文在寅利用で危機脱出狙う金正恩
朴斗鎮(コリア国際研究所所長)
【まとめ】
・金正恩氏は9月29日の施政演説で、文在寅政権に「南北首脳会談ショー」の餌をちらつかせた。
・金正恩体制は危機に瀕している。
・体制維持のため、韓米の離間・韓国からの経済支援・韓国左派従北政権再創出を狙う。
北朝鮮は9月に入って各種ミサイル発射を繰り返す一方で、9月28日から14期5回最高人民会議を開催した。2日目会議では金正恩国務委員長が施政演説を行い、当面の国内課題ならびに対韓国、対米方針を明らかにした。対韓国部分は演説の20%に及んだが、内容は、表現こそ違え24、25日の金与正談話とほとんど変わらなかった。
1、金正恩の破廉恥で狡猾な対韓国演説
この演説で金正恩は、「南朝鮮は北朝鮮の挑発を抑止しなければならないという妄想と甚だしい危機意識、被害意識から早く脱しなければならない」と北朝鮮の挑発に対する韓国の抑止行動を、「妄想」「被害意識」などとする恥知らずな「転倒黒白」の主張を行い、韓国国民を愚弄した。
そして文在寅大統領が国連で演説した「終戦宣言」を取りあげ、「南朝鮮が提案した終戦宣言問題を論じるなら、北南間の不信と対決の火種となっている要因(注:韓米合同軍事演習や駐韓米軍の戦略武器配置など)をなくせと迫り、「梗塞している現在の北南関係が一日も早く回復され、朝鮮半島に恒久平和が訪れることを望む全民族の期待と念願を実現するための努力の一環としていったん10月初めから関係悪化で断絶させた北南通信連絡線を再び復元する」と、たいそうな贈り物でもするかのように南北通信連絡線の開通を通告し、それが南北首脳会談につながるかのように匂わせる餌を投げた。
2、金正恩演説の背景と狙い
金正恩が今回の演説で文在寅政権にアメをちらつかせる行動に出た背景には、金正恩体制の危機の深まりと、韓国での次期大統領選挙が迫っていることがある。
背景①―限界に近づく北朝鮮エリート層と住民の不満
北朝鮮では現在、体制を支える軍までも、食糧不足などで金正恩への不満をつのらせている。そうしたことから金正恩は最近、命令に従わなかった最側近のリ・ビョンチョル(李炳哲=政治局常務委員兼党中央軍事委員会副委員長)系列を排除し、お気に入りのパク・チョンチョン(朴正天)総参謀長を政治局常務委員に昇格させ、軍指揮系統を一新した。しかし、軍内部の不満はくすぶったままだ。
国政も思い通り進まず国務委員会の委員も総入れ替えした。今回の14期5回最高人民会議で、李炳哲、金才龍、李萬建、金衡俊、金秀吉、金正官、キム・ジョンホ、崔善姫らの国務委員をすべて解任し、金徳訓、趙甬元、朴正天、呉秀容、李永吉、張正男、金成男、金與正らの側近で国務委員会を固めた。この人事は権力中枢がいかに不安定かを示すものである。
今北朝鮮内部では一般住民だけでなくエリート層にも金正恩に対する不満が広がり、彼らの我慢は限界を超えつつある。それなのに金正恩は「戦争は砂糖や油がないからと言ってできないわけではない。砂糖や油がないからと大騒ぎするな」と指示し、不満の火に油を注いだという。このまま閉塞状態が続けば、住民暴動すら起きかねない状況なのだ。金正恩は、こうした危機を文政権の利用で突破しようとしている。
背景②―業績皆無の文政権、次期大統領選挙でも赤信号
一方文在寅政権側もすべての政策に失敗したまま任期末を迎え危機に瀕している。そこに来年の大統領選挙で与党のトップ候補であるイ・ジェミョン(李在明)京畿道知事の超大型疑獄事件が噴出した。李在明氏が城南市長時代に手掛けた「大庄洞新都市開発事業(城南の庭計画)」に深く関わった人物たちが投資額の1000倍もの利益を手にしたという事件だ。そこには、虚偽発言で選挙法違反に問われ、2審で有罪となった李在明氏を、最高裁で無罪へと主導した判事をはじめ、法曹界、政界、不動産業界の有力者が群がっていた。
▲写真 第73回国軍の日で挨拶をする文在寅韓国大統領(2021年10月1日) 出典:Photo by Song Kyung-Seok – Pool/Getty Images
これで左派従北政権再創出にも赤信号が灯り、文政権は今右往左往している。もしも政権を保守に奪還されれば、退任後の文大統領には「塀の中の生活」が待ち受ける。結局その突破口は、金正恩との「首脳会談ショー」に求めるしかない状況となっている。
南北両政権の危機状況の中で出された今回の金正恩演説の狙いはミエミエだ。まずは米国と対立する文大統領の「先終戦宣言後段階的非核化」の主張を助長し、韓米の離間を促進させた上で、「南北首脳会談」を餌に、これまで手なづけた文在寅大統領から、巨額の「上納金」と大々的経済支援を得ることにある。そしてもちろん金正恩体制維持に欠かせない韓国左派従北政権再創出のための大統領選挙への介入も重要な狙いの一つだ。
今回の「終戦宣言」にまつわる「通南封米」の「南北首脳会談ショー」への動きについては、国家情報院院長の朴智元と金与正の秘密ラインによる作品ではないかとの情報もある。年末から来年にかけての南北政権の動きから目を離せない状況となってきた。
トップ写真:北朝鮮金正恩委員長のニュースを見るソウル市民(2020年5月2日) 出典:Photo by Chung Sung-Jun/Getty Images
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この記事を書いた人
朴斗鎮コリア国際研究所 所長
1941年大阪市生まれ。1966年朝鮮大学校政治経済学部卒業。朝鮮問題研究所所員を経て1968年より1975年まで朝鮮大学校政治経済学部教員。その後(株)ソフトバンクを経て、経営コンサルタントとなり、2006年から現職。デイリーNK顧問。朝鮮半島問題、在日朝鮮人問題を研究。テレビ、新聞、雑誌で言論活動。著書に『揺れる北朝鮮 金正恩のゆくえ』(花伝社)、「金正恩ー恐怖と不条理の統