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.社会  投稿日:2022/8/27

東京大学教養学部事件


上昌広(医療ガバナンス研究所理事長)

「上昌広と福島県浜通り便り」

【まとめ】

東京大学教養学部理科32年生杉浦蒼大君が同学部の留年措置を受け、東大の処分を不当として東京地裁に提訴

7月28日に杉浦君は代理人弁護士名で東京大学本部に問合せし、8月1日には東京新聞が報じた。8月4日文科省で記者会見し、多くのマスコミが報じた。

・教養学部だけの問題だったのが、東大全学の問題へと拡大した。双方の主張の隔たりは大きい。

 

杉浦蒼大君という大学生がいる。東京大学教養学部理科3類2年生で、2021年4月に大学に入学して以来、医療ガバナンス研究所に出入りしている。福島県にも足繁く通っており、本年6月には、坪倉教授の指導の下、原発事故後の南相馬市における地元産の食品に対する子どもを持つ保護者の態度をまとめた英文の論文を、『ジャーナル・オブ・ラジオロジカル・プロテクション』誌に発表している。向学心に溢れた真面目な学生だ。

▲写真 坪倉正治・福島県立医科大学教授に随行し、福島県立安積高校で講義をした時のもの。右から二人目が杉浦君。左から二人目が坪倉教授:筆者提供

コロナ禍でオンライン講義が増えた。どこにいても、大学の授業を受けることが可能になった。杉浦君は、この仕組みを活用し、充実した大学生活を送っていた。昨年11月には、私どもが主宰する「現場からの医療改革推進協議会シンポジウム」にて、その様子を語っている(トップ写真)。

最近、この杉浦君に災難が襲いかかった。彼が在学する東京大学教養学部の理不尽な留年措置だ。8月19日、杉浦君は、東大の処分が不当として東京地裁に提訴した。日本の最高学府である東大を、学生が訴えるという前代未聞の事件となり、多くのメディアが報じた。このケースは、日本社会がコロナに感染した若者に対してどう対応しているか考える上で示唆に富む。本稿で、その実態をご紹介しよう。

まずは、今回の事件の経緯だ。杉浦君が教養学部と争うことになったのは、教養学部がコロナ感染への救済措置を採らなかったためだ。杉浦君は5月17日、39度の発熱・倦怠感が生じ、近医にてコロナ感染と診断された。丁度、その日は生物実験の授業があった。コロナ流行中、生物実験はオンラインでの受講も認められており、杉浦君は、この方法を選択していた。オンラインでの生物実験では、教員がデータを提供し、学生が解析、考察し、レポートにまとめる。

生物実験は必修のため、単位を落とせば、留年となる。数回の欠席は認められるものの、出席・レポート提出が重視される。体調不良のため、5月17日のオンラインでの授業は欠席せざるを得なかったが、この日が期限となる5月10日分のレポートは、前日までに書いていた荒削りのものを、とりあえず提出した。

では、指導教員は、どう対応したか。普通なら補講を実施し、改めて教育・評価の機会を与えるだろう。ところが、驚くべきことに、この2回の評価を35点満点で0点とした。杉浦君の留年は、この評価で決まったと言っていい。

私も、2005〜2016年まで東大医科学研究所の教員を務め、学生を指導したから、このあたりの状況は分かっているつもりだ。通常、教員は、どんな出来であれ、レポートを提出すれば0点にはしない。

なぜ、指導教員は杉浦君を救済しなかったのか。実は、このような対応は教養学部の基本方針だ。今年度の前期末試験から一切の救済措置を中止している。教養学部学生自治会が救済継続を要望したところ、「(保健所が機能不全となり)実質的に学生からの申し出のみによる審査・決定となり、審査の信頼性が担保できない状況となった」と回答している。学生を信じられないと公言する大学は珍しい。

教養学部の問題は、これだけではなかった。生物実験の単位不認定を知った杉浦君からの問合せを受けた後、その点数をこっそり17点も下げていたのだ。このことが発覚したのは、杉浦君が、過去の成績通知画面をダウンロードし、保管していたからだ。

7月18日、杉浦君が、成績変更について担当教員に問い合わせたところ、7月27日には、教養学部から「(指摘を受けて)教養学部として評価の精査を行っています。その結果として、成績が下がっていることについても適正な修正であることを確認しています」と回答があった。

その後、同学部は、8月5日に公開した「東京新聞の報道に対する抗議文」の中で、成績を下げたのは、杉浦君と同級生の他の学生と点数を入れ違えていたためと説明している。ちなみに、この間、杉浦君への説明は一切ない。

ところが、8月16日になって、教養学部の説明は一変する。杉浦君に送った回答の中で「成績の取り違えについて、最初に判明したのは6月18日の夕刻になります。学務システムへの入力は判明してから直ちに行われました。」と主張したのだ。

実は、杉浦君が単位不認定の理由について、担当教員に初めて問い合わせたのは6月17日だ。6月18日とは、その翌日にあたる。つまり、指導教員は、杉浦君の指摘を受け、即座に学生の点数を見直し、成績の取り違えを発見し、「修正」したことになる。教養学部は16人の教員の合議制で、成績を決めているという。学生の取り違えのような失態を、わずか一日でどう関係者で処理したのだろう。

なぜ、教養学部は7月27日と8月16日で主張を一変させたのだろう。それは、この問題が大事になったからだ。この間の7月28日に杉浦君は代理人弁護士名で東京大学本部に問合せし、8月1日には東京新聞が報じている。そして、8月4日には、文科省で理科3類の同級生と共に記者会見し、多くのマスコミが報じた。教養学部だけの問題だったのが、東大全学の問題へと拡大した。

教養学部の主張が一貫しないのは、これだけではない。同学部は、8月16日の杉浦君への回答で「今回の成績確認申請の結果、17点が加算された学生については、特段の通知を行っていません。」と説明した。しかしながら、これも嘘だった。杉浦君には連絡していないが、もう一人の学生には8月23日に「次の科目で成績訂正がありましたので、UTAS(学内情報システム)にログインの上ご確認ください」と連絡している。

これが、杉浦君が提訴に至った背景だ。教養学部の対応は不誠実だ。学生が抗議したら減点し、追及されれば、場当たりな言い訳で誤魔化す。こんなことが許されて言い訳がない。今回の指導教員は、広島大学を卒業した三十代の男性だ。職位は助教である。彼が独断で、このような行為をするとは考えにくく、教養学部全体での慣行となっていたのだろう。

なぜ、こんなことが罷り通るのか。それは、東大が進学選択制度を採用しているからだ。東大では、新入生は教養学部に所属する。文科一類から法学部、理科三類から医学部などを除き、三年生以降の進学先は、二年生前期までの成績評価に基づいて行われる。理科一類や二類から医学部医学科や理学部物理学科への進学を目指す学生は、入学後も勉強に明け暮れる。毎年、数点差で進学を諦める学生が大勢いる。

進学選択制度は、多くの学生の人生に影響する。もし、点数の取り違えが起こっているなら、過去を検証し、改善策を考えねばならない。ところが、教養学部は、8月19日、東大新聞の取材に答え、「成績評価に疑義があったとしても、単位が認定された学生は訂正の機会が与えられない現行の制度について、教養学部は見直す余地はない」と回答した。

これが我が国の最高学府である東大の実態だ。

<編集部追記>

東京大学教養学部は8月1日付の東京新聞の記事「感染し単位不認定 東大生留年危機」に対し、8月5日、同紙の報道が事実を正確に反映しない一方的なものとして「東京新聞の報道に対する抗議文について」(8月5日)との抗議文をHPに開示していた。しかし、8月9日付けの東京新聞編集局の回答を受け同抗議文を削除した。現在は、「東京新聞の報道に対する抗議文について」の掲載削除について、と題して削除の理由をHPに公開している。

東京大学教養学部森山工学部長名で出された抗議文などによると、同大は、男子学生が単位を取れずに留年することになったことと大学の新型コロナウイルス罹患学生への対応は無関係であると主張しているようだ。留年の原因は所定の手続きを踏まなかったため、というのが同大の見解で、両者の主張の隔たりは大きい。この問題が法廷に持ち込まれたことで、決着は長引くことになりそうだ。

トップ写真:現場からの医療改革推進協議会シンポジウムで講演する杉浦蒼大君(2021年11月27~28日、東京にて):筆者提供




この記事を書いた人
上昌広医療ガバナンス研究所 理事長

1968年生まれ。兵庫県出身。灘中学校・高等学校を経て、1993年(平成5年)東京大学医学部医学科卒業。東京大学医学部附属病院で内科研修の後、1995年(平成7年)から東京都立駒込病院血液内科医員。1999年(平成11年)、東京大学大学院医学系研究科博士課程修了。専門は血液・腫瘍内科学、真菌感染症学、メディカルネットワーク論、医療ガバナンス論。東京大学医科学研究所特任教授、帝京大学医療情報システム研究センター客員教授。2016年3月東京大学医科学研究所退任、医療ガバナンス研究所設立、理事長就任。

上昌広

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