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.社会  投稿日:2022/2/28

外来語と和製語について(上) 日本の言論状況を考える その5


林信吾(作家・ジャーナリスト)

林信吾の「西方見聞録」

【まとめ】

・日本語の中に不自然に英語が混じり、本来の意味とも違っているが、カタカナを漢字に置き換えれば格調高くなるのだろうか。

・英語圏でノルマン語由来の単語を用いた方が格調高く思われがちなのと似ていて、日本語の起源を考えれば、不思議ではない。

・漢語由来であれ欧米からの外来語であれ、皆が日常的に使うようであれば、もはや日本語の一部と考えてよいのかも知れない。

 

最近、日本語が乱れている」と考える人は昔から多く、昭和の時代にあっては漫画やTV、最近ではネットから発信される言葉が、その元凶と見なされている、という話をした。

もうひとつ「カタカナ英語」を忘れてはいけない。

日本語の会話の中に、不自然に英語が混じり、それも英単語の本来の意味とは違っていたりする、ということで、昭和の時代には、

「ナウなヤングのグーなフィーリング」

という表現で揶揄されていた。端的に、そんな風に英語(?)まじりで話せばかっこいいとでも思っているのか、と見下されていたのである。

しかし、今考えると、これもこれでおかしな話だ。たしかに

「現代的な若者の好ましい感性」

と言い換えることはできるが、カタカナを漢字に置き換えれば格調高くなるのだろうか

いや、日本語が成立した背景にまでさかのぼって考えれば、カタカナ交じりの日本語より漢文調の方がずっと格調高い、と信じ込む人がいても、さほど不思議ではない。

現在我々が「日本語」として認識している言語とは、古来の「やまとことば」に、中国文化圏の影響でもって、漢語を大幅に取り入れて成立したものである。

英語も実は似たような成り立ちの言語で、その源流は、低地ドイツ語から派生したサクソン語に求められる。ブリテン島に渡ってきたサクソン人を特にアングロサクソンと呼び、日本でも一般に「イギリス人」と認識されている民族の大半を占めている。

しかし1066年、現在のフランス北部からやってきたノルマン人が、ブリテン島南部=現在のイングランドの大半を征服し、ノルマン王朝を開いた。これこそが英国王室の起源なのだが、これにより、ラテン語系のノルマン・フレンチが持ち込まれ、英語の原型が形作られるのである。

今に至るも名門とされる私立校ではラテン語が必修となっているし、日常会話においても、たとえば食べ物のことをフードでなくキュイジーヌと言うなど、ノルマン語由来の単語を用いた方が、格調高く思われがちなのだ。日本語でも、難しい漢字を多用して漢文調で書いた方が格調高く思われがちなのと、よく似ている

話を戻して、私はフィーリングという言葉はあまり使わず、感性とか感覚と書くが、ニュアンスという表現は多用する。これとて「語感」でもよいが、それこそ少々ニュアンスが違う。ある言葉に含まれる、字義通りではなく、また理論的に説明しがたい意味づけ、といった説明も可能だが、いちいちそこまで言わずともニュアンスでそのまま通じるのだから、使うのを躊躇する理由もない。ちなみにもとはフランス語だ。

そう言いながらも、フィーリングもそうだが、いい加減なカタカナ言葉はできるだけ使うまい、と心がけていることも、また事実である。

理由は単一ではないのだが、やはり海外生活が比較的長い分、そのことを鼻にかけているとか、外国かぶれだとか思われるのは嫌だという意識が働くのではないかと、自分で考えている。前々回、赤塚不二夫の『おそ松くん』を引き合いに出したが、あの漫画にはイヤミというキャラクターが登場し、 

「ミーはおフランスざんす」

みたいな台詞を乱発していたが、あれはまさしく、海外経験(当時まだ、海外旅行も簡単なことではなかった)を鼻にかける日本人に対する、赤塚不二夫一流の「嫌み」だったのだろう。

そう言えばロンドンで暮らしていた当時、一時帰国した際にたまたまTVで見かけたのだが、松本伊代が英会話学校のCMに出ていた。彼女が、

「サウンズ・グーッド」(Sounds goodだろうが、発音はまるっきり日本風だった笑)

などと言って受話器を置くと、父親役とおぼしきオッサンが、

「日本人離れした自分を感じちゃったりなんかしてるんだろ」

と言う。ちょっと考えさせられた。

今でも、モデルさんの体型などに対してよく使われる表現だが、日本人らしくない方がかっこいい、とはどういうことだろうか。要するに、こうした自己差別意識の一形態として、外国語の上手な日本人がやたら持ち上げられたり、その裏返しとして、外国語自慢はとにかく鼻につく、といった精神風土が醸成されてきたのではないだろうか。

それをさらに逆手に取ったのか、1990年代にはルー大柴というお笑い芸人が、

「あとのフェスティバル」「藪からスティック」「トゥギャザーしようぜ」

などという、カタカナ英語ですらない「ル―語」で一世を風靡した。

最初のうち、よくこんなことを思いつくな、と苦笑交じりに見ていたのだが、彼自身がこの「ルー語」についてTVで語っているのを見て、妙な具合に納得させられた。

どういうことかと言うと、彼の父上は旧満州で貿易業を営んでおり、英語とロシア語が堪能だったそうで、家庭でも、

「フィッシュをイートしなさい」

などと子供に言うことがよくあったそうだ。つまり彼にとっては、単なるネタではなく幼児体験が反映されているのだとか。

その話の一体どこに納得したのかと言うと、これまた海外生活経験を鼻にかけている、と思われかねないリスクを覚悟して語るのだが、英語なら英語を日常的に使う生活を長く続けていると、ついつい日本語会話の中にも英単語が混じってしまうものなのだ。

たとえば、ロンドンで日本語新聞の編集・発行をしていた当時も、スタッフはみんな日本人だったが、締め切りでてんやわんやの時など、みんなして、

「オー、ゴッシュ」「ジーザス・クライスト」

などとうめきながら仕事をしていた。当時よく執筆を依頼した日本人女性ライターなど、ちょっとした言い回しが思い出せなかったりすると、

「英和辞典で単語を探すんですよ」

などと語ってくれたことがある。私自身、編集責任者として、

「この情報は、ちゃんとプルーフできてるのか?」

などとスタッフに問うことがよくあった。クレディビリティ(信頼性)とかプライオリティ(優先順位)などは、今や出版・編集業界に限らず広く使われている。

漢語由来であれ欧米からの外来語であれ、皆が日常的に使うようであれば、それはもはや日本語の一部と考えてよいのかも知れない。漢字も今や立派に日本語の一部であり、フィロソフィー(哲学 ギリシャ語)やサイエンス(科学 ラテン語)が、れっきとした英単語であるように。

その一方、英語圏ではまず通用しない和製英語を問題視する声も、最近ではよく聞かれる。

これまた、正しい英語に置き換えれば、と思うこともあるのだが、アメリカ英語とイギリス英語とで表現や意味合いが異なったり、なにをもって正しい英語とするか、早計には言われないのである。

この問題は次回あらためて見よう。

(続く。その1その2その3その4

トップ写真:イメージ 出典:PAKUTASO




この記事を書いた人
林信吾作家・ジャーナリスト

1958年東京生まれ。神奈川大学中退。1983年より10年間、英国ロンドン在住。現地発行週刊日本語新聞の編集・発行に携わる。また『地球の歩き方・ロンドン編』の企画・執筆の中心となる。帰国後はフリーで活躍を続け、著書50冊以上。ヨーロッパ事情から政治・軍事・歴史・サッカーまで、引き出しの多さで知られる。少林寺拳法5段。

林信吾

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