無許可コピー品が多数含まれていることも、また事実ではあるが。

それはそれとして、台湾海峡や日本近海を含む西部太平洋における中国の脅威とアフガニスタンの問題とは、やはり不可分の関係にあった。

過去20年間、米国がアフガニスタンの泥沼に足を取られ続けて、膨大な戦費(=軍事予算)を浪費している間に、中国はやはり膨大な国費を軍備の近代化に注ぐことができ、現在の西太平洋における緊張状態は、、そのひとつの結果なのだ。

いずれにせよ、事程左様に戦意に欠けていたアフガニスタン政府軍であったが、例外的に強い部隊も存在した。

SAS(スペシャル・エア・サービス=英国陸軍特殊空挺隊)が訓練した特殊部隊は戦意も練度も高く、最後までカブール空港を守備し、外国人の脱出を支援した。しかもその後、危険を顧みず、すでにタリバンに制圧されつつあったカブール市内に戻り、残存の特殊部隊員とその家族を脱出させ、最後は全員(500名以上と言われる)、英国に亡命したのである。

これを受けて英軍筋では、彼らアフガニスタン特殊部隊を正規の序列に組み込んで、新たな連隊を創設することまで視野に入れていると聞く。

もともと19世紀にインド亜大陸を植民地化した際、英軍はネパールの山岳民族を傭兵として活用した。有名なグルカ兵だ。

山岳民族特有の敏捷さと尚武の気風を兼ね備えているとされ、事実、アジア太平洋戦争においては、マレーやビルマ(ミャンマー)の戦線で、日本軍の脅威となった。『ビルマの竪琴』(竹山道夫・著。新潮文庫他)という小説にも、一番恐ろしいのはグルカ兵だった、との描写がある。

1982年のフォークランド紛争においても、手に手にククリと呼ばれる山刀をかざして突撃し、これを見て浮足立ったアルゼンチン軍は早々と白旗を掲げたとまで言われた。

▲写真 フォークランド紛争に向かうグルカ兵(1982年05月01日) 出典:Photo by Sahm Doherty/Getty Images

冷戦終結後、大幅に縮小されたものの、このグルカ旅団は現在も存続している。また、英軍以外にも、香港やシンガポールの治安部隊に雇用されているようだ。

このように、傭兵を使うことにかけては英軍は年季が入っていると言えるし、今後も同国がイスラム圏と関わりを持って行くとするならば、彼らのようにイスラムの生活文化を理解している兵士たちは、貴重な戦力たり得るのではないか……というように英国防省は考えているらしいのだが、これもいささか眉唾物である。

そもそもイスラム過激派の目に、彼らは裏切り者としか映らないであろうし、タリバンをも「日和見主義者」としてテロの標的にすると宣言している、最過激派IS(イスラム国)相手に、イスラム文化を理解しているなどという話が通用するだろうか。

予算の問題などもあるので、まだまだ早計には言われない事柄ではあるが、19世紀の植民地獲得競争や、20世紀の二度にわたる世界大戦で機能した傭兵戦略が、21世紀の今日でも通用すると考えているとしたら、英国も今度こそ手痛いしっぺ返しを受けることになるのではないか。

アフガニスタンが「列強の墓場」と呼ばれるきっかけとなったのが、シリーズで最初に述べた通り、3次にわたるアングロ・アフガン戦争であったことを忘れているとしたら、救われない話である。

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トップ写真:北部バグラム空軍基地で検問所の米兵(2001年12月1日 アフガニスタン) 出典:Photo by Scott Peterson/Getty Images




この記事を書いた人
林信吾作家・ジャーナリスト

1958年東京生まれ。神奈川大学中退。1983年より10年間、英国ロンドン在住。現地発行週刊日本語新聞の編集・発行に携わる。また『地球の歩き方・ロンドン編』の企画・執筆の中心となる。帰国後はフリーで活躍を続け、著書50冊以上。ヨーロッパ事情から政治・軍事・歴史・サッカーまで、引き出しの多さで知られる。少林寺拳法5段。

林信吾

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